◆四◆

 

 あの後、なんとか桜井を説得して家まで送り届けると、俺はやっとの思いで帰路についた。急に色んな事が起こったせいで、俺は疲れ果てていた。
 神野と関わるようになってから、神野の屋敷前を通るのが俺の通学路となっていた。そして今日も、いつもどおり神野の屋敷の前を通って帰ることにした。
 神野の屋敷前を通るのにはわけがある。神野の仕事を手伝うためだ。通常なら、その仕事日の前日までに神野が俺に簡単な内容を話して、仕事日当日に神野の屋敷前に集合する、という形が取られていたけれど、時々例外があって、急遽決まった仕事に関しては、神野が屋敷前で俺の帰宅を待って、その場で俺を連れて仕事へ向かうこともあったからだ。
 けれどそんな例外はほとんどなくて、今までに一度か二度あったぐらいだった。
 だいたい、神野は俺を仕事に連れていくのにも未だに納得してはいないようで、俺の思いにしぶしぶ応えてのことらしかった。だから急遽入った仕事は、大抵神野一人で片を付けていた。
 それに仕事を手伝うといっても、俺はほとんどその場に取り残されている状態だった。
 俺が手伝う内容といえば、地面に術を描く必要があるときにはそれを神野の代わりに描いたり、霊符を渡されてタイミングを合わせてそれを発動させるぐらいのものだった。
 神野は俺を危険な目には遭わせないと最初に断言していたし、少しでも危なくなると術で見えない盾を作って俺をそこに避難させていた。
 それに不満はなかったけれど、もっと何かの役に立ちたいと思っていた俺は、少しもどかしく感じていた。

 

 曲がり角を曲がって神野の屋敷前に出ると、遠くに見える門の前に人影が見えた。
 曲がり角から次の曲がり角までという、かなり長く広い土地が神野の屋敷だったので、角を曲がったばかりの俺には門まではまだ遠く、人影を判別できる距離ではなかった。けれど、あの門前のシルエットと雰囲気は、完璧に神野だった。
 急な仕事でも入ったのか、と思いついて、疲れも忘れて急いでその人影へ向かって走って行った。
「お帰り」
 息せき切って走ってきた俺を、普段どおりの飄々(ひょうひょう)とした様子で神野は出迎えた。
「なに、か、仕事?」
 息が上がっているためにつっかえながら、一も二もなしにそう切り出した。
 神野は俺の問いには無言で答えて、俺を見据えていた。俺は呼吸を整えようと深呼吸してから、そして改めて神野を見上げると、やっとのことで神野が口を開いた。
「何かあったか?」
 神野は漠然とそう尋ねた。
「……えっと、それを聞きたいのは俺の方なんだけど」
 その問いに、はてなマークを頭に思い浮かべて問い返した。
「さっき、妙な気配がした。お前に向けられたものではないと感じたが、途中でお前の気が割り込んできた。何かあったか?」
 神野は言葉を補って、再度尋ねた。
「さっき――」
 俺はそう言い始めて、すぐに口をつぐんだ。
 桜井はきっと俺と同じだ。俺と同じで、周りを巻き込みたくないとずっと考えてきたはずだ。なら、俺が勝手に話しても良いんだろうか。
 俺が口をつぐんだままなのを、神野は怪訝そうに見下ろすと、さっと表情を変えた。
「お前、今まで何と一緒にいた?」
「何って。そうやって人間のこと物扱いするの、前々から良くないって思ってたんだけど――」
「いいから、誰と一緒にいた」
 神野は急いで俺の言葉を遮ってしぶしぶ訂正を入れると、真剣にそう尋ねた。
 その真剣さに俺は少し戸惑って、それから当たり障りのないことを神野に伝えることにした。
「同級生だよ」
「それで?」
 俺のその答えだけでは満足できないように、神野は素早く質問を加えた。
「……その子が襲われてたから、助けた」
「何に襲われていた」
「……物の怪」
 俺が小さくそう言うのを聞くと、神野は俺の周りを入念に調べ始めた。
「大丈夫だよ。神野に渡されてた小刀と霊符を使ったから、ちゃんとあの世に送れたと思う」
 神野の力には三種類ある。
 まず一つ目は、物の怪をこの世からあの世へ移すこと。だけどこの場合は、この世にまた来ることができる。これを使うのは軽い争い事の中で、物の怪に反省を促す時だった。
 二つ目は、この世から物の怪の存在を抹消すること。この場合はあの世では存在しているけれど、二度とこの世に戻ってくることはできない。大きな事件を起こしたり、人間に危害を加えた物の怪に対してこれを使う。
 そして最後は、この世とあの世から物の怪の存在を抹消すること。これはもうどちらの世でも存在していない状態になる。これを使うのはよっぽどの時らしい。俺はまだそれを使っているのを見たことはないけど、神野曰く、これを使うには相当な体力と力が必要とのことだった。
 俺にちょっかいを出す物の怪は、大抵危害を加えたり、加えようとしたりするので、俺は、この世から物の怪の存在を抹消するという神野の力を秘めた霊符を渡されている。そして、それをさっき使用したのだった。
「ほんとに大丈夫だから」
 神野は俺の言葉に構わずチェックを続けて、一通り済むと、手を差し出した。
「小刀を」
「え?」
「小刀を貸しなさい。もう一度私が気を入れなおす。だからお前も屋敷に寄りなさい」
 神野は淡々とそう言って俺を先に門の中へ入れると、間髪を入れずに門を固く閉ざした。

 

 神野は俺を縁側まで連れていくと、池でも眺めていなさい、と言い渡して、小刀を持って奥へ下がった。
 いきなり池を眺めろと言われても、と少し困りながらも、俺はそれに従うことにした。
 ぼんやりと、池や手入れの行き届いた庭を見やっていると、空が赤を通り越して、段々と黒く染まりだしていることに気付いた。冬は日が落ちるのが早い。
 そんなことをぼんやりと考えながら、庭先に視線を落としていると、やっとのことで神野が奥から出てきた。あれから、優に一時間は経ったと思う。
「待たせた。これで良いと思う」
 神野はぽんと俺の手に小刀を置くと、ふうっと息を吐いた。
「いつもいつも、すみません」
 俺はさっきよりも重く感じられる小刀を受け取って、しっかりと鞄の中に入れた。
「そんなことは気にしなくても良い。私がお前を引き受けたんだから」
 神野はさらりとそう言うと、俺の隣に座って庭を見つめた。
「まだ霊符はあるな?」
 神野は思い出したようにそう言うと、俺のポケットを指さして言った。
「ある。あと五枚」
 俺のその答えを聞くと満足げに頷いて、それから俺を見据えて言った。
「響、気をつけなさい」
 不意に名前を呼ばれたせいで、俺は少し身体を強張らせて神野を見つめた。
「何に?」
 驚きを隠せないまま、俺は神野を見つめ続ける。神野が改めて注意を促すことなんて、これまで一度もなかった。
「前にも言ったが、お前は少々厄介な血を持っている。それに惹きつけられるのは、小物ばかりではないということだ」
 神野らしくない言い方だった。本質に迫っていないように感じる。いつもの神野なら、もっと直球で投げかけてくるのに、オブラートに包んだような言葉だった。
「……分かった」
 よくわからないながらも、とにかく気をつけようと心に決めて、俺は返事をした。
 そして神野は不意に思いだしたように言った。
「響、誕生日はいつだ」
 かなり唐突な発言に、さっきまでのシリアスな雰囲気は何処へ、と俺は目を見開いてしまった。
「えぇ! いきなり?」
「いつだ? まだお前は十六だったな」
 神野は俺の驚きは無視したまま、平然と続けた。
 その様子につられて、俺もなんとなく平然と受け答えた。
「まだ十六だよ。それで誕生日は四月二日」
「そうか、まだもう少し日はあるな」
 神野が頷きながら答えた。
「もう少しっていうか、まだあと二カ月以上はあるけど」
「そうか」
 神野は俺の言葉を半分聞き流しながら、ぼんやりとそう答えた。どうやら考え事をしているようだった。
 こんな時の神野には何を言っても仕方ないと、短い付き合いながらも知っていた俺は、試しに冗談を言ってみた。
「神野のプレゼント、楽しみにしてるから」
 すると話半分に聞いていると思っていた神野が急に俺の方を向いて、物凄く嫌そうな顔をした。
「プレゼント……?」
「冗談だよ……。そんな嫌な顔しなくても……」
 あからさまな態度にちょっとだけ傷つきながらそう答えると、神野が空を見上げて言った。
「そろそろ帰りなさい。一人でも大丈夫だな?」
 神野は会話を切るとき、いつも空を見上げる。それが合図となって、神野と俺はいつも解散していた。
「ああ、じゃあ帰るよ。小刀、ありがとう」
 俺はそう言うと、縁側から庭に下りて、門へ向かって歩き出した。
 鞄の中にある小刀と、ポケットに入れられた霊符と、神野の小さな気遣いとに心から感謝して、初めて出会った自分と同じような境遇の桜井のことを心配しながら。

 

 

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