◆十二◆

 

 どうして柊は、こうも態度を変えてしまったんだろう。目の前で冷淡に俺を見据える柊を見て、俺は思わず考えてしまった。
「それで、何なんですか? 話って」
 柊は冷たく言うと、俺から視線を逸らした。
 誰もいない閲覧室。堂々と真ん中の席に陣取った俺たちは、まるで互いが敵だとでもいうように向かい合って座っていた。
「神野から聞いた。柊の家のこと」
 回りくどく話し始めても埒が明かない。そう思った俺は、単刀直入に斬りこんだ。
「そうですか。それで? わざわざ僕を罵りにきたんですか?」
 いびつな笑みを浮かべて柊が言った。
 その言葉の意味が分からず、俺は小さく首を傾げた。
「どうして俺が柊を罵るんだ?」
「僕がバケモノだから」
 柊は自嘲気味に笑んで、目を伏せた。
「僕の体には、人間じゃない狐の血が流れてるから」
 その言葉は、まるで自分を傷つけるために言っているように感じる。そして分かった。
 柊はきっと、こういうことを言われたことがあったのだろう。そしてきっと、この言葉にひどく傷つけられたのだろう。それが彼にとってどれほど酷な言葉だったのかも、痛いほどに伝わってきた。
「あなたは人間でしょう。完璧な普通の人間。だから、もう僕には近付かないで――」
「悪いけど、それは出来ない」
 俺は柊の言葉を遮って言った。
「最初に俺に助けを求めてきたのはそっちだろ。俺は途中で投げ出したくない」
 俺がきっぱりと言い切ると、柊は反論するためか、口を開いた。けれど俺はそれすらも遮った。
「柊。君が俺に近付いた理由、分かったよ」
 俺が静かに言うと、柊は悲しそうな顔をして口を閉じた。
「柊は俺の中に、俺が纏う空気に、自分と同じものを見つけた。それは多分、目ではっきりと見えるものと、感覚的なものの二つがあった。一つは俺がずっと周りと壁を作って一人でいたこと。もう一つは、俺の体質だ」
 俺は神野の話を聞いて以来、考え込んだ末にやっと導き出した答えを声に乗せる。
「だけど俺には、柊が考えていたような妖怪の血は流れてない。柊と俺は同じじゃない」
 俺が言った瞬間、柊は深く俯いてしまった。それを目の当たりにして、これ以上どう言葉を続けたらいいのか途端に分からなくなってしまった俺は、ただ柊を見つめた。
 しんと静まり返った閲覧室。すべての音が遮断されたようなその部屋の中に、嗚咽が混じった。
「先輩は僕と同じだと思ったのに……僕の気持ちを、分かってくれるって、思ったのに」
 柊は体を戦慄かせて、嗚咽を抑えながら、聞き取るのも難しいような小さな声で呟く。
 彼の俯いた顔から、透明な滴が落ちたのが見えた。
「僕と同じように人間じゃない者の血が流れてるんじゃないかって。僕と同じようにきっと辛い思いをしてきたって。僕の気持ちをきっと分かってくれるって」
「……ごめん。柊の気持ちは分からない」
 小刻みに震える柊を見つめて、俺は絶望的な気持ちを抱いていた。
 柊は俺の言葉を聞くと、手で嗚咽の漏れる口を覆った。その行動が痛々しくて、辛くて、見ている俺の方がどうにかなりそうだった。
「分かってます。それを責めるつもりは僕にはない。仕方ないから――人間だもん。僕の気持ちなんて理解できなくて当然だし、理解できない方が良いんです」
 柊は言うと、そっと立ち上がってそのまま出て行こうとする。
 俺はそれを見て取ると、慌てて柊の手を掴んだ。その手は涙でだろう、少し濡れていた。
「待って。俺の話はまだ終わってない」
 柊を真摯に見つめる。柊は少し驚いたように涙に濡れた瞳を大きく見開いた。
「俺はたしかに人間だ。でも、普通の人間とはちょっと違うんだ。柊だって俺に違和感を覚えたんだろ? 周りの人間とは違うって。君が感じた違和感は間違ってない」
「……どういうことですか?」
 柊は怪訝そうに、というよりは怯えたように俺を見つめていた。
「俺は物の怪を惹きつける血を持ってる。俺の肉を食い血を飲めば、物の怪は力を得ることができるらしい。あと俺は、物の怪の気配を読むこともできる。まあこれは、神野と一緒にいて磨かれた感覚なんだけどね」
 俺はそう言って、引き止めていた柊の腕を離した。
 柊がそのまま立ち止まって話を聞いてくれるという確証はなく離した手だったけれど、柊は立ち去らずにその場にいてくれた。
「俺は小さい頃からこの血のせいで面倒事に巻き込まれてた。ちょっと前は、それでかなり厄介なことになったんだけど、今はそういう心配もなくなった」
 柊は黙って俺の隣の椅子に腰かけると、疑るように俺の瞳を覗き込んだ。
「――話に聞いたことがあります。そういう人間がいるって。じゃあ、先輩はそういう類の人間だってことですか?」
「そういうことになる」
「でも、こうも聞きました。そういう人間は大抵、赤ちゃんの頃に物の怪に殺されるって。でも……先輩はどう見ても赤ちゃんじゃありませんよね」
 柊の台詞に「これは笑っていいところなのか」と一瞬思う。けれどあまりにも柊の目が真剣だったので、俺も真剣に返した。
「赤ちゃん、ではないな」
「ですよね。どう見ても高校三年生です」
「でも柊の言ってることも間違いないらしいよ。俺は一歳のときに物の怪に襲われたんだよ。でも、命を懸けて俺を救ってくれた人がいた。それから十五年後、また同じ物の怪に襲われたけど、それも自分の体を懸けてまで守ってくれた人がいたんだ。だから俺は今、ここにこうして生きてる」
「自分の体を懸けてまで先輩を守った人って……神野家の人間ですか」
 淡々と柊が問いかけてきた。俺はその問いに頷くと、口を開いた。
「知ってるのか?」
「はい。神野家のことは、湖塚にも伝わっていますから」
 柊は淡泊にそう告げる。
「もっとも、今となっては湖塚で神野家のことに詳しい者はあまりいませんよ。もうほとんど人間と同化してる家ですから。僕なんかは出来損ないで、狐の血が濃く出たみたいだけど」
 柊は目を伏せる。それから片側の唇だけを引き上げて笑ってみせて「だから僕は神野家とか狐塚の時代のことを、文書を漁って知ったんですけどね」と言った。
 柊はぼんやりとした目で、本が端から端までずらりと並んでいる本棚を見つめていた。その瞳が本当に映しているものが、目の前にある本棚ではないことは明らかだった。
「柊。君は俺に何を望んでたんだ? 俺に出来ることは本当に何もない? 俺は知ってる。柊が一人でいること。ずっと一人でいただろうこと。俺は自分に出来る限りのことを君にしたい」
 救いたい。その思いは、願いとなって俺の心を満たしている。
 柊の影に自分が見える。
 柊が経験して、そして今抱いている気持ちを、俺は本当の意味では理解出来ないということは分かっている。けれど、それを理解したいと思う。もう寂しそうな柊は見たくないと思う。
「先輩って、お人好しですね」
 柊はおかしそうにそう言うと、突然顔を歪める。膝の上で突っ張った手は、白くなるほど力強く握りしめられていた。
「僕は先輩に理解して欲しい。他の子たちが幸せそうに友達に囲まれてる中で、ずっと独りでいた気持ち。この先、自分がどうなるのか分からない気持ち。世界中の人たちが心配しなくて済むようなことを、ずっと考えなくちゃいけない気持ち。この体に流れる血が、他の人とは違う、心細い気持ちを」

 

 

back  怪奇事件簿トップへ  next

 

小説置場へ戻る  トップページへ戻る

 

Copyright © TugumiYUI All Rights Reserved.

inserted by FC2 system