二十一

 

 もう一度、前を向いて歩き出す。自分の部屋へ戻ろうと、足音を立てないように気をつけながら廊下を足早に進む。
 闇音の言ったように四神のところに行く気にはなれなかった。そして幸いにも、三大と四神の部屋はきっちりと襖が閉じられている。
 そのまま三大の部屋の前を足早に通り過ぎようとしたところで――運悪く――三大の部屋の襖が開いた。
 びくりと身体を強張らせて開いた襖に目を遣ると、驚いた様子で目を見開いた真咲さんがいた。
「美月様? あっ。驚かせてしまい申し訳ありません」
「あっ、いいえ。私の方こそ驚かせてしまってごめんなさい」
 どう見ても驚きの度合いが大きかったのは、私よりも真咲さんだ。頭を下げて謝ろうとすると、それを真咲さんが押し留めた。
「美月様がいらっしゃるの?」
 部屋の奥から芳香さんの声が聞こえてくる。真咲さんは少しだけ部屋を振り返って「うん」とだけ言うと、部屋を出て襖をぴしゃりと閉めた。部屋の中から「美月様と秘密の話?」という芳香さんの声と、それを咎めるようなに彼の名前を呼ぶ彰さんの声が聞こえた。
 真咲さんはというとまったく気に掛けていないのか、どこか心配そうに私を見下ろした。
「どうかなさったのですか? 先程も部屋を出られていらしたようですが……」
「さっきは蒸しタオルを取りに行っただけで。今はその……自分の部屋に戻ろうかなって」
「もしかして闇音様が何か……?」
「そうじゃないです!」
 真咲さんの顔があまりにも心配そうで、その上申し訳なさそうだったので、私は反射的に否定していた。
「あの、私が――体調が悪くて。頭痛が」
 私は言いながら、体調が悪いふりをする。つい先程までぴんぴんしていたというのに唐突すぎるだろうとは思ったけれど、言ってしまったからには仕方がない。
 闇音を心から気にかける真咲さんに弱音を吐くことはできない。
「だから自分の部屋で休ませてもらおう――」
「大丈夫ですか!?」
 真咲さんは私の台詞を途中で遮って、おろおろとした声を上げる。私はそれに慌てて演技を取りやめると、私の顔を覗き込んだ真咲さんと距離を取った。
「だ、大丈夫です!」
「あっ、そうだ! 薬を! どこに薬あったっけ……」
「あの、大丈夫です。ちょっと休めばすぐによくなりますから」
 両手一杯の巻物を危なっかしげに抱えながら、真咲さんはよろよろと廊下を歩き出す。今にもその腕から零れ落ちそうな巻物の心配をしながら、私は思わず万が一巻物が落ちたときのために両手を差し出して真咲さんの後ろを付いて歩いた。
「真咲さん。私は本当に大丈夫ですから……その、手に持ってる巻物は闇音のところに持っていくものですか?」
 真咲さんは薬のことで頭が一杯になっていたのか、私の指摘で初めて巻物の存在に気がついたように小さく声を上げた。と同時に、真咲さんの腕から巻物が一斉に零れた。
「あぁー!」
 絶望的な、と呼ぶのに相応しい声を上げて、真咲さんは廊下目がけて落ちていく巻物を受け止める。私は自分のせいという負い目を感じて、廊下に落ちた巻物を拾おうとしゃがみ込んだ。
「ごめんなさい! 私が声を掛けたせいで」
「あぁー美月様! 私は大丈夫ですから、そんな床にしゃがむなんて――」
「一体何事――ってどうした!?」
 すっと開かれた襖から輝石君の顔が覗く。そしてすぐに床に散乱した巻物を見つけて、その瞳がまん丸に見開かれた。
「巻物を落としてしまって……」
「何でこんな大惨事になってんだよ!」
 輝石君は信じられないという表情を浮かべて廊下に出てくると、巻物を一つずつ拾い始める。それに対して真咲さんがお礼を口にしたところで、蒼士さんが怪訝そうな表情で部屋から出てきた。
「真咲。一人でこんなに多くの巻物を抱え込むのはやめろ。何度かに分けて運べばいいだろう」
 まるで小さな子どもに諭すように、蒼士さんがしゃがみ込みながら言う。真咲さんは少し目を上げて蒼士さんを確認してから、難しい顔をした。
「そうしたいのは山々だけど、闇音様が嫌がられるんだ――あっ。美月様は立ってください。奥方様が床にしゃがむなどいけません」
「でも私のせいですから……今回は大目に見てください」
 私は巻物を拾い上げながら、言葉を続けた。
「その、闇音が嫌がるって何をですか?」
 ちらりと目を上げて真咲さんを覗き込むと、真咲さんは眉尻を下げて困ったような表情を浮かべた。
「闇音様は何度も他人に部屋に入られるのがお嫌なようなのです。ですから、出来る限り用事は一度で済ませてしまうようにしています」
「そうか……それなのに闇音様は、ご自室に美月様を招いてるんだね」
 いつの間にか廊下に出て、拾うのを手伝っていた朱兎さんがぽつりと呟いた。思わず朱兎さんに目を走らせると、朱兎さんは何か考えるように廊下に目を落としていた。
「それでしたら、彰か芳香に手伝ってもらえばよいでしょう。三人で分担して巻物を持ち、同じときに闇音様にお渡しすればよいのではないですか?」
 聖黒さんは部屋から出てくると、床に落ちていた巻物を一つ取る。そしてそれを真咲さんの腕の中に置いた。
「そうしたいのも山々なんですが……」
 真咲さんは聖黒さんに軽く頭を下げながら、言葉を濁す。その先に続く言葉が何なのか、聖黒さんは悟ったのだろう。悲しそうに微笑むだけでそれ以上は何も言わなかった。
 闇音は三大の中で一番真咲さんを信頼しているらしい、ということは誰の目から見ても明らかだ。けれどそれは、三人の中では一番という意味で、闇音が手放しで真咲さんを信じているわけではないだろうことも明らかだった。そしておそらくは、彰さんと芳香さんのことは信じていないのだろう。
「はい、真咲。これで全部拾い終わった」
 輝石君が空気を溶かすように元気よく言って、真咲さんの腕に慎重に巻物を乗せる。
「ありがとう。蒼士も朱兎さんも、それに美月様まで手伝わせてしまってすみません。ありがとうございます」
 真咲さんは私たちから順番に巻物を受け取ると、踵を返す。そしてはたと立ち止まって振り返った。
「そうだ、薬! あ……蒼士? 美月様の体調がよろしくないみたいなんだ。頭痛がするって――薬、確か台所にあったはずだからお願い」
 真咲さんは、今度は自分で探しに行くのはやめたらしい。その判断を賢明だというように、蒼士さんが真剣な顔で頷いた。

 

 

back  龍月トップへ  next

 

小説置場へ戻る  トップページへ戻る

 

Copyright © TugumiYUI All Rights Reserved.

inserted by FC2 system