十三

 

 染みも皺もない白い布団の上で、静かな石庭を見つめる。雲ひとつない空に黄金の帯を放った月の光が地上に降り注ぐ。白い石庭を月の光に染める空は、漆黒に包まれながら、月の周りだけが黄金に溶けている。
 指の先に視線を落として綺麗に切り揃えた爪を見つめる。外の熱さに少し汗ばんだ手を握り合わせてから、懐に手を入れた。布ではない紙の感触を確かめてそれを引っ張り出す。
 宛名も差し出し人の名もない白い和紙を暫く見つめて、息を吐き出した。この手紙を私に渡してくれたときの聖黒さんの顔を思い出す。穏やかな表情――少し前、苦悩に歪んだ表情で彼女を勘当すると言った聖黒さんとは、まったく別人のような落ちついた表情だった。
 そっと手紙の封を開けて、はらはらと開いていく紙に目を通す。達筆に綴られた文字に、優しい小梅さんの顔が浮かんだ。その面影を頭に映したまま、最初の一行に目を向けた。
 あまり長くはない手紙の一字一字を心に刻みつけるようにゆっくりと読んでいく。
『ありがとうございました。幸せになります』
 その言葉を見つけて、私はそっと手紙を胸に当てた。
 幸せになります――。
 その言葉を口の中で何度か繰り返し唱える。呪文のように繰り返した言葉はすんなりと私の中に落ちてくる。
 私も幸せになりたい。闇音の過去ごと包み込んで。幸せだと言ってくれた闇音のあの顔を壊さないように。
 顔を上げて外へ目を向ける。夜の光に照らし出されたのは、蒼士さんの影だ。微動だにせず背筋をぴんと伸ばしたまま、縁側に座って見張ってくれているのだ。闇音がいない今、蒼士さん以外の人は私が眠るこの部屋に不用意に近づけない――いや、近づかないのだ。
 おそらく誰もが気づいている。闇音は三神だけではなく、二大すら疑っていると。私の傍にいることが務めの四神は別としても、彰さんと芳香さんは意図的に私との接触を持とうとしていない。それが闇音への忠義の印なのかもしれないと、眠気の下りてきた頭でぼんやりと考える。
 物音ひとつしない静まり返った部屋に、溜め息をひとつ落とす。そして広げていた手紙をたたんでもう一度懐に戻す。届かないとわかっていながらも「ありがとう」と小さく呟くと、ほんの少しだけ心が温かくなった気がした。
 布団に横になって目を閉じる。浮かんできた顔に切なさと愛しさを感じて胸が痛んだ。
 帰ってこない闇音は今、どこで何をしているのだろう? 大変な思いをしていないだろうか? 辛く感じていないだろうか?
 私ができることはないだろうか?
 守られているだけだなんて。何も知らないでこうして横になっているだけだなんて。そんなの辛すぎる。
 ゆっくりと目を開けて寝返りを打つ。石庭を見つめて断片的にしか知らない闇音の過去に思いを馳せる。
 明るく活発な兄思いの少年。
 兄を亡くして自分が抱いてしまった思いに苦しんだ少年。
 それを罰だと甘んじて受け入れようとして、他人を寄せ付けなくなった少年。
 ――いや、違う。龍雲さんと白亜さんのことから、自分は悲しみを呼ぶ存在だと思い込んで――。
 私はもう一度寝返りを打って天井を見つめた。突き止められないぼんやりとした不安が、胸に広がったのだ。
 考えてみれば、龍雲さんと白亜さんの間には長い時間が流れている。龍雲さんが亡くなったのは十四年前。白亜さんが心を病んだのは一年と少し前。
 ふと違和感を覚えて、私は掛け布団に皺が走るのも気にせずに強く握った。
 闇音の性格が変わったのは――? いつだったか蒼士さんが話してくれた闇音と龍雲さんの話を必死になって思い返す。確か、龍雲さんが亡くなって半年が経った頃。
 それに思い至ってはっきりと冴え渡る思考に、私は三度目の寝返りを打った。
 この時間の差は何だ? どうして半年もの間が空いているのだろう? どうして半年間は、闇音はそれまでの性格を変えずに過ごしたのだろう? どうして闇音は半年が過ぎてから他人を寄せ付けなくなったのだろう?
 この半年間に、闇音に何かがあったのだ。
 ぴんと張りつめた緊張の中に見つけた不安に、私はぎゅっと手を握りしめた。
 この半年の間に、闇音に何があったのだろう?
 辿り着いた考えに私はいつの間にか、からからに乾いていた喉に手を当てた。
 それを知ることは、今起きている出来事を紐解くきっかけになりそうだという確信にも似た予感が過る。けれどきっとこのことは、闇音にとてつもない痛みを与え続けていることだとも思えた。

 

 

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