二十一

 

「最近、夏に向けて陽射しが強くなってきたよね。私は冬生まれだから、夏が苦手なんだ」
 手で顔を軽く仰ぎながら、青々と茂りだした草木を見つめて泉水さんが言う。
「私もどちらかというと夏は苦手かも。でも景色は綺麗ですよね。真っ青な空に真っ白な雲が浮いていて、緑の草木が時々吹く風に揺れて」
「うん。それは綺麗だ。ただ、もう少し温度が低ければね……」
「ところで、冬生まれだから夏に弱いって、何か根拠とかあるんですか?」
「……根拠はない。でも私が苦手なんだから、きっとみんなそうだよ」
 私に痛いところを指摘されたのか、泉水さんは拗ねたように言う。
 二人で過ごす時間が長くなるにつれて、泉水さんの色んな側面が見えだした。最初は大人だと思っていたけれど、今のように急に子供っぽくなることもあるし、頼もしく見えたりもする。そんな色んな泉水さんを知るにつれて、私の心はさらに泉水さんへと向かっていった。
 幸せな気持ちで空を見上げていると、泉水さんは私の手から髪飾りが包まれているハンカチを取り上げた。
「今日の着物には藍色の方が似合うかな?」
 泉水さんはそう言いながら矢車菊の髪飾りを私の髪に手際よく付けると、さっと身を引いて四方八方から私と髪飾りを見比べた。
「うん。やっぱりよく似合う」
 泉水さんは満足げに目を瞑りながら深く頷くと、ぱっと華やいだ笑顔を私に向けた。私は顔を赤らめながらもその笑顔に向き合って、同じぐらいの笑顔を向ける。
「笑顔だと一層素敵だね」
 泉水さんはそう言ってぽんぽんと私の頭を優しく叩いた。触れられた場所にほとんど無意識に手を当てて私が俯いていると、泉水さんが前を向いて柔らかく微笑んだ気配がした。
「来たみたいだよ」
 その言葉に促されて私も前を向くと、小梅さんと優花ちゃんに、四神の四人が歩いてくるのが見えた。私が六人を確認すると、同じように私たちに気づいたらしい六人がぱっと笑顔を浮かべた。
「みづきさまー」
 優花ちゃんが手を振りながら大きな声を出して、小走りでやってきた。
「泉水様もこんにちは」
 優花ちゃんは私の隣でくつろいでいる泉水さんを見つけて、にっこりと笑顔を浮かべた。
「こんにちは。元気だね」
 柔らかな笑顔を浮かべて、泉水さんが挨拶を返した。
「あら、美月様。その髪飾りとっても綺麗。よく似合ってますね」
 優花ちゃんはさっと私の髪に顔を寄せて、髪飾りを観察するように見る。
「ありがとう」
 私が少し照れながら答えると、優花ちゃんは「分かった」というような表情を浮かべて泉水さんと私を見比べた。
「さては、泉水様からの贈り物ですね?」
 優花ちゃんがにやりとした表情でそう言うと、泉水さんは笑いながら、
「ばれては仕方がない。そうだよ」
 と、降参するように手を上げて言った。
「何が贈り物なんですか?」
 少し遅れて到着した小梅さんと四神の四人は、泉水さんと優花ちゃんを不思議そうに見つめた。
「ああ……」
「美月様の髪飾り。泉水様が贈ったそうですよ。綺麗でしょ」
 言い淀んだ泉水さんに代わって、優花ちゃんがはきはきと答える。
 まるで自分のことのように自慢げに言う優花ちゃんに、小梅さんが少し笑って言った。
「優花ったら変なの。まるで自分が贈り物をしてもらったみたい」
「別にいいじゃない。美月様によく似合ってるし」
 少し頬を膨らませて優花ちゃんがそう言うと、小梅さんもしげしげと髪飾りを見つめた。
「でも本当。とても綺麗だし、美月様によく似合ってらっしゃるわ」
 柔らかな微笑みを浮かべて小梅さんが言った。
「本当ですね。栗色の髪によく映えています」
 小梅さんの言葉を受けて、聖黒さんもまじまじと髪飾りを見つめて言った。
「さすが泉水様ですね。姫君に似合うものをよく分かっていらっしゃいます」
 朱兎さんが笑顔でそう言うと、泉水さんは居心地が悪そうに身じろぎしてから言った。
「さて、そろそろ私は帰るとするよ。仕事もまだ少し残っているし」
 泉水さんは私の方を向くと小さく「またね」と告げる。それから六人に向き直ると「それじゃあ」と少し硬く言って、すたすたと歩いて行ってしまった。
「……照れられたのでしょうか」
 聖黒さんが苦笑いを浮かべて泉水さんの後姿を見送りながら言った。
「さてと、兄様方はあちらへ行ってらしてね。女の子だけの話をするから」
 優花ちゃんが明るい声を出して、泉水さんの後姿を見つめていた男性四人を手で追い払う仕草をする。その声につられて優花ちゃんの方を向いた四人は、全員が苦笑を浮かべて小さく溜め息を零した。
「そう言われたら仕方ないな」
 蒼士さんがやれやれといった様子で呟いて、さっさと遠くの木陰を目指して歩き出した。輝石君がその後を追って蒼士さんに追い付くと、にこやかに何か話しかけている。
「では私たちも。美月様、何かありましたらすぐに駆けつけますのでお知らせください」
 聖黒さんがにっこりと微笑んで、二人の後に続く。
 そして案の定、最後に残った朱兎さんは名残惜しそうに優花ちゃんを見つめた。けれど、その視線に気づいた優花ちゃんが促すように手を振ったので、朱兎さんは仕方なく何も言わずに三人の後を追った。
 優花ちゃんは朱兎さんがとぼとぼと歩いていくのを見送ってから、私に向き直ると自分の着物を手で示した。
「美月様。これ見てください。新しい着物なんです。どうですか?」
 優花ちゃんは、小梅さんと私によく見えるようにゆっくり一回転してみせる。少し黄みがかった朱の地に、白の大きな蝶が優雅に羽を広げている。身長の高い優花ちゃんにはよく似合う柄で、色合いも色白の彼女にとても映えていた。
「すごく綺麗。よく似合ってる」
「でしょう?」
 私の称賛を込めた視線を受けて、優花ちゃんは目を細めて答えた。
「ただ、この着物を贈ってくれたのが兄様だってことが残念ですけど」
 そう言うと優花ちゃんは大きな溜め息を吐いた。
「あら、いいじゃない。それだけ朱兎さんはあなたが好きなのよ」
 小梅さんが朱兎さんを探しながらだろう、少し背伸びをして遠くを見つめた。
「ほら。朱兎さん、こちらの様子を窺っているみたい」
 朱兎さんの姿を捉えて、小梅さんが苦笑を浮かべながら付け加えた。
 小梅さんの視線を追って優花ちゃんが朱兎さんの姿を確認すると、朱兎さんはこちらに向けていた頭を慌てて反対方向へ向けた。その様子に優花ちゃんがさらに大きな溜め息を零した。
「兄様に好かれても意味ないわ」
「それはねえ……。でも、好かれないよりはいいと思うわ」
「そうそう。私なんて一人っ子だから、お兄さんがいる二人が羨ましいし」
「確かに聖黒さんならいいと思いますよ、私も!」
 小梅さんと私の意見に頬を膨らませながら、優花ちゃんは主張した。
「小梅は聖黒さんが兄だから分からないのよ。あれくらいの愛情の注ぎ方ならいいと思うわ。でも兄様はいきすぎなのよ。だから恋人もできないのよ!」
 少し顔を赤くしながら優花ちゃんはさらに続けた。
「美月様も、兄様が実際に兄だったらきっと私と同じことを感じるはずです!」
「そうかなぁ」
「そうです!」
 きっぱりとそう言い切って、優花ちゃんは憤然と着物を見下ろした。けれどすぐにその表情を緩めて付け加える。
「でも、嫌いなわけじゃないですよ? 兄様のことは好きだし、もちろん人並みに。でも、このままじゃ将来に不安が。兄様が結婚できないんじゃないかって……それにあの調子だと私まで結婚できないと思うんです」
 優花ちゃんは「もちろん人並みに」の部分を若干強調しながらそう言い終えると、悲痛な面持ちで俯いた。
「でも優花ちゃんが本当に好きな人ができたら、朱兎さんもきっと賛成してくれると思うけどな」
 私が普段の朱兎さんを思い出しながらそう言うと、優花ちゃんは顔を上げた。
「だって、朱兎さんっていつも優花ちゃんのことを心配してるけど、ちゃんと尊重もしてるし信頼もしてるよ」
「そうよ。朱兎さんってちゃんと優花のこと見てるもの」
 小梅さんも私の言葉に頷きながら優花ちゃんに話しかけた。
「そうかなぁ」
「そうだよ」
 今度はさっきのやり取りとは反対に、小梅さんと私が強く言い切ると、優花ちゃんはぱっと表情を明るくした。そして急に思いついたように話し始めた。
「今の私たちにとって、結婚が一番身近なのはもちろん美月様だけど、それはひとまず置いておいて。年齢的には私よりも小梅の方が先に嫁ぐでしょう? 私も無事に嫁げるとして、小梅はどうなの?」
 優花ちゃんが興味津々といった表情を浮かべながら、小梅さんの顔を覗き込んだ。その突然の質問に小梅さんは珍しく狼狽して、視線を泳がせた。
「どうしたの、いきなり」
「だって気になって。小梅ってかなりの美人だし、寄ってくる男性はたくさんいるでしょう? なのに浮いた噂一つ聞かないから。もしかして聖黒さんが意地悪い性格を出して引き裂いたりするのかと」
 最後の文言はもちろん冗談で付け足して、優花ちゃんはころころと笑った。その隣で小梅さんは困ったように微笑んでいる。
「……さあ、どうかしら」
 答えるまでに妙な間を取って、小梅さんが呟いた。私はそれに小さく首を傾げてから言った。
「小梅さんってほんとに素敵だから、どんな男の人も小梅さんみたいな人をお嫁さんに欲しいと思います。私が男性でも小梅さんみたいな人と結婚したいって思いますし」
 憧憬を込めて小梅さんを見つめると、小梅さんは柔らかく笑った。
「ありがとうございます。美月様にそう仰っていただけると、自信になりますわ」
 小梅さんは少し照れたように頬を赤くして、視線を落とした。睫毛がびっしりと長く生えて、それが頬に淡い影を落としている様は天使のように美しかった。
「じゃあ美月様は、やっぱり泉水様とご結婚なさるんですか?」
 優花ちゃんが私に向かって訊ねてくる。今度は私が狼狽えながら視線を泳がせる番だった。
「ど、どうして『やっぱり』になるの?」
 明らかに動揺していると分かる声で私は言った。そんな私に二人は笑って、そして優花ちゃんが口を開いた。
「だって、美月様は分かりやすいもの。泉水様のことがお好きなんだなって、一目見れば誰でも気づきます」
「ええ。きっと四神も、双方の臣下三大も気づいているでしょうね。私たちも気づいたくらいですから」
 小梅さんが小さく笑いながら穏やかに言った。
「もしかして、泉水さんにもばれてる……?」
 恐る恐る私が言葉にすると、小梅さんは考える素振りを見せた。
「どうでしょう? あの方、そういうところは意外と鈍いですから」
「そうそう。意外と本人は気づいてないかもしれませんね」
 二人のその意見にほっと胸を撫で下ろしながら、息を吐いた。泉水さんに気づいて欲しいような、気づいて欲しくないような、そんな複雑な気持ちが私の中を駆け巡っていた。

 

 

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