◆五◆

 

「一つ忠告しておいてあげるわ。尾行したいのなら、波多野君ひとりですることね。そちらのお友達の声はよく通るわよ」
 桐生は少し首を傾げてみせる。艶やかな栗色の髪がさらりと流れた。蠱惑(こわく)的ともいえる眼差しと、声の冷たさにぞっとするほどの麗しさがあった。いつも何かと口を挟む柊でさえ、桐生を前にして何も言い返せないほどに。
「一応訊いておくわ。『どうして私をつけているの?』」
 桐生はまるで台本でも読むように、一本調子で言う。淡々とした様子なのに、いやに威圧感がある一言だった。
「どうして桐生をつけていると思うんだ?」
 なんとか一言そう返すと、桐生はそっと目を伏せた。長い睫毛に目がいってしまうような――いや、わざと相手にそれを見せているような行動だった。
「つけてきたんでしょう、私を?」
「どうしてそう思うんだ、って俺は訊いたんだけど」
 あくまでそう返すと、桐生は形の整った目を上げて俺を見つめた。
「私が学校を出てからずっと、波多野君とそちらの彼が私の後ろを歩いていたわ。それも一定の距離を保って。それを世間一般ではつけている≠ニ言うのじゃないかしら」
「そうだな。俺と柊が桐生の跡を追っていたんなら、な」
「……私をつけていたんじゃないって、そう言いたいのかしら」
「桐生が俺をどう思ってるかは知らないけど、俺は同じクラスの子をストーカーする趣味はない」
「あなたのことなんて、どうとも思ってないわ」
「俺も桐生のことなんて、どうとも思ってない」
 なるべく桐生のペースに呑み込まれないように、とそれだけを考えて彼女と対峙していたら、俺の唇はそんな失礼な言葉を紡いでいた。それに気がついた俺の脳は桐生に謝罪しろと命令を送ってきたけれど、俺はそれをなんとか無視して続けた。ここまできて、桐生に引き込まれるわけにはいかない。
「確かに桐生は綺麗だ。そのせいでストーカーされることもあるのかもしれない。でも俺は桐生を好きでもないし、好きでもない女をストーカーする暇なんてない」
 少し目を細めて桐生を見据える。桐生は「綺麗」という単語で顔を顰めた以外は人形のように整った顔を一ミリも動かすことなく、じっと俺の瞳を見つめていた。
 目の前の桐生から、以前感じた物の怪の気配はしない。それどころか、至って普通だ。普通の人間の気配しかしない。
 けれど何かがしっくりこない。パズルのピースが一つだけ、それも真ん中の重要なピースが抜けているような――いや。その逆で、何かとてつもなく余分なピースが、桐生千影という人間には不必要なピースが混ざってしまっているような、そんな違和感。
 桐生千影に対して確かめたいことが、二つある。
 一つは物の怪の気配についてだ。逢魔時を語った桐生から感じた、物の怪の気配。
 そしてもう一つは、この違和感だ。常にどこかで感じる、違和感。
 真っ直ぐ桐生を見つめてそれを捉えようともがくほど、するりとかわされるようなもどかしさを覚えて、俺は視線を逸らした。
 そして俺が顔を背けると同時に、鈴の音のような声が耳を打った。
「好きでもない女をストーカーする暇はなくても、私の跡をつける暇ならあるのね」
 桐生の言葉に背けていた顔を戻す。桐生は長い髪を手で払って、続けた。
「それは一体どうしてかしら」
「どうして俺が桐生をつけていると思うんだ?」
 先程の問い掛けを繰り返す。桐生は一瞬だけ俺から柊へ視線を移してから、もう一度俺を見据えた。
「聞こえたわ。波多野君の声はあまり通らないから一言一句間違っていないとは言い切れないけれど」
「何が聞こえたって――」
 柊が不審そうに言うのを桐生は遮って、思い出すようにしながら言葉を一言ずつ紡いだ。
「『確かに跡をつけてるけど、ストーカーじゃない』」
 ゆっくりと桐生の声で紡がれた言葉に驚愕に目を見開くよりも、不審に眉をひそめた自分がいた。
 桐生が言ったのは、ついさっき俺が柊に向かって言った言葉。
「波多野君は律義なのね。ストーカー≠ニいうことは否定したけれど、跡をつけている≠ニいうことについては否定しなかったもの」
 桐生はそう言うと、続けて言葉を継ぐ。
「私はストーカーも嫌いだけれど、跡をつけられるのも嫌なの。もうやめてくれるかしら」
 何も言い返せない俺を見つめてから、桐生は髪を揺らして踵を返した。真っ直ぐに伸びた背筋が、段々と遠ざかって行くのを暫くの間見送って、それから俺も踵を返す。
 前を見つめて歩いていると、ぱたぱたと追ってくる柊の足音が耳に届いた。
「先輩、いいんですか? 引き下がっても」
 俺の隣に並んだ柊は、開口一番そう訊ねてくる。俺は前を見たまま頷いた。
「今はこれで十分だ。また明日か明後日か――いや、まずは神野に頼む」
「あの、僕には何が何だかさっぱり――先輩と僕のストーカー疑惑は晴れたっていうのは分かったんですけど、でも跡をつけてたっていうのは否定できてないままですよね?」
「そうだけど、それは重要じゃない」
「えっ!? 重要ですよ! だってこれから桐生を探るんなら、下手に警戒されたら困るじゃないですか」
 柊は立ち止まってちゃんと話そうとしない俺に痺れを切らしたのか、俺の前に回り込んで両手を広げて立ち塞がった。
「何でですか? 先輩はもう納得がいったってことですか? 僕はやっぱり桐生からは人間の気配しか感じませんでしたけど、先輩も桐生は人間だって納得したんですか?」
 少し怒っている様子の柊を見下ろして小さく息を吐いてから、俺は口を開いた。
「桐生が人間だってことは最初から納得してる」
 ゆっくりと告げると、柊はますます分からないというように複雑そうな表情を浮かべた。
「俺が今日、確かめたかったのは違和感についてだ」
「違和感って――」
「それはもう確かめたから、今日のところはこれでいい。だから早いところ神野のところに――」
 そう言って再び歩き出そうとすると、柊は俺の身体を両手で押し止めた。
「待ってください! 違和感って何ですか?」
「桐生が人間じゃないっていう違和感」
 そう告げると柊が疑問を口にすることは分かっていたので、俺はすかさず付け足した。
「それについては神野の家で」

 

 

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