二十二

 

「美月様、お身体の調子がよろしくないのですか?」
 朱兎さんが私を見下ろして心配そうな表情を浮かべた。私が言葉を発するよりも先に、朱兎さんに続いて輝石君が私の顔を覗き込んだ。その顔には労るような優しさが浮かんでいた。
「大丈夫ですか、美月さま? ここで少し休んでください」
 輝石君は私の腕を取って四神に宛がわれた部屋へと誘う。
「大丈夫だから心配しないで。私は自分の部屋に戻るよ。ここにいても四人の邪魔になっちゃうし」
 そっと輝石君の腕を外しながら身を退く。けれど輝石君はすり抜けようとする私の腕を掴んだ。
「邪魔だなんて、そんなことないですから」
「ありがとう。でも」
 四神の部屋にお邪魔してしまえば、絶対に仮病だとバレてしまう。それに先程の闇音の言葉もある。なるべく四神に頼りたくはない、という――身勝手だとは分かっているけれど――そんな思いもあって、できれば一人になりたかった。
「輝石。美月様がそこまで仰っているのですから、ご自室に連れていって差し上げるのがよいでしょう」
 聖黒さんの声が聞こえてそちらを向くと、やんわりと釘を差すような表情を浮かべている。その顔を見て、おそらく聖黒さんは私の仮病を見抜いているのだろうことが分かった。
「じゃあ俺が美月さまを連れてく。ついでに台所に寄って薬を取ってくるから」
 輝石君はそう言うと「歩けますか?」と私に気遣いながら腕を引いて歩き出した。
 ここまで心配してくれる輝石君に今さら仮病だと言い出せるわけもない。その上一人にして欲しいなんて言えるわけもなかった。
 大人しく歩き出すと、後ろから小さな溜め息が聞こえて、次いで聖黒さんの声が届いた。
「輝石。悪いですが、あなたには私の手伝いをお願いしたいのです。美月様をお送りするのは蒼士に任せてください」
「手伝いって何だよ?」
 怪訝そうな表情の輝石君が振り返った。その瞳にはありありと不満が見て取れる。私も振り返って聖黒さんを見つめると、聖黒さんは困った様子を見せながら続けた。
「それが、少々厄介なことがありまして。先日、新しい術とそれに伴って……まあ、色々と実験していたのですが――」
「あー! 分かった、皆まで言うな! なんて恐ろしいんだ、聖黒は……」
 輝石君は困惑顔の聖黒さんを遮って声を上げる。私が聖黒さんの説明に疑問を浮かべるよりも早く、輝石君は自らを労わるように小さく息を吐いてから私に向き直った。
「美月さま。部屋までは蒼士に付き添ってもらってください。無理はしないでくださいね。それじゃあ、また後で会いましょう――俺が無事だったら」
 今生の別れだとでも言うように、輝石君は私の手をぎゅっと握ってから聖黒さんを振り返る。私はその流れるような展開に、またもや口を挟む隙を与えてはもらえなかった。
「俺、今度こそ死ぬんじゃないだろうな」
「大丈夫ですよ。死なない程度です」
「聖黒のそれは当てにならないんだよ! 朱兎ももちろん手伝うんだろうな」
「僕は断固拒否する。聖黒と輝石の二人でなんとかして、僕を巻き込まないでよ」
「ずるいぞ! っていうか、朱兎の方が俺よりも魔術得意だろ! 俺は体力馬鹿だから体術しか使えないんだよ!」
「こういうときだけ体力馬鹿装うなんてそっちの方がずるい。僕は優花を残して死ねない!」
「優花優花っていい加減、妹離れしろよ。丁度いい機会だろ。天に召されてそこから優花を――」
「美月、そろそろ行こうか……ここで馬鹿な言い争いを聞いていても仕方ないだろう」
 激しいやり取りを繰り広げる朱兎さんと輝石君と、それをにこやかに見つめる聖黒さんを背後にして、蒼士さん呆れた声を上げて私の背中を軽く押す。
 私は蒼士さんの台詞に肯定も否定もできず、曖昧な声を漏らしてから押されるままに歩きだした。
 聖黒さんの新しい術と色々な実験≠ェ一体何なのか非常に気になるところだ。そしてどうやらそれで死にかけたらしい輝石君が、無事に生還するのかどうかも気掛かりだった。
 難しい顔をしていたのだろうか、蒼士さんが私の隣に並んで苦笑を零した。
「そんなに心配しなくても大丈夫。聖黒さんは誰も死なせないから」
「でも、本当に大丈夫なの? なんか……熾烈な戦いだったよ」
「いつものことだから」
 いつものことなのか、と心の中で呟いてから隣を見上げると、蒼士さんが楽しそうに微笑んでいた。
 こんなに晴れ晴れとした蒼士さんの笑顔を見るのはどれくらいぶりだろう。ここ数ヶ月は色々ありすぎた上に、ここ数日間はそのさらに上をいくごたごたが続いている。
 一気に身の回りの環境が変化してそれに付いていくことに必死だった分、こうして懐かしい笑顔を見られたことにほっとした。
 玄関に向かってひたすら歩いていた蒼士さんについて廊下を歩いていく。仮にも体調が悪いふりをしているのだからと、私は口数を少なくしていたのだけれど、蒼士さんが台所に目もくれずに通り過ぎようとしたときにはさすがに声を上げてしまった。
「蒼士さん、台所」
 すたすたと歩いていく蒼士さんを呼び止めて台所を指差す。蒼士さんは立ち止まって振り向くと、不思議そうに私が指差す台所を見つめた。
「ああ、台所だな――あっ、何か飲みたい? それともお腹が空いた?」
「そうじゃなくて。真咲さんがお薬は台所って」
 いまいちよく分かっていないらしい蒼士さんに、珍しいなと思いながら言葉を口にする。すると蒼士さんは「ああ」と呟いてから、分かっていたという様子で頷いた。
「体調が悪くないときに薬は飲まない方がいい」
 労わるような瞳を優しく細めた蒼士さんは、私に近づくといつもしていたように優しく私の頭を撫でた。
「俺は美月が生まれたときから一番傍にいるんだ。仮病くらい、見抜けるよ」
 蒼士さんは小さな声でそう言って、私から離れるとまた前を向いた。
 整った横顔から見えるその瞳に浮かんでいる気持ちを、私も今は知ってしまっている。
「多分、聖黒さんもそれが分かっていて俺に君を連れていくように言ったんだろう。輝石なら張り切って薬を飲ませただろうから」
 蒼士さんはそう言ってから、歩き出した。私はそんな蒼士さんの背中を暫く見つめてから、距離を取って歩き始めた。
 私がどれほど酷いことをしても、蒼士さんは変わらず無条件で私を受け入れてくれる。
 けれどそれに甘えてはいけないのだと、もう知っている。

 

 

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