◆八◆

 

「ごめん。嫌な思いさせて……」
 神野の屋敷から桜井を家へ送る道中で、俺は申し訳なくそう言った。すると桜井は俺を見つめて、可笑しそうに微笑んだ。
「どうして波多野君が謝るの?」
「だって、俺が神野の所まで桜井を連れて行ったから」
 俺が小さな声でそう返すと、桜井は空中へ視線を漂わせてうーんと唸ってから、俺へ視線を戻した。
「でも波多野君は私を思って連れて行ってくれたんでしょ?」
 桜井はそう言うと、そっと俺の顔を覗き込んだ。
 確かにそうだった。桜井が俺と同じように辛い思いを抱えてきたかもしれないと思えばこそ、神野の元へ連れて行ったのだ。俺を見捨てずにいてくれた神野なら、桜井をなんとかしてくれるんじゃないかと思っての行動だった。
 けれど神野の対応は期待していたそれとは全く逆だった。桜井の存在を認めないような、自分には関係ないというようなその態度を、桜井の目の前で取ったのだ。神野はいつも自分に正直で、ストレートに言葉を投げかけて来る人で、それは神野の長所でもあったけれど、今はそれが間違いなく短所として如実に表れている。
 俺は無言で桜井の言葉に頷くと、桜井はにっこりと微笑んだ。
「なら波多野君が謝ることないよ。それに、私のこと守ってくれるんでしょ?」
 桜井は少し茶目っ気を出してそう言うと、立ち止まった。その顔は一瞬のうちに真剣な表情に変わっている。
「波多野君、ありがとう。本当にありがとう」
 心を込めるように俺の目をじっと見つめながら、桜井は言った。
 あまりに丁寧にお礼を言われたことに、俺は少し面食らって桜井の顔を凝視してしまった。すると桜井は少し頬を染めて、ぱっと俺から視線を外した。
「そんなに見なくても良いじゃない」
 桜井の言葉にあまりに不躾に見つめていたことに気付いて、俺はすぐさま視線を外す。
「ごめん、悪気はないんだ」
 桜井は俺の様子に可笑しそうに笑いながら、別に良いよ、と言った。
 それから暫く、俺たちは何の会話もせずにただ黙々と歩き続けた。俺はその静かさが嫌いじゃなかったし、別段話す事柄もなかったのでそのまま歩き続けていたけれど、桜井にはその沈黙が辛かったようだ。そわそわと何度も俺の顔色を窺いながら、唐突に声を上げた。
「あっ、そうだ。波多野君、クッキー食べてくれた?」
 突然掛けられた声に、一瞬何の話だか理解できなかった俺は、首を傾げて桜井を見つめる。そしてすぐに昼休みに渡された、あの小包の話をしているのだとひらめいた。
「ごめん、まだ食べてない」
 申し訳なさそうな表情を浮かべて桜井を見ると、桜井はやっぱりという表情を浮かべていた。
「多分、まだ食べてくれてないと思ってたけど。休み時間もぎりぎりだったしね。……でも、もしかしてまだ包みも開いてない?」
 桜井は苦笑を浮かべながら、俺を見上げた。つられて俺も苦笑を浮かべながら、桜井を見やる。
「ごめん。まだ」
 短くそう言うと、桜井はまたしてもやっぱりという表情を浮かべた。それは、苦笑というよりは寂しげな表情だった。
 それを見て咄嗟に、あの時は弁当を食べるので一杯一杯で、と言いかけたけれど、それはあまりにも言い訳がましく聞こえるように感じて、口を閉じた。
 すとん、ともう一度、二人の間に沈黙が下りる。何か話しかけた方が良いのかな、とぼんやりと思うけれど、女の子が喜ぶような会話も分からなかった俺は、何も話しかけることができなかった。今度は桜井も何か話題を提供してくれる様子は見せず、二人はただ無言で桜井の家を目指した。
 いつもならそんなに距離があるとは思えない道のりなのに、この時はそれが果てしなく遠く思えた。

 

 

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