二十二

 

「あっ。それはこちらのお部屋にお願いね」
 生き生きと動き回りながら周囲に指示を出す母を遠くから見つめて、私はゆっくりとお茶を飲んでいる。
 白月・黒月・斎野宮の三家会合の日が刻々と近づく中、斎野宮は大忙しだった。
 私の支度品として白無垢に色内掛けまで仕立てられ、精細な調度品も数多く揃えられたのだ。もっとも、私が関わったのは白無垢や色内掛け、普段着る用の着物の生地選びと仕立てまでで、小物や鏡台などは母が率先して私に持たせるものを選んでいたようだった。
 そして今は、仕上がった着物類や調度品を部屋へ運んでいる最中で、大勢の人が斎野宮に来ており、その一切を母が取り仕切っていた。
 私が手伝おうとすると、母はにっこりと笑って「座ってお茶でも飲んでいるように」ときっぱりと言い渡したので、私は優雅にお茶を飲んでいると言うわけだった。けれど、私がくつろいでいる代わりに四神の四人はかなりこき使われていた。
「斎野宮も大騒動ですね」
 私がお茶を啜りながら四人の働きぶりを見ていると、不意に頭上から落ちついた声が降ってきた。見上げると、そこには白月三大が立っていた。
「みなさん、こんにちは」
「こんにちは、姫君。ご機嫌伺いに参りました」
 譲さんが私に視線を合わせて言った。
「いやあ、本当に凄いですね。白月も騒がしくなって参りましたけれど、斎野宮はその倍以上ですね」
 博永さんが呆気に取られたような表情を浮かべた。
「やっぱり白月も忙しいですか?」
 私が三人に席を進めながらそう訊ねると、譲さんが頷いた。
「はい、それはもう。当主が結婚するとなればそれはごく自然なことですが」
「まあ、実際こっちは結婚できるかどうか会合まで分からないわけだけど」
 雪留君がすかさず口を挟むと、譲さんが顔をしかめて咳払いした。
「私たちは、姫君が泉水様をお選びになってくださると信じ、そしてそうであって欲しいと望んで準備を進めている次第です。おそらく黒月も同様でしょう」
「まあ、この調子でいけばあっちは骨折り損で終わりそうだけど」
 懲りずに雪留君がそう口を挟むと、譲さんは深い溜め息を吐いた。
「雪留、それどういう意味?」
 博永さんが譲さんに構わず、ゆっくりとした口調で訊ねた。
「分からないの? 姫は泉水様を選ぶに決まってる。だって、黒月の当主にはどうやら苦手意識を持ってるらしいから」
 雪留君が「当たり前でしょ」という口ぶりで断言すると、博永さんは「そうか」とのんびりと言った。
「ゆ、雪留君。それ、どうしてそう思うの?」
 私が狼狽えながらそう言うと、雪留君は愛らしくにっこりと微笑んだ。その笑顔の裏に意地悪さを潜めて。
「さあ、どうしてでしょうね」
 雪留君がそう言うのとほぼ同時に、譲さんが雪留君を咎めるように見遣った。譲さんのその視線に気がついたらしい雪留君は、小さく溜め息を零した。
「はいはい、分かったよ。譲ってほんと頭固いよね」
 雪留君が面倒くさそうにそう言うと、譲さんはむっとした表情を浮かべた。けれど雪留君はそれを無視して私に話しかける。
「理由は『姫を見てれば分かるから』です。姫は泉水様をお好きみたいだし、それに姫が黒月の当主と会ったらしい翌日はいつも気分が塞いでいるのが目に見えて分かります。普通、会う度に気分が滅入る人と結婚したくないでしょう? だから姫は泉水様をお選びになると思って」
 雪留君が少し丁寧にそう説明すると、今度は私が溜め息を吐いた。
「周りのみんなにそう言われるのよね。私ってそんなに分かりやすいのかな……」
 少し落ち込み気味にそう呟くと、博永さんが笑って言った。
「姫君はご自分のお気持ちに忠実なんでしょう。悪いことではありませんよ」
「そうでしょうか? でもやっぱり私は、少しは自分の気持ちを隠したい時もあるっていうか……」
 私が顔をしかめてそう言うと、譲さんが珍しく微笑みながら言った。
「確かにそういう時もあるでしょう。ですが、本当に隠さなければならないことは自分でも意識せずに隠せてしまうものですよ。今はそれができないのなら、本当に隠さなければならないことではない、ということです」
 そして少し間を置いて、譲さんは続けた。
「姫君のよさは、誰にでも素直に純粋な気持ちで接することができるところです。ですから、それを隠そうとなさらない方が私はよいと思います」
 譲さんは穏やかな笑みを浮かべて私にそう言ってくれた。
 譲さんがここまで穏やかに話をするのを初めて聞いた私は、少し驚きながらお礼の言葉を口にする。
「ありがとうございます」
「いいえ、お礼を言っていただくようなことではありません」
 譲さんはそう言うと、忙しない母と四神の四人と、大勢の人々に目を向けた。
「輝石もこき使われて、可哀想に」
 雪留君も彼らに目を向けて、小さくそう呟いた。けれどその表情は、言葉とは対照的に光り輝いていた。
 博永さんが譲さんと雪留君につられるように前を向いて、改めて忙しなく動いている人々を見つめて思案顔になると、すぐに言葉を発した。
「私たちも手伝おうか」
 博永さんがそう言うと、譲さんが頷いて席を立った。
「その方がよさそうだな」
 譲さんのその言葉を聞いて博永さんも立ち上がる。けれど、雪留君だけは座ったまま動く様子がない。そんな雪留君に二人が気づいて疑問そうに雪留君を見つめた。
「僕はここで見ててもいい?」
 雪留君は輝石君を目で追いながら言う。譲さんは眉をひそめて、博永さんはなおも疑問そうに雪留君を見つめ続けている。雪留君はそんな二人を交互に見ると、素っ気なく言った。
「じゃないと輝石をからかえない」
 そう言うと、雪留君は二人から視線を外して、前を向いて再び輝石君を探しだした。
 何気なく発せられた雪留君のその言葉を聞いて、思わず噴き出してしまった博永さんは、顔を俯けて喉を鳴らすように笑う。
「輝石君をからかうためになんて……雪留らしいけど……」
 雪留君は笑いを堪えきれない博永さんをちらりと見ると、頬を膨らませて年相応の少年の顔をした。
「雪留、お前はいつまで経っても……」
 小さく笑い続ける博永さんの隣で譲さんは、あからさまに呆れた様子で雪留君を見遣っていた。雪留君はそんな譲さんのこともお構いなしで「文句ある?」という表情を浮かべてから、つんと顔を背けた。
「とりあえず、輝石を何度かからかったら手伝うよ。それでいいでしょ」
 そう言いながら雪留君はひらひらと手を振って、席を立った譲さんと博永さんの分だけ空いた空席を埋めるように、私の方へと近づいた。
「はいはい、分かったよ。輝石君と仲良くね」
 博永さんは笑いながら雪留君に手を振り返して、苦い表情を浮かべたままの譲さんを連れて忙しなく動き続ける人込みの中へと消えていった。
「雪留君もお茶飲む?」
 手伝いに向かった譲さんと博永さんを見送ってから、私は隣に座る雪留君に湯呑みを示してみせる。
「いえ、結構です――いや、飲んでた方が輝石に対して嫌味かな」
 そう言いながら真剣に悩む雪留君を見て、私は小さく笑った。
 すると突然光が遮られ、いつの間にかそこにいたらしい一人の男の子が、腰に手を当てて仁王立ちしているシルエットが目に入った。
「随分楽しそうじゃん」
 低い声を出して、目の前で仁王立ちする男の子――輝石君が言った。後ろから光が注がれているために、輝石君の表情は暗くて読み取れなかったけれど、厳つい表情をしていることがその声から分かった。
「……なんだ、輝石か」
 雪留君が光に目を細めながらそう言った。
「小さいからよく見えなかったよ」
 にっこりと愛らしい笑みで雪留君はそう続ける。それを聞いた輝石君は顔を赤くさせて言った。
「悪かったな、小さくて! っていうかお前も手伝えよ! 何で一人だけ姫さまと一緒にお茶飲もうとしてるんだよ! ずるいぞ!」
 輝石君がそう吠えると、雪留君は余裕の笑みで返した。
「悪いね、僕だけ」
 私が近くに用意されていた湯呑みにお茶を淹れて雪留君に渡すと、雪留君はそれをゆっくりと飲んだ。それを見て輝石君がさらに顔を赤くする。
「手伝えよ!」
 ほとんど叫びと言ってもいいぐらいの声を出している輝石君に、私は続けて淹れたお茶を差し出した。
「はい、輝石君もお茶」
 すると輝石君は面食らったようにまじまじと湯呑みを見つめた。
「え? 俺もいいんですか?」
 ぱっと華やいだ表情に変えて、輝石君は私と湯呑みを交互に見た。
「もちろん。輝石君がいっぱい働いてくれてたのここで見てたし。お疲れ様です」
 私がそう言うと輝石君は「当然のことです」と言いながらも少し照れた様子で頭を掻いた。
「そうですよ。当然のこと≠ナす。こいつは体力だけが取り柄のバカですから」
 雪留君が憐れんだ表情を浮かべながら、輝石君の言葉に同意した。
「そういうお前は貧弱でただの頭でっかちだから、俺の体力に僻んでるだけだろ」
 輝石君は雪留君の言葉を聞いて一瞬むっととした表情を浮かべた後、すぐにそれを意地悪な表情に変えて、私の差し出す湯呑みを受け取って私の隣に腰かけた。
 輝石君の言葉を聞いて雪留君はこの世の終わりのような表情を浮かべると、私越しに輝石君を見つめた。
「おめでたい奴。僕が体力バカに僻むわけないでしょ?」
 その言葉にカチンときたらしい輝石君が、やっぱり私越しに雪留君を見つめた。
「何それ、馬鹿にしてんの?」
「もしかして、今頃気づいたの? 前から思ってたけどさ、輝石って頭のねじが一本どころか十本ぐらい抜けてる、いや、腐ってるんじゃないの?」
 意地悪く片方だけ唇を引き上げて、嫌味ったらしく雪留君が言った。
 雪留君のその言葉にわなわなと震えながら、輝石君は身を乗り出して雪留君をきつく睨みながら吠えた。
「何だと!? もう我慢できない! ここで勝負つけるぞ!」
「すぐそうやって拳に頼ろうとする。それがバカだって言ってんの」
 今にも飛び掛かりそうな輝石君を、余裕の表情で雪留君が見下ろす。
 二人の間の空気が緊張してきたのを感じて、二人の間に座っている私は状況に耐えかねて声を上げた。
「もう、いい加減にしなさい!」
 私が言うと、輝石君も雪留君もびくりと身体を強張らせた。
「どうして二人は仲良くお喋りができないの? 二人がほんとは心の底からお互いを認め合ってることは周知の事実よ! いい加減諦めて仲良くしなさい!」
 きっときつく二人を見遣ると、二人ともしゅんとして俯いた。
「な、何言ってるんですか、姫……」
「仲良くなんてない!」
 らしくなく雪留君が狼狽えながら声を絞り出すと同時に、輝石君も声を裏返らせて言った。
「ほら、仲良しじゃない」
 二人の息の合ったタイミングに、私がつんとしてそう言うと、雪留君はなおも狼狽して目を泳がせる。
「そんなことない。輝石なんて……輝石なんて……」
 何か言おうと口をぱくぱくさせても何も言葉が出てこずに、雪留君は少し頬を染めた。
 そんな雪留君を初めて見たのだろう。つい先程まで怒りに燃えていた輝石君は、今はぽかんとした表情で雪留君を見つめていた。
 輝石君の表情に気づいたらしい雪留君は、すぐにプライドをかき集めたようだ。いつもの澄まし顔に戻ってから、湯呑みを置いて立ち上がった。
「僕も手伝ってきます」
 そう言うと、どすどすと音が鳴りそうなほど地を踏みしめて、雪留君は忙しなく動く人々の中へ入って行った。
「雪留君も素直じゃないよね」
 そんな雪留君を呆れながらも笑って見送って、私は言った。
 輝石君は笑いが込み上げてきたようで、ぽかんとした表情から笑顔に変わった。
「そうですよね、ほんと。もっと素直にしてれば可愛いのに」
 輝石君がさっきまでの燃えたぎる怒りをすっかり忘れた様子で、しみじみと頷きながらそう言うので、私はもう一度笑った。
「それは輝石君にも言えることだと思うよ」
「え? 違いますよ。俺はいつも雪留には親切に接してます」
 輝石君は笑いながらそう言った。
「でも正直に言って、今の感じが一番いいかなって俺は思ってます。ああやって喧嘩してる方が楽しい。そりゃ、ちょっとは本気で腹立つけど」
 母に指示されて動く雪留君を見ながら、輝石君は静かにそう言った。
「喧嘩するほど仲がいい、ってやつね」
 私がそう言うと、輝石君は嬉しそうに笑ってお茶を飲んだ。
 そして雪留君が重そうな荷物を持ったのを見ると、それを手伝うためにさっと雪留君の方へ走って行った。

 

 

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