十四

 

 屋敷の前で小梅さんと優花ちゃんと別れてから、四神の四人と私は屋敷の中へ戻った。二人と別れるのはとても寂しかったけれど、朱兎さんの優花ちゃんを見送る寂しげな表情には負けてしまった。
「朱兎さんは本当に優花ちゃんのこと大切に思ってるんですね」
 私が笑顔を浮かべてそう言うと、朱兎さんはふわりと笑って堂々と頷いた。
「大切な妹ですから」
「素敵ですね」
 私が続けて言うと、朱兎さんは少し照れた様子で頭を掻いた。
「堂々としていて、いっそ潔いですね」
 聖黒さんがにっこり笑ってそう言うと、輝石君が呆れたように息を吐き出した。
「堂々とし過ぎな気もするけどな」
 その輝石君の言葉に朱兎さんが食ってかかろうとした時だった。
「お帰り」
 不意に庭先から優雅な声が聞こえてくる。振り向く前にその声の持ち主が誰なのかはっきりと分かった私は、胸の鼓動が跳ねあがったのを感じた。
「泉水さん」
 振り向きながら私がそう言うと、彼――泉水さんは柔らかい笑顔を浮かべていた。
「泉水様、御出でとは知りませんで……」
 聖黒さんがそう言いかけると、泉水さんはさっと手を挙げてそれを制した。
「いいんだよ。私が勝手に寄ったんだし。それに長く待っていたわけでもないよ。さっき着いたばかりだから」
 そう言うと泉水さんは柔らかい表情のまま私を見つめた。
「小野原に行っていたんだってね。楽しかった?」
「はい」
「あの場所は都の中でも秀でて美しい場所だからね」
 泉水さんその言葉に私は頷いてから、
「すごく素敵な場所でした。とても落ち着けて……」
 と言い出したけれど、小野原で闇音と会ったことを思い出して、同時にハラハラした思いも甦った。
「闇音にはもう会ったよね」
 私の表情から何かしら読み取ったらしい泉水さんがやんわりとそう訊いてきた。私がそれに頷くと、泉水さんは遠くを見つめた。
「闇音のこと、悪く思わないで欲しい」
 その言葉は、真咲さんから発せられたのと同じ思いやりの色を含んでいた。
「あの子は優しい、いい子なんだよ。今はそれが影を潜めてしまっているけれど」
 私はそれにどう答えていいのか分からずに、泉水さんを見つめ続けていた。すると泉水さんはふっと柔らかい表情に戻って、視線を私へ戻した。
「ところで、今日は用事があってきたんだ」
 そう言うと泉水さんは私につかつかと歩み寄ってきて、さっと後ろ手に持っていたらしい花束を見せた。
「アネモネがあんまり美しかったから、美月ちゃんにどうかなと思って。受け取ってもらえますか?」
 泉水さんはそう言うと、にっこりと花束を差し出した。私はその行為に少しだけ、キザだなと思いながらも、泉水さんの笑顔と優しさに胸が温かくなるのを感じた。
「ありがとうございます」
 私が赤面しながら花束を受け取ると、泉水さんは「どういたしまして」と言いながら満足気に笑う。それから、泉水さんは夕暮れに染まった空を見上げた。
「そろそろ私はお暇しようかな。また遊びに来るね」
 泉水さんは私が持つアネモネにそっと触れる。それから微笑んで、四神の四人――特に輝石君に向かって、
「私一人では張り合いがないだろうから、次は臣下三大も連れてくるよ」
 と告げると優雅に門をくぐって立ち去った。
「何と言うか……鮮やかな訪問理由でしたね。泉水様らしいですけど」
 朱兎さんが感心しながらも、思わず苦笑した様子で言った。朱兎さんのその言葉に、輝石君も同様に苦笑していた。
「花瓶、あるかなぁ……」
 私が愛らしいアネモネを見つめながらぽつりと呟くと、聖黒さんがすかさず「探しておきましょう」と言ってくれた。

 

 

「美月、本当に気をつけてね」
 夜、お風呂から上がって眠る前に家族団欒の一時を設けていた時、母が不意に言った。
「何にですか?」
「怪我よ、怪我」
 母は本当に心配そうな表情を浮かべている。ああ、と私がちょっと笑って言うと、今度は真剣な表情を浮かべて母は言った。
「本当に、気をつけなくちゃ」
 小野原で顔から地面に突っ込んだことを話したら、両親は異常な程おろおろと狼狽えてしまったのだ。その様子に、不謹慎だとは知りながらも、自分が本当に二人から愛されているのだと実感できた。
「有の言うとおりだ。痕が残ったらどうする」
 父も静かながら力のある声で言った。
「分かりました。これからは気をつけます」
 二人があんまり真剣に心配してくれるので、私は少し嬉しくなった。こうして誰かに心配してもらえるというのは凄いことだと思う。私は田辺家の両親にも、そして本当の両親にも沢山の愛情を注いでもらえている。それがどれだけ幸せで貴重なことか、改めて分かったのだ。
「美月。泉水君と闇音君の印象はどうだ?」
 父が唐突に、けれど遠慮がちに声を上げる。その言葉に私ははっとして、父の方へ顔を向けた。
「……泉水さんは優しいです。でも闇音さんは、少し怖い」
 思っていることをはっきりと口に出してしまって、自分でも言ってからびっくりしてしまった。父は私の言葉を聞くや否や、考えるように唸った。私も考えながら言葉を続ける。
「闇音さんのこと、みんながいい人だとか優しい人だとか言うんですけど、私にはそれが分からなくて……あの雰囲気に呑み込まれそうで、少し怖い。悪い人には思えませんけど」
 ほとんど独り言になりながら、私はぽつりぽつりと言葉を吐き出していった。
「あの人には何かあるようにも思えて、それに触れさせないように相手を突き放してるような……」
 言いながらはっと気づいて、私は慌てて口をつぐむ。そろそろと両親の顔を見ると、二人はじっと私の話に耳を傾けてくれていた。
「えっと、まあそんな感じです」
 私が笑顔を取り繕って言うと、二人は微笑みながら頷いてくれた。
「どちらに嫁ぎたいとか、そういう気持ちはあるかしら」
 母が笑顔を崩さずに、けれど気乗りしなさそうに訊ねてくる。私は少し考えてから、苦笑した。
「今はまだなんとも。会って間もないですし」
 母は私の言葉にどこかほっとしたように「そうよね」と小さく頷いた。
「……美月、そろそろ寝なさい。もう遅い」
 父は時計を見ながら私に声を掛ける。私もつられて時計を見るけれど、まだ十時半を過ぎたばかりだった。それでも今日はいろいろ歩き回って疲れていたので、その言葉に素直に従った。

 

 

 翌朝、目が覚めた私の目に真っ先に飛び込んできたのは、聖黒さんが探し出してくれた花瓶にそっと挿されたアネモネだった。寝起きの頭でぼんやりとしながら、アネモネ越しに泉水さんを思い浮かべると、胸が温かくなって柔らかい気持ちになった。
 少しの間アネモネを見つめてから、布団をあげる。それから着替えを持って支度をしようと部屋を出た。

 

 いつもどおり四人が南庭に揃っているのを見て、私は手を振った。
 天界にやってきた翌日の朝にちょっとした騒動があって以来、四人は私の自室から離れた南庭で私の支度がすっかり済むのを待つようになってくれていたのだ。
「今日もいい天気ですね」
 私は晴れ渡った空を見上げながら言った。聖黒さんも私に倣うように空を見上げた。
「こんなによい天気の日は外に散歩に出るのがよいのですが……」
「今日は何か予定があるんですか?」
 私が軽く訊ねると、朱兎さんがにこりと笑って頷いた。
「本日は午後一時半頃に、泉水様が見えられます」
 泉水さんの名前を聞いた瞬間に、鼓動が跳ね上がる。私はすぐに深く息を吸い込んで呼吸を正した。
「昨日も来たのに、ですか?」
「美月様のことを気に掛けていらっしゃるんでしょう」
 私の呟きに、蒼士さんが少し微笑んで言った。その言葉に悩んで、顔をしかめる。
 嫌なわけではない。というか多分、嬉しいと思う。一緒にいると落ち着くし、優しさを含んだ視線で見つめられると舞上がりそうになる。私はきっと、泉水さんに惹かれていると思う。だけど泉水さんはどうだろう――。
 そんなことを一人で考えていると、蒼士さんが声を出して小さく笑った。
「な、何……?」
 驚いて蒼士さんの方を見ると、蒼士さんは笑いを抑えようとしているところだった。
「すみません。何でも」
 蒼士さんは急いでそう言ってから、また少し笑った。蒼士さんのその様子に少しむっとして、意図的に刺々しさが感じられる声を出す。
「何でもないって感じはしませんけど」
「すみません。美月様があまりに真剣になさっているので」
「私が真剣にしてたら変なの?」
 さらにむっとして私が言うと、蒼士さんは相変わらず微笑んで答える。
「いえ、そういうわけでは」
 そう言うと蒼士さんは少し考える素振りを見せて、言った。
「美月様の顔が百面相みたいになっていらっしゃったので、それで思わず」
 私はその言葉を聞いて口をあんぐりと開けてから、すぐに顔をしかめた。
「酷い! 仮にも女の子の顔を見て笑うとは、不届き者!」
 私のその言葉を聞いた蒼士さんは、さらに可笑しそうに笑う。私が文句を言い募ろうと口を開くと、ぽんと温かい手が頭に置かれた。
「まあまあ姫君、落ち着いて。蒼士は姫君が可愛らしくてそう言ってるんです」
 朱兎さんが私の頭を撫でながら、蒼士さんを庇う。すると蒼士さんは急に真面目な顔になって朱兎さんを見つめて「そういうわけじゃ」と小さく反論した。
 急に表情を変えた蒼士さんを見て、今度は私が可笑しくなって笑ってしまった。
「あ、美月様。笑いましたね? ならこれでお相子(あいこ)です」
 蒼士さんは、さっきの私と同じようにむっとして言った。その様子に私はさらに可笑しくなって、そして満足な気持ちでお腹を抱えて笑った。
 何か特別に面白かったというわけではない。ただ、こういうやり取りが懐かしくて、嬉しくて笑えてしまったのだ。
 蒼士さんは、天界に来てから私に遠慮している。これは勘違いではなくて、確かに距離を取ろうとしている。私に対する丁寧な口調は拭い去れなくても、こうして少しずつでもいつもの蒼士さんに戻っていってもらえたら、と私はそっと願っていた。

 

 

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