◆十一◆

 

「神野。俺、柊を知りたいんだよ。柊は俺を頼ってきたんだ。俺だけを頼ってきたんだよ。柊が不意にみせる寂しい表情が、空虚な瞳が、まるで数ヶ月前までの自分を映し鏡で見ているみたいで、辛かった。だから、俺が柊の力になれるなら、なりたいんだよ」
 俺は目を閉じたきり動かない神野に向かって、言葉を選びながら告げる。
 神野はそっと目を開けると、呟くような小さな声なのに、はっきりとした意志の強い声で言った。
「湖塚柊は厄介だ。あれは後々、化けるかもしれない」
 俺は拳を強く握る。神野は十分な間を取って、言葉を続けた。
「湖塚と神野は、遠い昔にまで遡れば、接点があった家柄同士だ。もともと私の家はこういう仕事をしていたし、湖塚はその頃は完全な善狐で、それを私たちは使い魔としていた。湖塚との間に契約を結んでな。だが、あるとき私の家が一方的にその契約を破ったと聞いている。おそらく、使い勝手でも悪くなったのだろうな」
 神野はそこで言葉を切ると、浅く呼吸を繰り返してから、やがて再び口を開けた。
「さっきも言ったが、湖塚家は狐の血を引いている。特に湖塚柊からは、その血の濃さが感じられた。血の濃さはつまり、力の強さだ。あいつは後々厄介になる。今のうちに手を引け」
「それはつまり、柊が狐になるかもしれないって言いたいのか……?」
 神野は俺へ視線を落とすと、躊躇いなく頷く。
 まさか、あの柊が狐になるって、本気でそんなこと言ってるのか?
 信じられない。嘘だって言って欲しい。
 けれど神野の顔からは、嘘だというようなことは一切読み取れなかった。その顔にあったのは、嘘偽りない真実だけだった。
「狐になる――それよりも厄介かもしれないがな」
 神野はぽつりと呟くと、空を見上げた。
 その言葉の意味を訊こうと神野を見つめたけれど、そのまま言葉は舌の上で消える。それ以上話すつもりはないという神野の無言の宣言に、俺は諦めて長く息を吐き出した。

 

 

 長いゴールデンウィークが開けて、学校初日。
 俺は朝、教室の中を覗いた途端に落胆の息を吐き出した。「仕方がない。これは予想どおりだ」と自分を奮い立たせながら鞄を机の上に置くと、すぐさまC棟へと向かう。
 いつもなら教室に入るや否や、柊が待ち構えていて、他愛ない話をずっと俺の隣で夢中になって話していた。やがて桜井が登校してくると、桜井といつも仕様もないことで言い争っている。
 それがすっかり朝の風景と化していた俺にとって、今日の状況は予想範囲内だったとはいえ、やはり少し胸が痛んだ。
『もう僕に、先輩は要らない』
 その一言が、柊の悲痛な胸の叫びに思えてならなかった。あれは俺を傷つけるための言葉じゃなくて、むしろ、柊自身を追い込む言葉ではないかと、感じずにはいられなかった。もしかしたら、俺が柊と関わっていたいがために、そう思えているのかもしれないけれど。
 C棟、柊の教室の前。俺は中をちょっとだけ覗いてから、すぐに顔を引っ込める。教室の中に柊の姿は見当たらなかった。
 てっきりもう学校に来ているものだと思っていた俺は、少し困惑して一年生の教室の前で一人、佇んでいた。
 前を歩く一年生の無邪気で疑問そうな視線が、容赦なく俺を襲う。
 この高校は、ネクタイやリボンの色で学年の区別がなされているのだ。一年生はえんじ色で、三年生は濃紺を指定色とされているために、一年生のフロアで濃紺のネクタイを締めている俺は、誰の目から見ても浮いているということだ。
 そんな空気に猛烈な居心地の悪さを感じながらも、じっと柊を待つ。
 とにかく、話をしなければならないのだ。
 壁に背中をもたせかけて、腕組みをして、廊下に視線を落とす。そのポーズを取ってから少なくとも十分は経過した頃、やっと柊が姿を現した。
 神野に言われたせいもあって、注意深く柊の気配を読んでみると、確かに常人とは違う気配が感じられた。空気の揺らめきとでも言おうか、柊の周りにある空気が少し彼から距離を置いているような、そんな不思議な気配だった。
 階段を軽やかに駆けあがってきた柊と視線が交錯する。
 俺が声を掛けようと口を開いた瞬間に、柊は俺から顔を背けて厳しい顔つきになった。
 それで負けていられない俺は真っ直ぐ柊に近付いて行くと、教室のドアの前に立ちはだかった。
「おはよう、柊」
 意識してにこりと微笑むけれど、柊は固い表情のままだ。
「今日は俺が柊に会いに来た。委員の仕事でもあったのか?」
 制服のズボンの膝部分に、少しだけだけれど土がついていた。きっと膝をついて作業していたのだろう。
 柊は俺の視線からそれを見つけると、無言で土を払い落す。「植物は好き」だと言っていた柊の顔が、頭を過った。柊は自分の服を汚してまで何かをするようなタイプには見えない。けれど、植物のためならそれが出来るのだろう。
 柊はすっかり土を払い落すと、俺の方は見向きもせずに言った。
「どいてください。教室に入れないので」
「わざとどいてないんだよ。話があるから」
「そうですか。でも僕にはあなたとする話なんてないので」
「柊に話がなくても俺にはあるんだよ」
「あなたに話はあっても、僕にはないんだって言ってるじゃないですか。しつこいですね」
「しつこいのはお互い様だと思うけどな」
 延々とループしそうな会話を無理やり終わらせて、腕時計で時間を確認する。まだ始業まで二十分は時間があった。
 それから俺は、柊の腕を引っ張って、無理やりゆっくり話ができそうな場所まで連れて行くことにする。柊は俺の手が触れた瞬間にびくりと体を強張らせたけれど、すぐに力を抜いて大人しく俺の後ろをついてきた。
 この間のように振り払われるのではないかと構えていただけに、拍子抜けする。けれど俺はそれ以上にほっとしながら、適当な場所を探し始めた。
「……どこまで行く気ですか。迷惑なんですけど」
 後ろから届く柊の抑揚のない声。
 その声に胸が締め付けられるのを感じながら、それをあえて気付かないふりをして俺は言った。
「話ができるところならどこでも良いんだけど――図書室は? この時間帯だと閲覧室に人はいないからゆっくり話せる。誰かに聞かれる心配もないだろうし」
「じゃあ、そこでいいです。あなたの話を聞いたら、すぐに僕は教室に戻りますから。それ以降は一切、僕に関わらないでください」

 

 

back  怪奇事件簿トップへ  next

 

小説置場へ戻る  トップページへ戻る

 

Copyright © TugumiYUI All Rights Reserved.

inserted by FC2 system