◆六◆

 

 ホームルームが終わって帰り支度をしていると、周りの視線が突き刺さっていることに気付いた。きっと昼休みの桜井と俺のやり取りを気にしてのことだろう。けれど俺は、その視線には気付かないふりをして、さっさと教室を出ることにした。何か尋ねられても困ってしまうからだ。
 が、教室を出ようと歩き始めた途端、肝心の桜井のクラスが何組なのか知らないことに今更気付いた。
 桜井のことだから、自分のクラスのホームルームが終われば、ここまで足を運んでくれるだろう。けれど今、教室のドア付近に桜井の姿は見つけられない。ならば、ここはやっぱり俺が迎えに行くべきだろう。
 俺は昼休みに桜井と話していた女子を見つけ出すと、友達と喋りながら鞄に荷物を入れ込んでいる彼女に話しかけた。
「帰り支度してるところ、ちょっとごめん。桜井のクラスって何組か知ってる? 知ってたら教えて欲しいんだ」
 突然話しかけられたその子は、手の動きを止めて大きく目を見開いて俺を凝視した。
「あの」
 俺が遠慮がちにそう言うと、その子ははっとして少し頬を染めた。
「ご、ごめんね。えーと、澄花のクラスだよね。……何組だっけ?」
 言いながら途中で桜井のクラスの記憶が突然抜け落ちてしまったらしく、その子は慌てながら勢いよく友達の方を向くと小声で尋ねた。
「二組だよ」
 突然話を振られたその友達は、その子にではなく俺に向かって冷静にそう言うと、隣で慌てている友達を見やった。
「ありがとう」
 二人に向かってそうお礼を言うと、俺は教室を出て二組へと向かった。

 

 二組は案の定、ホームルームがまだ終わっていなかった。廊下にまで教室の中の声が聞こえてくる。ドアが閉め切られているために、中で何を話しているかまでは聞き取れず、ぼそぼそと声が耳に入ってくるだけだった。
 教室の前で壁にもたれかかって、授業が終わるのを待つ。その間、俺の目の前を何人もの人が通り過ぎる。俺は無意識のうちに、友達同士で歩いて行くその人たちをじっと見つめていた。
 そのことに不意に気付いて、心の中で苦笑を浮かべる。
 やっぱり強がりなのかな。友達付き合いに憧れるし、羨ましい。それが生活の一部として当たり前にあることが、どれだけ恵まれてることか、彼らは分かってるんだろうか。
 俺が後一歩踏み出せば、そういう生活が手に入るのかな。だけどそれで誰かに迷惑がかかったら……?
 廊下に目を落として、独りそんなことを思っている時が一番虚しい。けれどその虚しさも、結局は俺一人で消化しなくてはならない感情だった。
 堂々巡りのその思考を止めさせるように、教室の中からざわざわと声が聞こえてきた。
 そしてがらりとドアが開かれた。
 そこには息を切らしながら目を見開いた桜井が立っていて、俺を見つけて驚いている様子だった。
「終わった? なら帰ろう」
 桜井の様子に気付きながらも俺は平静を装って、桜井に声を掛ける。
「う、うん」
 桜井はそう返事をすると、教室の中に残っている友達に手を振りながら、ばいばいと声を掛けて、歩き出した俺を小走りで追い掛けた。
「ちょっとびっくりしちゃった。まさか波多野君がわざわざ教室まで来てくれると思わなくて。それに、私のクラスとか知らないんじゃないかとも思ってたし。だから急いで波多野君のクラスまで走らなきゃ! って思ったんだよ」
 俺に追いついて桜井は笑顔でそう言った。
「俺のクラスの方が授業早く終わったみたいだし、それに話があるのは俺なんだし。迎えに行くのが筋だと思って。……ただし、桜井のクラスは知らなかったから、同じクラスの女の子に――ほら、桜井が昼休みに話しかけてた子に――聞いてきたんだ」
 俺の言葉を聞くと、桜井は頷いて、昼休みの話の続きを促すような目で俺を見つめた。
 俺はそれに気付いて、少し複雑そうな表情を浮かべながら話を切り出した。
「そのことなんだけど……」
 そう切り出したはいいものの、この後どう言葉を繋げるか考えていなかった俺は、そこで言葉を止めた。
「……とりあえず、学校から出てから話そう。できるなら、二人で話したい」
 俺がそう言うのを聞くと、桜井も周りにたくさん生徒がいる中で話す話題ではないと思ったらしく、真剣な表情を浮かべて頷いた。

 

 できるだけゆっくりと、神野の屋敷へ向かって歩く。いつもなら一人で歩く道を、今日は桜井と一緒に。
 周りに生徒がいなくなっても俺は桜井に何も切り出さなかった。まだ自分の中で考えがまとまっていない。
 桜井は昨日のことや俺のことは、絶対に誰にも言わないと言ってくれた。だけど俺は?昨日のうちに速攻で神野に話してしまっている。まだ詳しくは話していない、ということだけが救いだった。
 やっと出会えた自分と同じような人を、悲しませたくない。失望されたくない。
 きっと、桜井も俺と同じように、物の怪が見えることを周りに隠してきたはずだ。それを勝手に、名指しはしてないまでも、知らない人に話されていたらきっと嫌だろう。
 横目に桜井の遠慮がちな視線を感じながらも、俺はのろのろと神野の屋敷へ向かい続けた。
「波多野君? どうしたの? 具合でも悪い?」
 とうとう痺れを切らした桜井が、足を止めてそう問いかけた。桜井に合わせて、俺も慌てて足を止めた。
「歩く速度も遅いし……。もし気分が悪いなら、話は今日じゃなくても良いよ」
 気遣うように優しい視線を送って、桜井はそう言った。
 その優しさについ甘えてしまいそうな自分を叱責して、俺は意を決して言った。
「いや、そうじゃないんだ。……桜井。君に言わなくちゃいけないことがある。それと、謝らないといけないことも」
 桜井は不思議そうに、そして少しだけ怪訝な表情を浮かべて俺を見つめた。
「桜井は昨日のこと、誰にも言わないって言ってくれたよね。俺はそれを聞いて凄く安心したし、それに嬉しかった」
 俺がそう言うと桜井は、当たり前でしょ、という表情を浮かべたけど、まだ俺の話に続きがあることをその表情から感じて、次の言葉を待つ態勢に変えた。
「だけど俺は昨日、桜井のことを話してしまった――他の人に」
 その言葉が桜井に届いた瞬間、桜井は目を見開いて、素早く拒絶のベールで自身を覆った。
「本当に悪かった。桜井は俺のことを思ってくれたのに、ごめん」
「どうして話す必要があったのか、それを教えてくれない? じゃないと、私はこれから波多野君にどう接するべきなのか分からないわ」
 俺が目を伏せていると、桜井の声が耳に届いた。その言葉には今まで含まれていなかった、ひんやりとした冷たさがあった。
 遠慮がちに目を上げると、きつい視線が俺に突き刺さる。桜井の瞳は、俺を疑っているということをありありと映し出していた。
「昨日俺が持ってた小刀と霊符、覚えてる?」
 俺の言葉に、桜井は警戒しながらも軽く頷いた。
「それを貸してくれた人に、あの後会ったんだ。あの人は気配とか感じ取れる人で、桜井があの時、物の怪に襲われてたことも気配から察知したらしい。その現場に俺が駆け付けたことも」
 そこまで言って俺は、段々と言い訳がましくなってきたことに気付いて口をつぐんだ。
「……本当にごめん」
 桜井は俺の様子を少しの間じっと観察してから、息を吐いた。
「いいよ」
 その言葉には、さっきまであった冷たさが消えていて、俺は驚いて目を瞬いて桜井を見つめた。目の前に見える桜井の表情は柔らかい。
「私だって、誰にも言わないでって言ったわけじゃなかったし。だから一方的に波多野君を責めるのは間違ってた」
 桜井はそう言うと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「それに、波多野君の様子を見てたら、きっと言いたくて言ったんじゃないんだろうなって分かったし。だから、いいよ。謝らないで」
 桜井はそう言うと、何事もなかったかのように歩き出した。
 俺はそんな桜井に申し訳なさと感謝の気持ちを抱きながら、話を切り出した。
「それで、相談なんだけど。今向かってるのはその人の家――っていうか屋敷なんだ。もちろん、桜井があの人に会うのが嫌なら引き返そう」
 俺は歩き続ける桜井の横顔に向かって言った。
 すると桜井は俺の顔を見上げて、遠慮がちに言った。
「いいの? 私が行っても。その人は迷惑じゃない?」
 その言葉に俺は少し考えてから、正直に答える。
「……迷惑、って言われるかもしれない。あの人、人付き合いが苦手だから。でも悪い人じゃないんだ」
 言ってから、これでは桜井の質問に答えたことにならないことに気付いて、素早く付け足す。
「でも、きっと大丈夫だと思う」
「きっと?」
「……ああ。きっと」
 俺がそう繰り返すと、桜井は呆れたように少し笑った。
「私もその人に会ってみたいのが本音だし、会いに行きたい。でももし、迷惑だって言われたら、すぐに帰るわ」
 桜井の言葉に頷いて、俺は桜井を案内するように一歩前に立って歩き出した。

 

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