◆七◆

 

「では私から一つ訊こう。お前は澄花が物の怪に憑依されたとき、気がついたのか?」
 確かめるというよりは窘めるように、神野は静かに問う。その言葉に考えていた反論が一気に飛んで、俺は言葉を失ってしまった。
 桜井がアイツに取り憑かれていたとき、俺は気がついたか――答えは「気がつかなかった」だ。まったくもって気がつかなかった。桜井に取り憑ついたアイツに、俺はすっかり騙されて、信じ切っていた。
「澄花は確かに憑依体質だ。あの子の持つ波が物の怪のそれとよく合うから、上級の物の怪に取り憑かれてしまわれると私でもなかなか判断がつかない」
 神野はどこかぼんやりとしながらそう言った。
 だったら、と反論の糸口を見つけて口を開こうとすると、神野はそれを視線だけで制した。
「しかし、桐生千影は憑依体質ではない。桐生千影に物の怪が憑依することは至極困難だろうし、彼女に憑依しているのならすぐに分かる」
 神野はきっぱりとそう言い切ると、俺をじっと見つめた。
「神野……桐生を見てきたのか?」
「お前が私の力が必要だと言ったからな。調べた」
 神野は当たり前のようにそう言うと、続けた。
「お前の話を聞いて、私も憑依を疑った。だから澄花から話を聞いた――憑依体質の者同士なら惹かれ合うからな。澄花の方は桐生千影を気に入っているようだが、桐生千影の方は違う。それで憑依の可能性が消える」
「でも桐生は他人と距離を取ってるから――」
「他人と距離を取っている者でも、自分に近い人間には心を許してしまうものだ。例えば、お前が澄花にそうしたように。柊がお前にしたようにな」
 神野にそう言われて、今度こそ返す言葉が見つからなかった。
「じゃあ……じゃあ、神野は桐生のことどう思ってるの? 桐生は人間、それで憑依体質でもない。でも物の怪の気配がする。こうくれば桐生には物の怪が間違いなく絡んでるでしょ。神野の仕事ってこういうことを治めるためにあるんじゃないの?」
 何も言えない俺に代わってか、柊が訊ねる。
 神野の仕事は、物の怪が絡む厄介事を治める仕事だ。それは物の怪同士だったり、物の怪と人間の間のことだったり、多岐に渡る。
 俺は柊の問い掛けをもっともだと感じながら神野を静かに見つめた。
 神野は柊から俺へ視線を移して、そして言った。
「それを考慮した上で、私は関知しないと言ったのだ」
「どうして? 話をまとめると、桐生は物の怪に狙われてるんでしょ? 人間で憑依体質じゃないのに物の怪の気配がするってことは、桐生の身体は物の怪に狙われてるとか、乗っ取られそうになってるとかじゃないの?」
 わけが分からない、というように柊が身を乗り出してきた。神野は柊を見つめて、それから眉根を寄せる。
「そうだとしたら、私は手を出さなくてはならない」
「だったら――」
「そうではないから、私は何もしないと言っているのだ」
 神野は少し声を大きくする。苛立っているのが目に見えて分かるけれど、それを抑えようとしているようだった。
「私の仕事は簡単に言うと、物の怪同士、または物の怪と人間の間のトラブルを解決することだ。それは二人とも分かっているだろう」
 神野は低調な声を出す。綺麗に苛立ちを消した神野の声から、何らかの感情を読み取ることはできなかった。
「分かってる」
 視線を落として神野の手を見つめながら返すと、柊が俺の隣にまで出てきて座り直した。
「それは知ってるよ。だから僕は桐生のこと助けてあげなくちゃならないんじゃないのって言ってるんだよ」
「桐生千影が、二人が言っているように物の怪に身体を盗られそうになっているというのなら、私はそれを阻止する。そうしなければ神野の名を持つ者として、存在する理由がなくなるからだ。言い換えれば、私は物の怪が絡んでいる事柄の中で、人間の常識として逸脱していると思われるもの≠ノ関しては私の意思とは関係なく関与せねばならないということだ」
 神野はそう言うと、柊から視線を外して俺を見た。これで意味が通じるだろう、とでも言いたげだ。
 神野はいつもこういう言い方をする。そして神野にこの目で見られる度に、試されているような居心地の悪さを感じることを神野は知っているんだろうか?
 隣に目を遣ると、柊が不満そうにしかめっ面をしているのが見えた。どうやらはっきり言わない神野に腹が立ったらしい。
 俺は神野に気づかれない程度に嘆息して、それから考え始めた。
 物の怪同士、または物の怪と人間の間で起こった問題を解決するのが神野の仕事だ。神野が言っていたように、言い換えれば人間の意思に反した物の怪絡みの問題≠ェ起こったなら、神野は否応なしに解決に動かなくてはならない。
 では、今回の場合はどうだ。
 桐生からは物の怪の気配がする。桐生の言動から、彼女の身体には間違いなく物の怪がいると考えられる。
 しかし、桐生は人間だ。そのため、桐生がそのことに気がついているかどうかは不明――。
 順序立てて考えていると、視界の端で神野が湯呑みに手を伸ばしたのが見えた。いつでも悠長な奴だ。俺は必死で考えているというのに。
 むっとしながら視界の端から神野を追い出して、考えを進める。
 桐生が物の怪に身体を乗っ取られそうになっているのなら、神野は動かなくてはならない。桐生と物の怪の間に人間の常識から逸脱していると思われる*竭閧ェ起こっているのなら――。
 そこまで考えて、そう言えばと思い当たる。
 いつだったかの図書委員の仕事のとき、桐生は言っていた。「この世に妖怪や物の怪って、いるのかしら?」と。そしてこうも言っていた。「今日もきっとどこかで、物の怪が誰かの心に入り込んでいると、そう思うからよ」――つまり、桐生は知っているということか? 自身の身体が物の怪に「入り込まれている」ことを。
 だとしたら、神野が手を出さない理由は何だ? 桐生があんなにもゆったりと構えている理由は、何だ?
 ゆっくりと目を上げて神野を見る。神野は真っ直ぐ俺を見つめたまま、口を開かない。俺は今し方出したばかりの結論を口にするのを躊躇ってしまう。もし、これが事実なら、俺はどう動けばいい?
「響、お前は聡い子だ」
 神野は一言呟くと、湯呑みに視線を落とした。柊が視界の端で首を傾げたのが見える。
 俺は確かめるために、疑問の言葉を神野に投げかけた。
「桐生のことに関して神野が手出しできない理由は、桐生と物の怪との間で起きているのが問題≠カゃないからか?」

 

 

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