十五

 

「みんな揃ってるね」
 午後一時十五分、やはり予定よりも早くやってきた泉水さんが、南庭沿いの縁側に座って思い思いに時間を過ごしていた私達を見つけるなり言った。
「こんにちは、泉水さん」
 私がにこりと微笑んで声を掛けると、泉水さんも笑顔を返してくれた。
「お早いお着きですね。泉水様」
 聖黒さんが微笑みながら泉水さんに挨拶すると、朱兎さんと蒼士さんもそれに倣った。
「今日は三大も連れてきたよ――と、輝石は昼寝中かな」
 縁側の日がよく当たる場所で、ぐうぐう眠る輝石君を見て泉水さんが笑いながら言った。それに気がついた朱兎さんが急いで輝石君を起こそうとしたのを見て、泉水さんが片手を上げて素早く付け加えた。
「起こさなくてもいいよ」
 泉水さんの言葉に、輝石君の身体を揺すろうとしていた朱兎さんの手がぴたりと止まって、朱兎さんは軽く目礼した。私はよく眠る輝石君を暫く見つめてから、泉水さんの後ろに控える三人を見つけて声を掛ける。
「譲さん、博永さん、雪留君もこんにちは」
「ご機嫌麗しく存じます、姫君」
 譲さんが三人を代表するように、どこか機械的に言った。
「今、四人分の湯呑みを持ってきますね。座って待っててください」
 私が縁側をぽんぽんと叩いて四人を促しながらその場を立とうとすると、ぱっと蒼士さんが立ち上がった。
「美月様、それは私が。どうぞ座っていらしてください」
「ありがとう。でもいいの。私が行ってくるから、蒼士さんもくつろいでて」
 私は言いながら蒼士さんをほとんど無理やり座らせて、湯呑みを取りに台所へ向かおうと少し早足で廊下を曲る。するとちょうど曲がり角で、廊下を曲がろうとしていた母と危うく衝突しそうになってしまった。
「わ、ごめんなさい」
 私が慌ててそう言うと、母はにっこり笑って首を振った。
「大丈夫よ。それよりもどこへ行くの? 泉水君が来たんじゃない?」
「湯呑みを取りに行こうと思って。泉水さんたちの分を」
 私が手で四の数字を表すと、母は少し胸を張って言った。
「それなら、ちょうど持っていこうとしてたところなの。ほら」
 母は手に持ったお盆の上に乗る四つの湯呑みを見せると「気が利くでしょう」と自慢げに言った。
「ありがとうございます」
 どう見ても三十六歳には見えない可愛らしい母を見て、くすくすと笑いながら私が言うと、母は満足そうに頷いた。
「じゃあ、みんなによろしく伝えてね。私は奥で令さんとのんびりしてるわ」
 そう言うと、母は私にお盆を託して廊下の奥へと消えていった。
 縁側へ引き返そうと再び廊下を曲ると、私の姿を捉えたらしい蒼士さんが不思議そうな表情を浮かべた。
「お早いですね」
 蒼士さんは私に歩み寄ると、お盆を受け取りながら言った。
「そこの曲がり角でお母さんに会ったの。ちょうど湯呑みを持ってきてくれてる途中で」
「そうでしたか。それで、奥方様は……?」
「奥でお父さんとのんびりしてるって」
 私が微笑んで言うと、蒼士さんは納得したように笑って頷いた。どうやら両親の仲睦まじさは周知の事実らしい。自分にもそんな風に仲良くできる旦那さんができればいいなとぼんやり思いながら、私は急須を持って順番にお茶を淹れた。
「どうぞ、泉水さん」
 最初に淹れたお茶を泉水さんに手渡すと、泉水さんは大げさなぐらい喜んでくれた。
「ありがとう。ちょうど何か飲みたかったところだったから、とても嬉しい」
 泉水さんは味わうようにお茶を一口飲んでから一言「美味しい」と言ってくれた。きらきら輝く笑顔を浮かべながら。
 私はまた自分が赤面しそうなことに気がついて、さっと博永さんに湯呑みを渡した。
「ありがとうございます、姫君」
 博永さんは朗らかな笑顔でお礼を言うと、ゆっくりとお茶を飲んだ。続けて私が譲さんに湯呑みを渡そうとすると、譲さんは軽く手を上げて拒否を示す。
「私のことはお気になさらず」
「でもせっかく淹れましたから、ぜひ」
 私が拒否を示した手にぎゅっと無理やりに湯呑みを握らせると、譲さんは少し困惑してから一つ咳払いをして、小さくお礼を言ってくれた。
「はい、雪留君もどうぞ」
 最後に雪留君に湯呑みを渡すと、雪留君は愛らしい笑みを浮かべた。いつ見ても可愛らしい雪留君に、私もつられて笑顔になる。
「今日もいい天気だね」
 泉水さんは伸びをしながら空を仰ぎ見て、少し気が抜けたような笑顔を浮かべた。そんな泉水さんを横目で見ながら、私は口を開いた。
「今日は、お仕事はもう終わったんですか?」
「早く片づけてきたよ。……何かな、もしかしてこうして訪ねてこられるのは迷惑?」
 泉水さんが悲しげな声を出してそう言った。
 その声があんまりに悲しそうだったので、そうじゃないと否定しようと勢いよく泉水さんの方を向くと、そこには声とは正反対に楽しげな表情を浮かべた泉水さんがいた。その表情を見た私は、からかわれたことに恥ずかしくなったのを隠そうとぱっと平静な顔を装った。
「そうですね。ちょっと迷惑かも」
「まさかそんな直球で拒絶されるとは……。美月ちゃんが冷たい」
 今度は頭を垂れながら悲しげな声を出して泉水さんが呟いた。
「私、こういう性格みたいで。ごめんなさいね」
 つんとそっぽを向いて私がそう返すと、泉水さんが小さく笑いを零したのが聞こえた。
「……よかったよ。元気になったみたいで」
 泉水さんは、今度は穏やかな声を出して何気なく言う。驚いて私が泉水さんに顔を戻すと、泉水さんは慈しむような瞳で私を見つめていた。
「この前に会った時は、少し影を感じたから」
 いつもふわふわとしていそうな泉水さんの観察力の鋭さに驚いて、私はじっと泉水さんを見つめてしまった。
 確かに昨日、一昨日はまだ気持ちに整理がついていなかった。気持ちを切り替えようと思っても、どこかで田辺家に、そして元いた世界に戻りたいという思いがあったのだ。今でもまだ田辺の両親を忘れられたわけではない。会いたいと思っている。けれど、斎野宮の両親の優しさに触れて、四神の四人と笑い合って、小梅さんや優花ちゃんと出会えて、少しずつ私の気持ちは変わり始めていた。
「この世界はよいところだよ。と言っても、私は美月ちゃんが生活していた下界を知らないからこう言えるのかもしれない。けれど、ここにはたくさんよいところがある」
 私は泉水さんの静かな言葉に深く頷いた。
「私は美月ちゃんにこの世界を好きになってもらいたいな――私が好きなこの世界を。そして、君にはいつも幸せでいて欲しい」
 泉水さんは穏やかにそう言うと、私を優しく見つめてくれた。
「私、この世界がきっと好きになれると思います」
 私が泉水さんを見つめ返してそう言うと、泉水さんは満足げに微笑んで、お茶を一口飲んだ。
「ありがとうございます」
 小さくそう呟くと、泉水さんはふんわりと笑って「どういたしまして」と言った。
 まさか泉水さんが私のことを、こんなにちゃんと見てくれていたなんて思いもしなかった。泉水さんの優しい心遣いに、見落としてしまいそうな程の小さな気配りに、胸が高鳴る。
「そうだ。みなさんは甘いものお好きですか? 輝石君がどら焼きを作ってくれて、御茶請けとして食べてたんですけど」
 私はほんのりと温かくなった胸を抑えながら泉水さんと三大を見つめて、午前中に輝石君が猛烈な勢いで作ってくれたどら焼きを差し出した。
「雪留、いただいたら?」
 博永さんが雪留君を見て言うと、雪留君は複雑な表情を浮かべて顔をしかめた。
「輝石が作ったっていうのが癪に障るけど……」
 どうやら雪留君の心の中では、食べたい気持ちと食べたくない気持ちのせめぎ合いが起きているようだった。
「美味しいよ、ほんとに。輝石君も雪留君に食べてもらいたいと思うよ」
 私は葛藤中の雪留君の方へ、さっとお菓子が乗ったお盆を押す。雪留君はお盆を見下ろしてからちらりと輝石君を盗み見て、輝石君がまだ夢の中にいることを確認したようだった。
「……じゃあ、いただきます」
 そう言うと雪留君は綺麗に焼かれたどら焼きを手に取って口に運んだ。
「……美味しい」
 雪留君は嬉しそうな、嬉しくなさそうな微妙な表情で言うと、じっと輝石君を見つめた。
「じゃあ私もいただこうかな。博永も譲もどう?」
 泉水さんは複雑な顔つきの雪留君を優しく見つめてから、どら焼きを手に取って頬張る。
「では私も」
 博永さんも嬉しそうにどら焼きを手に取って、一口食べた。博永さんはすぐに破顔して「美味しい」と零した。
「譲さんはどうですか?」
 どら焼きに関心がなさそうな譲さんに声を掛けてみる。譲さんは困惑したような顔つきに変わった。
「私は――」
 譲さんがそう言うのを遮って、泉水さんが無理やり譲さんの手にどら焼きを押し付けた。
「美味しいよ、ほんと。輝石もきっと食べてもらいたいと思ってるよ。さ、遠慮せずに」
 泉水さんが悪戯っぽく笑んで、さっきの私の台詞を真似して言う。譲さんは眉根を寄せて、泉水さんを怪訝そうに見遣った。
「押し付けられてしまったものは、責任を持って食べなくてはならないよ」
 泉水さんが真面目っぽく言うと、譲さんは溜め息を吐く。それから、渋々といった感じでどら焼きを口に運んだ。
「……美味しいです」
 譲さんは呟くと、今までの機械的な態度とは違う、人間味のある表情を浮かべた。初めて会った時からどこか冷たい印象があった譲さんの初めて見た穏やかな表情だった。
「譲はいつもそうしていればいいのに。その方がずっと親しみやすいよ」
 柔らかい表情になった譲さんを見て、泉水さんも柔らかい表情を浮かべて言った。その言葉に譲さんはさっと表情を硬くした。
「でも泉水さんの言うとおり、譲さんはそういう表情の方が素敵です」
 私が譲さんを見つめながら言うと、譲さんも私に視線を移した。それから譲さんは泉水さんと私を見比べて、困ったように息を吐いた。
「ですが、誰かがこうしなければなりません。博永の穏やかな気性ではそれは望めませんし、雪留ではまだ務まりません。誰かがこういう役目を引き受けなくては」
 譲さんはそう言うと、厳しい表情を浮かべて視線を空中に漂わせた。周りの空気まで厳しく硬くなるように感じられる。その空気に泉水さんが少し表情を硬くした。
「譲はいつもそう言うけどね……私はそんなに役に立っていないかな」
 直と譲さんを見つめて、真剣な調子で泉水さんは続けた。
「私はお前にそこまで厳しくさせないといけない程、当主の役目を果たせていないだろうか」
 厳しくというよりは少し悲しげに泉水さんがそう言うと、譲さんは顔をしかめた。
「『いいえ』とも言えますし『はい』とも言えます」
 譲さんの含みを持たせたような答えを聞いて一瞬、泉水さんが固まる。泉水さんは譲さんから目を外すと、苦笑して空を見上げた。
「参ったな……」
 二人の会話についていけなくなった私は、ただ二人を交互に見つめる。この二人のやり取りには、介入してはいけない雰囲気が醸し出されていて、私は思わず聞いていない素振りをして俯いた。譲さんの隣では、博永さんが視線を泳がせてから蒼士さんの方を振り向いたのが見える。
 泉水さんは私の隣で長く息を吐き出してから、湯呑みを唇につけた。

 

 

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