十三

 

「私、やっぱりあの方は苦手です」
 闇音の登場で息を潜めるように縮こまっていた優花さんが、お団子を頬張りながら不満そうに言った。
「優花、そんなことを言っては――」
 小梅さんの遠慮がちな言葉を遮って、優花さんは私を直と見据えた。
「姫様はどう思われます? あの方っていつもああなんですよ? 私だったら、あんな方に嫁ぐなんて考えられません」
 優花さんはお団子をしっかり持ちながら首を振って「とんでもない」という表情をしてみせた。私はあまりに直球すぎる質問になんと答えればいいのか少し困って、顔をしかめる。
「うーん……。実を言うと、まだ嫁ぐっていうことも実感できてないんです。闇音だけじゃなくて泉水さんにも会いしましたけど、どうもぴんとこなくて……」
 私が独り言のように呟くと優花さんが驚いたように目を見張った。
「姫様、あの方のこと呼び捨てになさるんですね」
 私は指摘されて初めてそのことに気がついて、ぱっと口を覆う。どこか尊敬の表情を浮かべている優花さんを見てから、周りを警戒して見渡した。近くにいるのは優花さんと小梅さん、そして少し離れた場所に四神の四人がいるだけだ。それでも私は少し声を落として言う。
「だってあの人、初対面のときから不躾でしたし、さっきも何の前置きもなく私を呼び捨てにしたから……私も呼び捨てにしたら対等になるかと思って……」
 言いながら私は自分が情けなくなった。闇音と対峙している間は、いつも彼の瞳に引き込まれて何もできなくなるのに、いざ彼がいなくなると強気になってしまう。闇音に呼び捨てにしていることを知られたらどんな顔をされるかと思うと気弱になってしまう癖に、情けない。
「それでいいですよ、きっと」
 優花さんは拳を握って頷く。その隣で苦笑を浮かべた小梅さんが、ふと何かを思い出したように宙に視線を漂わせた。
「ですが、兄上が先程おっしゃられたように、闇音様も随分と変わられてしまいました。優花は闇音様の幼い頃の記憶がないから分からないでしょうけれど」
「あの方って幼い頃はどんな人だったの? よく兄様が昔を思い出して同じようなことを言うんだけど」
「どんなって、そうね……明るくて、お優しい方だったわ。ほら、四神の中では白亜ちゃんと特に仲がよかったじゃない。最近は疎遠になっていたみたいだけれど」
 ふーん、と優花さんは難しい顔をしながら相槌を打つ。それからすぐに、悲しそうな表情になった。
「白亜か……」
 ぽつりと呟いた言葉に、私は俯いた。闇音と輝石君のお姉さんである白亜さんの仲がよかったとは初耳だ。輝石君はそんなことは一言も言わなかった。けれど、疎遠になっていたと言うのだから、もしかすると輝石君は二人が仲良くしていたことを知らなかったのかもしれないとも思った。
「はい、追加のお菓子です! これで最後ですよ」
 考えを巡らせていると、突然目の前にお菓子が載っているお盆が差し出された。驚いて顔を上げると、にこにこと微笑む輝石君が立っていた。
「ありがとう」
 笑顔につられて微笑んでお礼を言うと、輝石君はそのまま私たちの輪に入る形で腰を下ろした。
「輝石君。白亜ちゃんの具合はどうかしら? さっきは彰さんにああ言っていたけれど……」
 小梅さんが顔をひそめて輝石君に訊ねる。輝石君はそれに答えるように悲しそうに微笑んだ。
「あんまりよくはないですね……。彰は優しいから、仕事の合間を縫って姉ちゃんに会いに来てくれるけど、本当は甘えてちゃ駄目なんだろうなって思ってます」
「あら。彰さんは自分の意思で白亜のところに行ってるんだと思うけど」
 きょとんとして優花ちゃんが言う。輝石君はそれに答えようと口を開いたけれど、私が小さく首を傾げているのが目に入ったらしい。私に向き直って、言った。
「姉ちゃんは彰がずっと好きだったんです。二人は恋人同士で、すごく仲がよかった。俺も羨ましいぐらいだったんですよ。それで彰は姉ちゃんが今みたいな状態になっても、見捨てずにずっと会いに来てくれてるんです」
「そうなの……」
 輝石君の言葉にゆっくりと頷く。その間に、輝石君は聖黒さんに声を掛けられて、三人の元へ戻って行ってしまった。恋人同士の白亜さんと彰さん。彰さんは今、一体どんな気持ちで白亜さんの元へ通っているのだろう。その気持ちは私には到底計り知れない。
「そういえば、姫様はもう泉水様とお会いになられたんですよね?」
 優花さんは話題を変えるように声を上げると、泉水さんを思い浮かべたのか、ぱっと華やいだ表情を浮かべた。
「泉水様の印象はどうでしたか?」
 小梅さんが続けておっとりと訊ねる。私は泉水さんを思い浮かべながら、
「素敵な人でした」
 と答えた。そう言ってから顔に熱が昇ったことに気づいて、私は更に顔を赤らめてしまった。小梅さんはそんな私を見ると、穏やかに微笑んだ。
「どういうやり取りがあったのか、想像に難くないですね」
「姫様は泉水様とご結婚なさればいいのに。その方がきっと、この先幸せです」
 優花さんが力を込めてそう言うと、優花ちゃんの後ろで四神ががばっと勢いよく振り向いた。
「そんな。嫁がれるのは二ヶ月も先の話なのに」
 蒼士さんが若干眉間に皺を寄せて言うと、輝石君と聖黒さんが深く頷く。
「そうだ! それに優花が姫さまのお相手を決めたって仕方ないだろ」
「そうですよ。これは美月様がお決めになることです」
 そんな三人に反して、朱兎さんだけはじっと優花さんを見つめて、少し涙目になって急いで言った。
「優花。君はまだ嫁いじゃ駄目だから!」
 その言葉に優花さんが深い溜め息を吐いた。優花さんはものすごく鬱陶しいという表情を浮かべている。
「もう、いい加減にしてください。兄様は一体いつになったら妹離れしてくれるんです!」
「僕は優花のことを心配してるのに!」
 朱兎さんがいかにも悲しいという顔で優花さんを見遣る。音をつけるなら、まさにガーンというのがぴったりくる、そんな表情だった。
「それが迷惑なんです!」
 優花さんがきっぱりそう言い切ると、朱兎さんはしぼんだ表情をして拗ねてしまった。
「朱兎って見た目はあんな綺麗な顔してるのに、今まで女性に縁がなかったんです。なんでかって言うと、あの妹大好き度合いがどうにも女性に受け入れられなかったらしくて」
 輝石君が背中を丸める朱兎さんをにやにやしながら見つめて言うと、朱兎さんがそれを聞きつけたらしく、背筋を伸ばして顔をしかめた。
「僕はただ優花が心配なだけ!」
 そんな朱兎さんに向けて、聖黒さんが哀れむような視線を注ぐ。
「妹が可愛いというのは理解できなくもないですが」
「朱兎はいわゆるシスコンです」
 蒼士さんは口元に手を当てて、私に向かって小声で告げる。
「シ、シスコン……」
 朱兎さんの意外な一面を垣間見てしまった私は、少し引いた態勢になる。けれどそれに気づいたらしい朱兎さんが、私に理解を求めるように私の手を強く握った。
「姫君なら解かってくれますよね? 妹が心配な兄の気持ち」
 朱兎さんは同意を求める眼差しを一心に私に向けている。
「残念ながら、私には妹も弟もいないので、そういう気持ちは……」
 その視線を避けるようにして小さな声で答えると、すかさず輝石君が必死の形相の朱兎さんと困った表情の私の間にさっと割り込んだ。
「はい、そこ! 手を離す。姫さまが困ってるだろ。そんなことより、そろそろ帰りましょう。持ってきた食料も、これで底をついたことだし」
 輝石君が朱兎さんを無視してみんなに向かって告げると、全員がそれに頷いた。全員の淡々した様子に朱兎さんが「そんなことって!」と目を見開いて言ったけれど、みんなは既に後片付けに専念し始めていたので、朱兎さんはまたもや無視されてしまうこととなった。
「兄様も、もう少し妹離れしてくれればいいのに」
 優花さんが片付けをしながら肩を落として言った。
「でも、私は優花さんが羨ましいです」
 私は朱兎さんと優花さんを見比べながら言う。優花さんは信じられないといった表情を浮かべて私をまじまじと見つめた。
「どうしてですか? 四六時中あの調子なんですよ」
「だって、お兄さんって憧れます。前は蒼士さんが、ちょうど朱兎さんが優花さんを心配するように、私の心配をしてくれていて。ずっとお兄ちゃんみたいだなって思ってたんです。でも、今はその影が鳴りを潜めてしまって寂しいから」
 私が苦笑を浮かべながら言うと、優花さんも小梅さんも眉尻を下げながら、ぎゅっと手を握ってくれた。
「でも蒼士さんは、今でも姫様のこと思っていらっしゃいますわ」
 小梅さんがそう言うと、優花さんもその隣で力強く頷いた。
「今はきっとご自分のお立場を配慮されて、一歩引いてしまわれただけです。それは姫様にとってはお辛いかもしれませんけど……」
 二人があんまり一生懸命そう言ってくれるので、私は申し訳なくなって笑顔を作った。
「そうですよね。今でも蒼士さんは、蒼士さんのままですよね」
 二人は私の笑顔を見ると、少し寂しげな笑顔で「はい」と口を揃えた。
「そうだ、姫様。私のことは優花って呼んでください。私も十六で、姫様と同じ歳ですから」
 優花さんはぱっと話を切り替えて、笑顔でそう言った。
「いいんですか? じゃあお言葉に甘えて、優花ちゃんって呼ばせてもらいます」
 私もつられて笑顔でそう答えた。
「小梅さんはおいくつですか? 少し年上のように感じましたけど……」
 隣でお弁当箱を片付けていた小梅さんに訊ねる。小梅さんは目を上げると、ふんわりとした優しい表情を浮かべた。
「私は二十歳です。姫様と優花よりは少し年上ですね」
「なんていうか、小梅さんって理想のお姉さんっていう感じですよね。憧れます」
 私が思わず小梅さんに見惚れながら言うと、小梅さんは小さく微笑んでから「ありがとうございます」と照れたように言った。
「そうだ。お二人にお願いがあるんですけど」
 私がぽんっと手を叩いてそう言うと、二人は小首を傾げて私を見た。
「私のこと、名前で呼んでもらえませんか?」
 はあ、と小さく二人が答えるのを見て私は続けた。
「姫様って呼ばれるの、こそばゆくて。そもそも様づけされるような人間じゃないから、どうもしっくりこないんです。だから、名前で呼ばれた方がいいかなって思って」
「姫様は敬称を付けて呼ぶのにふさわしい方です」
 小梅さんはすかさずそう言ってくれるけれど、私は首を振って「お願いします」と一言付け加える。小梅さんと優花さんは暫くお互いの顔を見合わせてから、私に目を戻した。
「では、姫様がお望みでしたら美月様と呼ばせていただきますわ」
「私も美月様って呼ばせてもらいますね」
 小梅さんと優花ちゃんは微笑んで答えてくれる。私はほっと胸を撫で下ろして、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「まあ、頭を上げてくださいませ」
 小梅さんの言葉に私が頭を上げると、タイミングよく蒼士さんがこちらに向かって歩いて来ているところだった。
「そちらの片付けは終わりましたか?」
「あ、うん。終わったよ」
「では、そろそろ屋敷へ戻りましょう。あまり遅いと御当主も奥方様も心配なさるでしょうし」
 蒼士さんが目を細めて言うのに頷いてから、私は二人を改めて見つめた。
「じゃあ帰りましょうか」
 私が二人に向かってそう言うと、二人ともにっこり笑って頷いてくれる。それがとても嬉しかった。
 この世界で初めてできた女の子の友達だと思ってもいいだろうか、と考えていると、二人が私を挟んで歩きだす。そんな些細なことに心が弾む自分に、少しだけ照れくさくなった。

 

 

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