◆六◆

 

 柊と二人で神野を訪ねて、神野の顔を見るや否や開口一番「桐生について調べてくれ」と言うと、神野は大きな溜め息と共に「頭痛がする」と言ってこめかみを押さえ部屋に引き籠ろうとした。
 それをなんとか阻止して、神野を床の間の前に引き摺りだしたのが十分前。
 そして今の俺は、頑なに口を開こうとしない神野の前で、柊から質問攻めにあっている。
「違和感ってどういう意味ですか? 桐生は人間なんですよね? だったら人間じゃない違和感ってどういう意味ですか? それを確かめたって、どうやってですか? あの会話の内に確かめる時間なんてありましたか? 桐生に触れてもいないのに」
 不意打ちでぐいと大きく腕を引かれて、俺の身体はバランスを失った。ぐらりと揺れる視界の中、反射的に畳に手を付いてバランスを取った俺は、俺の腕を強く握る柊に目を遣った。
「教えてください。先輩。『それについては神野の家で』って言ったのは先輩です!」
「分かってる。ちゃんと話すから――だから神野」
「私は一切関知しない」
「まだそんなこと言ってるのか? 神野の仕事だろ」
「本当にそうかは分からないだろう」
「絶対そうだ」
 きっときつくした瞳を神野に向けてみても、当の本人はしらっとしてゆっくり瞬きをすると顔を背けた。
「先輩、違和感!」
 一方的に神野を睨む俺に、柊はいよいよ苛立った声を上げる。俺は未だに握られている自身の腕を、柊の手からそれとなく解放させながら口を開いた。
「違和感っていうのは、桐生の気配だよ」
 静かに告げると、柊が小さく首を傾げた。それを見て俺は続ける。
「確かにあの日、桐生から物の怪の気配がした。それは絶対に間違いがないんだ。だけど今はそれが鳴りを潜めてしまっている。それはどうしてだ? ……それにいつも微妙に変なんだよ、桐生の周りの空気って」
 桐生の姿を思い浮かべながら、ゆっくりと話す。俺自身も確信があるわけではないけれど、桐生からは人間の気配しかしないときでも落ち着かない空気が醸し出されている。こちらの方がなぜかそわそわするとでも言えばいいのか。
「普通の人間じゃないっていう気がする。高坂とかとは全然違うだろ」
「……まあ、言われてみればそうですけど……でもそれじゃあ桐生が物の怪っていう決定的な証拠にはならないんじゃないですか?」
 柊は困ったような表情で言ってから「そう言えば人間っていうのは納得してるんでしたっけ」と付け足した。俺はそれに頷いて、そして神野に目を走らせる。神野は相変わらず顔を背けていた。
「桐生は人間だ。それなのに物の怪の気配がする――そんなおかしなことってないだろ。だから神野の力が必要なんだ」
 神野はゆっくりと俺に顔を戻すと、軽く首を傾げてみせる。
「つまりお前はこう言いたいのか。桐生千影は物の怪に憑依されている、と」
 まるで相手を委縮させてしまうためのように、神野は声を低くする。柊がそろりと俺の後ろに退いたのが視界の端で見えた。
「そうだ。桜井みたいに、桐生も物の怪に憑依されてると俺は思う。だから桐生からはときどき物の怪の気配がする。人間の気配しかしないときでも、いつでも何かしらおかしな気配がする。それは――」
「桐生千影が憑依されているからだ、と?」
 神野は俺の言葉を勝手に引き取って告げる。真っ直ぐと射抜くように据えられた視線に首肯で返すと、神野はあからさまに大きく嘆息した。
「話にならない」
 ぞんざいに呟かれた台詞に、表情が強張る。
 これで妥当なはずだ。神野は桜井を呼んでまで話を聞いたのだ。それはきっと、何かしら桜井が――桜井の体質が関係しているからではないのか。それなら桐生も桜井と同じように物の怪に侵されているのではないのか。
 ぐるぐると廻る反論をまとめようと、唇を引き結んだまま頭を回転させていると、後ろから柊が訊ねてきた。
「ちょっといいですか、先輩? 桐生が物の怪に憑依されてる確かな証拠ってあるんですか? 『確かめた』って言ってたのは、物の怪に憑依されてるっていう証拠を見つけたっていう意味ですか?」
 少し後ろを振り返ると、困惑顔の柊がいる。俺はもう一度神野を真っ直ぐ見つめながら、柊に向かって話す。
「桐生が言ってただろ。『確かに跡をつけてるけど、ストーカーじゃない』って」
「はい。言ってましたけど、それが何か?」
「俺の台詞、一言一句違えずに桐生は言ったんだ。おかしいと思わないか?」
「おかしい、ですか?」
 柊は小さく唸ってから、確かめるように訊ねてくる。顔を伏せた神野を見つめたまま、俺は柊に向かって頷いた。
「俺があの台詞を言ったとき、桐生はどこにいた? 俺たちは彼女を尾行してたんだ。俺は声を落としていたし、それでなくても桐生との距離は十分開いていた。ざっと300mは後ろを歩いていたのに、俺たちの声が桐生にまで届くはずがない」
 俺はそう言って、柊を待たずに続けた。
「柊。君が善狐になったとき、耳はどうなる?」
「え? 狐耳になります。ふわふわの毛に覆われて――とても聴こえがよくなる。……人間のときとは、比べ物にならないくらい」
 柊はぽつりぽつりと呟きながら、何かに気が付いたようだった。
 あのときの桐生の聴力は、到底人間とは思えないものだった。その答えを当て嵌めるとすれば「桐生は人間ならざるものを身の内に潜ませている」しかない。
 じっと動かずに真っ直ぐ神野を見つめる。
 ここまで話したら、神野はどう出る? 挑戦的な眼差しを神野に注ぐと、神野は溜め息を零してから口を開いた。

 

 

back  怪奇事件簿トップへ  next

 

小説置場へ戻る  トップページへ戻る

 

Copyright © TugumiYUI All Rights Reserved.

inserted by FC2 system