◆七◆

 

 神野の屋敷の門は開け放たれていた。きっといつものように庭の剪定をしているのだろうと、そう思って俺は門へ向かって歩き出した。門が開け放たれている時は、いつも勝手に邪魔させてもらっていたのだ。
 けれど桜井は、知らない人の家に、しかもこんな立派な屋敷に無断で入ることに気兼ねしているようで、おろおろと周りを見渡すと、足を止めた。
「ねえ、波多野君?」
 小さな躊躇(ためら)いがちの声が後ろから聞こえて、俺は振り向いた。
「どうかした?」
「勝手に入って良いものなの?」
 そう言うと桜井は、開け放たれた門の中に見える、立派な佇まいの屋敷を見つめた。その顔には気後れさえちらつかせている。
「大丈夫。門が開いてる時は、勝手に出入りしてるし。それに、桜井は俺と一緒にいるんだから、心配しなくて良い」
 そこまで俺が神野に信頼されているかと言えば疑問符がつくのは否めないが、今は堂々としていないと桜井が逃げ出してしまいそうだと直感したので、俺は無意味に胸を張って安心させるように微笑んだ。
 その微笑みに少し安心したように、桜井は意を決して頷くと、俺の後について門の敷居をまたいだ。
 その瞬間、空気が一瞬にして変わった。ざっと突風が巻き起こり、それは竜巻のように周りの落ち葉を巻き込んで、一瞬にして桜井をすっぽりと包み込んだ。桜井は声を出すこともできず、急に自分を取り込んだ突風の中でぎゅっと目を瞑り、飛ばされないように足を踏ん張っている。
「桜井!」
 俺が慌てて叫んで彼女に近づくと、その突風は徐々に勢いを落として、最後には枯れ葉を力なく地面に落とすと、桜井を開放した。
「大丈夫!?」
 走り寄って、制服や髪に付いている枯れ葉を落としながら、桜井の顔を覗き込む。
 桜井は咄嗟の出来事に言葉を失って、真っ青な顔色をしていた。
 桜井はぼんやりと俺に視点を合わせるとすぐに、俺の後ろに立つその人に気付いて、さらに血の気が引いた様子で、息を呑んでその人を見つめた。
 俺は桜井の視線の先を追ってすぐさま振り返ると、そこには驚きの表情を浮かべた神野が、剪定ばさみを持って立ち尽くしていた。
「神野?」
 俺は遠慮がちにそう声を掛けるけど、神野には俺の言葉が届かないように、桜井をじっと見つめ続けていた。その表情は、驚きから怪訝に、それからさらに警戒へと色を変えている。
 神野はぽつりと、聞き取れない程の小さな言葉を空中に投げかけると、すぐに自分で自分の言葉を否定するように頭を左右にゆっくりと振った。それから表情を和らげて、やっと桜井から視線を外すと、今度は俺を見据えた。
「……響。門を閉めてくれ。それからその子を連れて中へ入りなさい」
 神野はそう言うと、さっと踵を返して玄関へ向かった。

 

 

「それで」
 神野は桜井と俺を屋敷の中へ通すと、ゆっくりと口を開いた。その様子は未だに、どこか警戒心が含まれているようだった。
「彼女が昨日言っていた、物の怪に襲われていた子、か?」
 じっと桜井を見つめながら、神野は淡々とそう言う。桜井は遠慮することのない視線を正面から受け、それに耐えられずに畳に視線を落としたようだった。
「そうだよ」
 桜井の代わりに神野を見つめ返して、俺はそう答えた。神野は俺の答えを聞くと、さらにじっと桜井を見つめてから、ふっと息を吐いた。
「……そうか」
 神野はそう言うと、納得がいったのか、いつもの飄々とした様子に戻った。
「ところでさ」
 そんな神野を見やりながら、俺は桜井をちらりと横目に見て言った。
「さっきの何?」
「さっきのって?」
 神野は不思議そうな表情で俺を見つめた。まるで理解できないという様子だ。
「だから、さっきの。門をくぐった時に、いきなり突風が桜井を包み込んだんだ」
 俺は身振り手振りでさっきの様子を神野に伝えながら訴える。それでも神野は小首を傾げて、しげしげと俺を見つめ続けた。
「さあ、何のことだ?」
 その神野の様子に唖然と口を開いて、俺は小さな声で呟いた。
「……気付かなかったのか?」
「だから、何のことだ」
 神野は柄にもなく少し苛々とした様子で続けた。その様子を見て、俺はぽかんとした表情で神野を見つめた。
 どうやら神野は何も気付かなかったらしい。でもあの神野が気付かないなんてこと、有り得るんだろうか? さっきの突風はどう見ても自然に発生したものではない。明らかに何かの力が働いていた。
 それを神野が気付けないとなると、一体――?
「桜井は? さっきの突風、ちゃんと覚えてるよね?」
 そっと俺が桜井にそう言うと、桜井はやっと畳から視線を外して俺をおずおずと見上げた。そして答えを話す代わりに、ゆっくりと頷いた。
「何か心当たりとかない?」
 続けて俺が質問すると、桜井は少し考える様子を見せて、そしてゆっくりと首を振った。
「じゃあ、さっきのは一体……」
 俺が考えるように視線を落とすと、神野はちらりと外を見つめて、それから口を開いた。
「とにかく今は何事もない。妙な気配もしない。だから安心しなさい」
 神野が落ち着いた声でそう言うと、桜井はほっとした様子を見せてから俺へ視線を走らせた。どうやらこの場にいるのが辛いらしい。桜井の瞳から、自分は場違いな場所にいるのではないか、という疑問がありありと見て取れた。
「それで、その子も物の怪が見えるのか?」
 神野は桜井の様子を気にすることなく見つめながら、静かに言った。桜井は神野の口から自分の話題が上ったことに気付いて、俺から神野へおずおずと視線を移した。けれどその口から言葉は出てこない。
 桜井は言葉を失ったように神野を見つめ返しているだけだったので、俺が代わりに口を開いた。
「ああ、見えるらしい」
 俺がそう言うのを聞くと、桜井は勇気が湧いたとでもいうように瞳に輝きを取り戻して、ゆっくりと口を開いた。
「見えます。それで、昨日は波多野君に助けてもらいました」
 その様子とは違って、桜井の声はしっかりとしており説得力があった。
「助けてもらった、ということは、襲われていたのか? 君が」
 神野はじっくりと相手を探るような視線を桜井へ向ける。桜井はその視線に怖気づきながらも、神野から視線を外さずに頷いた。
「そうか」
 神野はそう言うと、やっと桜井から視線を外して、今度は俺を見つめた。それが何か物言いたげな様子だったので、俺は首を傾げて神野を見返した。
「……何?」
 俺のその様子と言葉に神野はあからさまに溜め息をついて、面倒くさそうに言う。
「それで、この子のことで私にどうして欲しいんだ。何かあるからこの子を連れて屋敷まで来たんだろう」
「ああ、そうか。……単刀直入に言うけど、桜井に小刀とか霊符とか、貸してもらえないかな」
 俺は納得してから、少し遠慮がちに神野に告げた。自分が神野の世話になっている身分で、よくこんなことが言えるなと自分で呆れながら。けれど、桜井を放ってはおけなかった。この無防備な状態では、いつまた物の怪に襲われるか分からない。
 神野は俺を見つめてから、さっと桜井に視線を走らせた。
「悪いが、それはできない。他のことならできるが」
「どうして?」
 俺が驚いてそう声を上げると、神野は畳に視線を落として続けた。まるで畳の目がいかにも興味深いとでもいうように、じっと畳に魅入りながら。
「私の力を入れた小刀も、霊符も、彼女には貸せない」
「どうして?」
 訳が分からなくて再度俺が疑問を繰り返すと、神野はようやくまっすぐ俺を見つめた。
「響、出来るだけお前が彼女を守りなさい。小刀はいつも携帯して、霊符は十分な量をお前に渡そう。必要なら私を呼んでくれても良い」
 そこで神野は言葉を切ると、神野と俺を交互に見やる桜井へ視線を移した。
「私の力は、彼女には合わないだろう。少しの間、小刀を持ったり、霊符を使用するぐらいなら大丈夫だろうが、いつも携帯するには彼女と私の力は違いすぎる。彼女はお前とは違って私の力に耐えられないだろう」
 神野の淡々としたその言葉の意味が理解できなくて、桜井と俺は同時に首を傾げた。
「……それは、どういう意味ですか?」
 俺が口を開く前に、桜井が小さな声で神野に言葉を投げかける。その声は疑問の色をはらんでいる。
「つまり、君の力と響の力は格が違う。響の力は強い。だから私の気が入ったものを持っていても、響には何の異常もない。だがそれに比べて、君の力は微かなものだ。その力で私の気が入ったものを持っていれば、君の体は耐えられないだろう」
 神野は桜井と俺を納得させるようにゆっくりと説明し終えると、空を見上げた。
 それは、もうこれ以上は何も話す気がないという合図。
「……分かった。なら、俺が桜井を守るよ」
 (さじ)を投げるような神野の行動に、少し不快感を抱きながら、俺は桜井を見据えて言う。
 仕方ないことなのかもしれない。神野の気が入ったものを持って、もし桜井に異常があればそれは困る。けれど、神野の態度はあまりにも冷徹に思えた。
 桜井は、ぼんやりと空を眺める神野に送っていた困惑の視線を俺へ向けた。俺が桜井に一つ頷いて見せると、そこでようやく桜井はほっと息を吐いて、感謝するように小さく微笑んだ。

 

 

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