二十

 

「うーん……」
 泉水さんは二つの髪飾りを交互に私の髪に当てては、何度も唸りながら首を傾げた。その表情があまりに真剣で、私は思わず笑い出しそうになるのを一生懸命堪える。
「うーん……。美月ちゃんはどっちがいい? 桃色か、藍色か……ってどうしたの?」
 私が笑いを堪えていることに気がついたらしい泉水さんは、きょとんとした表情で首を傾げる。
「だって、泉水さんがあんまり真剣だから面白くて」
「失礼な……真剣に迷うのが悪い?」
 泉水さんは憤慨したように髪に当てていた二つの髪飾りをさっと下ろすと、ふいと横を向いて子どものような表情を浮かべた。
「ごめんなさい。そういう意味じゃないんです」
 泉水さんの顔を見上げて、笑みを含みつつもお詫びの言葉を発すると「うん」と頷いた泉水さんが二つとも髪飾りを差し出した。
「やっぱり決められない。だから両方あげるよ。君の栗色の髪には、どんな色も似合うから」
 泉水さんは私の手を取ると、そっと二つの髪飾りを握らせた。手を開いてみると、それは太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。桃色の髪飾りは、小さな桜の花が花束のように華やかに咲き誇っている。一方の藍色の髪飾りは、一輪の矢車菊(やぐるまぎく)が美しく凛とあった。正反対の二つだけれど、どちらも素敵だ。
「綺麗」
 小さく呟くと、泉水さんは私の髪を優しく撫でた。
「この髪に髪飾りが負けないことを祈るよ」
 泉水さんに髪を撫でられたことで鼓動が跳ね上がってしまう。泉水さんは何の気なしにしているのだろうけれど、私の胸は小さなことですぐに舞い上がってしまう。私はそれを隠すためにさっと二つの髪飾りを髪に当てた。
「似合いますか?」
 泉水さんは微笑ましそうに眺めてから頷いて、最後にもう一度私の髪を撫でた。
 泉水さんの手が髪から離れる瞬間、言葉では言い表せない寂しさで覆われた。けれどそれを慰めるような温かな空気が私を包む。ゆっくりと流れる風が頬を撫でていった。
 泉水さんと二人で大きな木に背を預けながら座って、ぼんやりと小野原に広がる空を見上げる。段々と暑さを帯びてきた太陽の光が木々によって遮られて、辺りには涼やかな空気が流れていた。木々の合間からは、水色の空に雲が切れ切れに浮かんでいるのが見えて、なんともいえない満たされた気分になった。
 澄んだ空気に綺麗な青空、小さな雲たち。この景色と空気が世界で一番美しいと感じる。そしてそれはきっと、泉水さんと一緒にこの空を見上げているからだと思った。
 泉水さんと一緒にいるということで四神は私の護衛から外れ、臣下三大も気を遣ってか席を外している。けれどあと二十分もすれば、小梅さんと優花ちゃんを連れて四神の四人が小野原までやってくる予定だった。
「泉水さん、何か欲しいものってありますか?」
 私が唐突に訊ねると、泉水さんは柔らかく微笑みながら首を傾げた。
「どうして?」
「髪飾りのお礼がしたくて」
 手に持ったままの二つの愛らしい髪飾りを指して私が言うと、泉水さんはにっこりとしながら首を振った。
「それは私の気持ちだから。お礼はいらないよ」
「でも――」
「男が女性に贈り物をするときは、ただ受け取ってくれればいいんだよ。お礼なんて考えなくていい」
 泉水さんは私の言葉を遮って言うと、白いハンカチを取り出した。
「手で持っているのでは大変だよね」
 私の手から髪飾りを取ると、泉水さんは私に有無を言わせず二つの髪飾りをハンカチにくるんだ。
「何か包みを持ってこればよかったね。これじゃ見栄えが悪いけれど……」
 真っ白なハンカチにくるまれた髪飾りを私に手渡すと、泉水さんは少し顔をしかめながら言った。
「いいえ。これで十分です」
 ハンカチに包まれた髪飾りを、大事に胸に当てる。そんな私を見て泉水さんはおそらく無意識に、私の手を取った。
 心臓が跳ね上がると同時に泉水さんの顔を見上げても、泉水さんはそれに気づいていない様子で空を仰ぎ見ていた。まるでどこか遠くを見つめているように。
 小さく泉水さんの手を握り返してみる。けれど何の反応もなくて、泉水さんの心までどこか遠くへ飛んでいってしまったようだった。繋がれた手からは泉水さんの温かさが伝わってくるのに、隣にいる泉水さんは遠い。
「美月ちゃんに質問があるんだけど、いい?」
 不意に思い出したように泉水さんは呟いて、私に顔を向けた。私は頷きながらも、少しほっとしていた。遠くに行ってしまった泉水さんが、また私の隣に戻ってきてくれた気がしたのだ。
「美月ちゃんは結婚するならどんな人がいい? 優しい人だったり一途な人だったり、色々あると思うけれど」
 突然の問い掛けに、私は度肝を抜かれて繋がれている自分の手の力が一気に抜けたのを感じた。泉水さんもそれを感じたのか、困ったように、それでいて優しく私を見下ろした。
「たった一人をずっと愛せる人がいい? 逆にそうではない人と結婚するとなったら、やっぱり嫌?」
「それは……そう、ですね。やっぱり嫌です」
 考えながらゆっくりと答える。それから泉水さんの顔を見上げてみると、泉水さんは厳しい眼差しで遠くを見つめていた。
「そうだろうね」
 泉水さんはまるで自分に言い聞かせるように重く頷くと、ぱっといつもの優しい笑顔に戻る。
「さて、今日は小梅と優花と何時に約束だったっけ?」
 突然の泉水さんの変化に私は戸惑いながらも、泉水さんを真っ直ぐ見上げて口を開く。
「三時です。……泉水さん、どうかしたんですか?」
「何が?」
 いつもどおりの声と表情で、泉水さんがそう返す。あまりにも普段どおりすぎて、私は言葉が見つからなくなってしまって口をつぐんだ。
「今日はすごくいい天気だね」
 泉水さんはそう言って、額に手をかざして眩しそうに空を見上げた。
 泉水さんはすっかりいつもの調子に戻っている。けれど、どことなく重い感情を引きずっているようにも見えた。私は掛ける言葉を探し続けていたけれど、今更言葉に出して言うのもタイミングがずれてしまったことに気づいて、何も言わないことに決めた。
 前を見ると、草木に降り注ぐ太陽の光がきらきらと輝いている。
 泉水さんはゆっくりと私の手を放して、その手で髪を掻き上げた。

 

 

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