三十五

 

「泉水様、こちらでしたか」
 譲さんがゆっくりと歩いてやってきて、泉水さんと私が無言で見つめ合っている所を折悪しくも目撃してしまった。譲さんはその光景に目を見張りながら一瞬だけその視界に入れると、すぐに何も見なかったかのように踵を返して引き返そうとした。私はその様子に慌てて、足早に遠ざかろうとする譲さんに声を掛ける。
「譲さん。そろそろ帰る時間ですか?」
 私がそう声を掛けると、譲さんは肩で大きく息をしてから振り返った。
「ええ。告水様も愛海様も存分に昔の思い出話ができたようですので」
 譲さんは少し表情を柔らかくしてそう言った。
 告水さんと愛海さんは芍薬の間から下がった後、応接間で会合が終わるまで待ち、その後、両親と楽しげに会話に花を咲かせていたのだった。
「では、そろそろ私も帰るとしよう」
 泉水さんは譲さんにそう言うと、私へ向き直って柔らかく微笑んだ。
「私は美月ちゃんに出会えてよかったと思ってるよ。これは偽りのない気持ちだ。本当に、ありがとう」
 私は泉水さんのその言葉に、にっこりと微笑んでから言った。
「その言葉は今の私にとって、言ってもらえて一番嬉しい言葉です」
 好きだと言われるよりも、とそっと心の中だけで呟いてから、私は泉水さんをじっと見つめた。その姿を目に焼き付けるように。
「私も泉水さんと出会えてよかったです」
 泉水さんも私の言葉ににっこり微笑むと、最後に優しい調子で囁くようにこう言い添えた。
「美月ちゃんが幸せになってくれることを、祈ってる」

 
 

 泉水さんと譲さんを見送るために、私は縁側を出て庭に立った。すると向こうから博永さんと雪留君が歩いてくるのが見えて、私は手を振った。私が手を振っているのに気づいた二人は、少し歩調を早めて庭までやってくる。そして私の目の前に立つなり雪留君が譲さんを恨めしそうに見やった。
「譲、一人で先に行くんだもん。ちょっと待っててくれてもいいのに」
 不満げに雪留君がそう言うと、譲さんに代わって泉水さんが困ったように微笑んだ。けれど雪留君はそれには気づかずに、私をじっと見つめると、少し寂しそうに言った。
「姫は絶対に泉水様を選ぶと思ったのに」
 雪留君のストレートな言葉に泉水さんと私は同時に苦笑を浮かべた。
「もうこうして頻繁に会えなくなりますね」
 博永さんは名残惜しいというように私をじっと見つめてから、譲さんに同意を求めるように彼へ視線を送った。
「そうですね……。姫君は黒月の当主の奥方となられるのですから」
 譲さんは少し考えるようにそう言うと、私の方へ近づいた。
「姫君とお会いできて、こうして知り合えたこと感謝しています。あなたといると心が和みました」
 譲さんは穏やかな口調でそう言うと、優しく目を細めた。
「私もです。姫君と少しの間でしたが、こうして共に時間を過ごせたこと、一生忘れません」
 博永さんはゆっくりとそう言うと、譲さんの隣に並んだ。
 そして最後に雪留君が私の手を握って、私の瞳を覗き込みながら愛らしい笑みを浮かべた。
「僕も姫に出会えてよかった。僕が心から信頼してる人が、これで三人に増えました」
「三人?」
 私が首を傾げてそう言うと、雪留君はにっこりと微笑んだまま頷いた。
「一人は泉水様。これはもう一生変わらないと思う。そしてもう一人は姫です」
 雪留君はそう言って言葉を締めると、三人目の名前は告げなかった。でもきっとその三人目は輝石君だろう。それを感じ取ったその場にいた全員は、柔らかく微笑んで雪留君を見つめた。
「雪留はひどいな。三人の中に私たちは入ってないよ、譲」
 傷ついたように博永さんがそう言うと、譲さんも深く頷いて雪留君を見やった。けれど二人ともその顔は穏やかだった。
「当たり前でしょ? 二人は仲間だからね。今言った中には入らない」
 雪留君が笑いながら二人に向かってそう言うと、泉水さんが優しく雪留君の頭を撫でた。
 こうしてこの三人と出会えて、そして知り合えたことは私にとっても、とても貴重なことでとても大切なことだった。彼らは私のとても大切な友人となったのだから。

 

 両親と一緒に門の外まで白月家の面々を見送りに出る。告水さんと愛海さんは名残惜しそうに両親を見て、そのままの視線を私へ移した。
「ああ、美月ちゃんが泉水の元へ嫁いできてくれたら、どんなによかったか。きっと私たちの両親も喜んだでしょうに。私たちの代で果たせなかった約束が、私たちの子供の代で果たされるって言って」
 愛海さんは残念そうにそう言うと、すぐに隣で告水さんが軽く咳払いをしてから言った。
「愛海、いつまで言ってるつもりだ。仕方がないよ、美月さんが決めたことなのだから」
 告水さんが半ば諭すように愛海さんにそう言うと、苦笑を浮かべながら私に視線を送った。
「闇音君なら、きっと美月さんを幸せにしてくれるよ。あの子は優しい子だから」
 告水さんはそう言うと、にっこりと微笑んだ。それから泉水さんへ視線を移して、泉水さんを誇らしげに見つめた。
「泉水も残念だったな。美月さんなら素敵な奥さんになってくれただろうに」
「……本当に」
 泉水さんは告水さんの言葉に困ったように眉を下げながらも、微笑みながら言った。
「きっと泉水君なら素敵な奥さんをもらえるわ」
 母が泉水さんにそう言うと、愛海さんも頷きながら、
「そうだといいわ」
 と言って、泉水さんに優しい視線を送った。
「今日は足を運んでくれてありがとう」
 父が告水さんと愛海さん、泉水さんにそう言うと、告水さんはそれを受けてにっこりと微笑んだ。
「またいつか寄らせて頂くよ」
「ええ、今度は友人として」
 愛海さんも微笑みながら両親に向かってそう言った。それから私へ視線を移すと、優しく私を見つめる。
「美月ちゃん。あなたが幸せになってくれることを願ってるわ」
「ありがとうございます」
 私が小さくお辞儀をしながらそう言うと、愛海さんは頷いて見せた。
「では、私たちはこれで」
 告水さんがそう言って一礼してから踵を返すと、愛海さんは手を振ってからその後に続いた。
 泉水さんは最後に私に近づいて、そっと私の手を取った。
「美月ちゃん。とても言葉で表せないから月並みな言葉になるけど――本当にありがとう」
 私は一瞬だけ泉水さんの手を握ると、そっとその手を離す。言葉が出てこなくて、私はただ泉水さんを見つめて微笑んだ。
「姫君、またお目にかかれる日を楽しみにしています」
 譲さんが私にそう声を掛けると、それに続いて博永さんも、
「姫君、お元気で」
 と穏やかに言った。
「姫、きっと幸せになってください。僕、またすぐに姫に会いに行って、姫が幸せか確かめに行きますからね」
 雪留君がにっこりと笑いながら私にそう言ってくれる。私はその言葉に笑顔で頷いた。
 遠ざかっていく彼らの姿を見つめながら、私はぼんやりと思った。これできっと、彼らと今までみたいに頻繁に会うこともなくなるだろう。彼らは白月家の人間で、私は黒月家の人間になる。そのことは、彼らと私との間に大きな隔たりを作る。そう考えると、私は彼らの後姿が見えなくなっても、その場を動くことができなかった。

 

 

back  龍月トップへ  next

 

小説置場へ戻る  トップページへ戻る

 

Copyright © TugumiYUI All Rights Reserved.

inserted by FC2 system