◆五◆
昼休み。生徒たちが午前の授業を終えて、友達と一緒に昼食をとり、談笑に花を咲かせる時間。
そんな賑やかな雰囲気が教室中を満たす中、俺は一人で母さんが丹精込めて作ってくれた弁当を食べる。周りから見れば少し浮いた一角。
周りの楽しげな表情を見ると、少し羨ましく感じることもある。けれど、俺は怖くて積極的に輪に入って行けなかった。
強がっているわけじゃない。でもこれが必然だったんだ。
黙々と弁当の中身を片づけていく俺の耳に、教室のドアの方から聞こえてきた声が不意に入ってきた。普段なら周りの会話なんて一切耳に入ってこないけれど、その時は特別だった。俺の名前が聞こえてきたから。
「波多野君、いる?」
教室の中には入らずに一番ドアに近い生徒にそう声を掛けながら、桜井が教室を見回していた。
「あれ、澄花? どうしたの? 波多野君に用事?」
どうやら桜井とは友達だったらしいその女の子は、目を丸くして答えた。
「うん。ちょっとね」
言葉に含みを持たせて桜井はそう答えた。
「波多野君ならあそこにいるよ」
女の子はあからさまに興味津々といった表情を浮かべながら、俺のいる方を指さした。
桜井はその指を追って俺を見つけると、女の子に向けてにこっと笑ってから、つかつかとこちらに歩き出した。
「波多野君、ちょっといい?」
未だに弁当を食べ続けている俺を笑顔で見下ろして、桜井は言った。
「何か用事?」
口に入っていた卵焼きを飲み込んでから、ゆっくりと俺は尋ねた。
「あのね、これ」
桜井は言葉短くそう言うと、俺の机にピンクの小さな包みをそっと置いた。
「昨日のお礼。波多野君が何が好きかとか、全然わからなかったから、私が得意なお菓子にしたんだけど」
桜井は少し恥ずかしそうにそう言うと、俺の顔を見て急いで付け足した。
「あ、もちろん、嫌なら受け取ってくれなくても良いよ」
その表情があまりにも悲しげだったので、俺は思わず笑顔を零していた。
「気遣わなくて良かったのに。でも、桜井の気持ちだからもらっておく。ありがとう」
桜井は俺の返事を聞いてほっとしたように小さく息をつくと、輝く笑顔を俺に向けた。
「こちらこそ、本当にありがとう。あの時、波多野君がいてくれなかったら私……」
桜井はそこまで言って、ぶんぶんと頭を振ると、少し頬を染めた。
「もしかしたら受け取ってもらえないかも、って思ってたの。波多野君ってあんまり他人と関わらないじゃない? だから今日、学校で会っても無視されるんじゃないかってちょっと思ってた。ごめんね」
突然直球を猛スピードで投げられた上、思いがけず謝罪されてしまった俺は、何と答えて良いのかわからずに少し顔を引き攣らせた。
「……俺、そこまで非情じゃないと自分では思ってたけど」
「あ、ごめん! そういう意味じゃなくてね、何て言うんだろう……。波多野君って人間関係が淡泊っていうか、あまり人と関わってるところを見たことがなかったから。それに波多野君の外見も外見じゃない? だからみんな話しかけづらくって」
やっぱり桜井は無自覚に剛速球を投げながら、俺の目を見つめた。
「外見が外見――って?」
「自分で気付いてないの? 波多野君って、相当格好良いよ。……っていうか可愛い」
「……可愛いと言われても嬉しくないって言うか……」
またしても答えに困った俺は、苦笑を浮かべた。
俺は今まで一度たりとも自分の外見が優れていると思ったことはない。綺麗や格好良いという言葉は、神野みたいな人間に当てはまるものだ。
俺は格好良くないし、別に可愛いわけでもない。確かに、母さんに似ているらしい顔立ちは、どちらかと言えば女顔、良く言って中性的な部類だろうとは思っていたけれど、俺自身はごくごく平凡な顔だと思っている。女顔や中性的な顔というだけでイコール格好良い、可愛いと、女子は勘違いしているだけなんだろう。
「とにかくね、そう思ってるの。……神野さんだったっけ? あの人と波多野君が親しいらしいっていう噂があってね。波多野君、よくあの人の質問されるでしょ? あれも、波多野君に話しかけるきっかけなのよ。まあもちろん、そこで神野さんの情報も入れば一石二鳥っていう考えなんだけどね」
どうやら桜井は物凄く素直な子らしい。というか、頭と口が直結しているようだ。
「さっきの話に戻るけど、波多野君が他人に対して淡泊な理由、今はちゃんと理解してるつもりだから」
急に真面目な口調に戻って、桜井はそう言った。
「それと、昨日のことは誰にも絶対に言わない」
桜井は、だから安心して! と言うように胸を張って告げた。
そんな桜井の言葉を聞いて、その様子を見て、俺は罪悪感を抱いた。俺はすでに、大まかなことを神野に話してしまっている。
「あのさ」
俺がそう言いかけると、ジャストタイミングで予鈴を告げるチャイムが鳴った。
その大きな音に身体をびくっとさせて、腕時計を確認する。
「予鈴鳴っちゃったね。ごめん、お昼食べてる途中だったのに」
食べかけの弁当箱を示して、桜井は申し訳なさそうな表情になった。
「いや、いいよ。まだ五分は授業まであるし、それまでに完食するから」
俺はそう言いながら箸を持って、やる気を出した。
「それで、さっき言い掛けてくれたことは、後で話してくれる? できれば一緒に帰りたいな」
桜井はちらりと不安げに窓の外を見てから、箸を持っている俺に視線を戻した。
桜井の言いたいことを汲み取って、俺は一つ頷いた。
「分かった」
俺の言葉を聞いて、またぱっと笑顔を輝かせると、じゃあ、と言って桜井はぱたぱたと教室から出て行った。
残された俺は残りわずかな時間を弁当と向き合って、空腹を満たすことに全力をあげた。
周りの視線は走り去って行った桜井に向けるものと、弁当を頬張る俺に向けるものの二つに分かれていた。
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