◆三◆

 

「ねえ、波多野君って神野さんとどういう関係なの?」
 授業が終わって帰り支度をしていると、唐突にクラスの女子に話しかけられた。
「どうって?」
 俺は彼女を見ながら、軽く返事をする。
 神野の仕事を手伝うためにしょっちゅう神野と一緒にいるようになってから、こういうことは度々あった。
 この近辺に住んでいる人間、そしてこの近辺にいる物の怪で、神野を知らない者はいない。
 物の怪の場合のそれは、神野の仕事内容と力が原因だ。神野は尋常じゃない力を持っているらしいので、ヤツラはなるべく神野に近づきたがらない。その神野の傍にいるお陰で、俺はいろいろと助けてもらっているのだ。
 そして、人間の場合のそれは、神野の人目を引く容貌が理由だ。神野は、異性はもちろん、同性をも惹きつける美しい容姿をしている。あんな神野を見てしまったら、あの外見だけで高校生女子なんかは一瞬で落ちてしまうだろう。
「つまり、その……。あの人と知り合いなの? あの人って何してる人なの?」
 俺に話しかけてきたこの子も、神野が気になっている一人なんだろう。彼女は期待に目を輝かせていた。
 そんな彼女を見ながら、俺は淡々と答えた。
「知り合いだよ。神野は俺の家の近くに住んでるんだ。だけど、あの人が何してる人なのかは詳しくは知らない。役に立てなくて悪いけど」
 俺の答えを聞いた彼女は、そう、と小さく呟くとさっと友達の方へ戻っていった。
 そんな彼女に少し罪悪感を覚えながら、俺は後姿を見送った。
 もっと他の言い方もあるのかもしれないけれど、これが神野から言い付かっている「神野のことを聞いてくる女性への対処法」だった。神野は、あまりというか、かなり人付き合いは苦手で、こうして近寄ってくる女性を邪険に扱っているようで、俺にもそれを押し付けたというわけだった。
 それに俺自身も、神野とのことは正直言ってあまり口に出したくはなかった。それによって、いつボロが出るかと思うとハラハラしてしまう。
 俺はそんなことを考えながら、帰り支度を済ませると、さっと教室を出た。今日は神野の屋敷へ寄る予定はなかったので、真っ直ぐに家に帰るつもりだった。
 俺も神野ほどではないけれど、人付き合いは苦手な方だった。苦手、というか、あまり他人と一緒にはいたくなかったのだ。いつ何時、物の怪に襲われるかわからない身では、心置きなく他人と一緒にはいられなかったのだ。
 けれど今は、神野の言う「低級から中級程度の物の怪」には襲われる心配はなくなった。神野が渡してくれた小刀をいつも持ち歩いていたからだ。しかし、それでも十年以上に(わた)って培われてきたその思いは、なかなか消えるものではなかった。だから結局俺は、積極的に人付き合いをすることはなかった。
 そして不意に足を止める。ぼんやりと歩き続けていたけれど、どうも気配がおかしいことに気付いたのだ。
 これはあの時と同じ、俺を襲おうとしたヤツが殺気立った時の雰囲気だ。そう思って咄嗟に周囲を見渡してみたけど、周りに物の怪の影はなく、俺の近くでは気配すら感じなかった。注意深く気配を肌で感じとってみると、これは俺に向けられている殺気ではないと直感で感じた。だったらこの殺気は一体誰に向けられている?
 そう考え着くと、一目散にその気配がする方へ走り出していた。神野の仕事を手伝ううちに自分の感覚が鋭くなって、気配を感じることや、その気配の源を探ることぐらいならできるようになっていた。
 しかし走り出した瞬間、不意に神野の声が頭に反芻(はんすう)した。
『昼間でもお前はいろいろなものを引き寄せてしまうのだから』
 もしかしたら、これは罠ではないのか? その可能性もないわけではない。
 もしかしたらこの先に待っているのは上級の物の怪かもしれない。そうすれば危ないんじゃないのか?
 けれど、と俺はその考えを振り払った。
 誰かが襲われているのなら助けないといけない。自分に注意を惹きつけて、その人に神野を呼んできてもらえれば、なんとかなるかもしれない。
 ほとんど賭けともいえるその考えに支配されて、俺は全力疾走で気配がする方向へ走り続けた。
「助けて……!」
 そう呟く、恐怖に満ちた声が聴こえてきたのは間もなくのことだった。その声に俺はさらに加速して、やっとの思いでその現場に辿り着いた。
 そこには小さな丸い形の物の怪がいた。周囲に殺気を張り付けて、醜く大口を開けて鋭い歯を女の子の首元に立てて、噛み付きながら。女の子の首元からは血が細く線を描いて流れていて、白い服に赤を差していた。
「誰か……」
 息も絶え絶えに女の子が声を出した。
 その声にはっとして俺は小刀を取り出すと、その小さな物の怪に向かってざっと小刀を投げた。小刀は物の怪の体すれすれに飛んで、塀に重く突き刺さった。
 その物の怪は小刀から発せられる神野の力を感じて、咄嗟に女の子から離れた。
「小刀を持って!」
 俺は血の気の失せた女の子に向かってそう叫ぶと、女の子は意識を失いそうになりながらも俺の言葉をしっかり聞いて、必死で小刀を塀から抜くと、力強く握った。
 女の子に小刀を持たれて彼女に近づけなくなった物の怪は、今度は俺の方へ突進してきた。
 俺はそれを待ち構えると、物の怪が俺に触れるか触れないかというギリギリの距離で、神野から渡されていた簡単な符呪が書かれた霊符をポケットの中からさっと取り出して、霊符をざっと前に押し出して唱えた。
「急急如律令!」
 強くそう唱えると霊符はぱっと光を放ち、その物の怪を飲み込んだ。
 そして辺りは一瞬にして、平常どおりの静かさを取り戻した。
 逸る鼓動を抑えながら、さっきまで襲われていた女の子に視線を移すと、彼女は顔面蒼白になりながら物の怪が消えた場所を直と見据えていた。
「大丈夫?」
 俺がその子に走り寄ると、彼女は恐怖におののいた瞳で俺を見つめた。
「……あれ、消えたの?」
 俺に小刀を手渡しながら、小さな震える声でそう呟いた。
「一応は、この場からは消えたよ」
 俺は小刀を受け取りながらそう言うと、彼女の首元を指さした。
「それよりもまず、傷の手当てだ」
 俺は鞄からハンカチを取り出して、彼女の傷に当てて止血を始めた。
「ありがとう」
 彼女はなおも血の気の引いた顔で、でもほっとした笑顔を向けて言った。
「立てる? この場所からは離れた方が良さそうだ」
「うん。……ところで、波多野君もああいうの見えるの?」
 俺は突然名前を呼ばれたことに驚いて、彼女を改めて見つめた。
 成程。彼女は俺と同じ高校の制服を着ていて、しかも去年は同じクラス、更に言えば中学も同じという人物だった。
「私は見えるの。今みたいに襲われたのは、初めてだったけれど」
 彼女――桜井(さくらい)澄花(すみか)はしっかりした足取りで歩きながら続けた。
 どうして一目見て彼女だと気付かなかったのだろう。
 確かに彼女とはあまり親しくはなかったけど、中学一年から高校二年の今に至るまでには、何度も話ぐらいはしたことがあったのに。
「波多野君? ――もしかして、私のこと覚えてない?」
 桜井はそう言うと、少し悲しげな表情を浮かべた。
「いや、そうじゃないよ。ただ、桜井だってすぐには気付けなくて、ごめん」
「そんなに私、変わったかしら」
 桜井は少しおどけてそう言ってみせた。体調はかなり悪そうだったけど。
「ところで、私はそろそろ家に帰ろうかと思うの。怪我してる今、あまり外をふらふらしているのも良いとは思えないし」
 桜井はそう言うと、首元のハンカチを押さえながらすたすたと歩き続けた。
「でも怪我が。手当てした方が良いよ」
 俺がそれを追いながら言うと、桜井はくるりと振り向いた。
「ううん、これくらいなら大丈夫。そんなに傷も深くないし、自分で手当てできるよ。さっきは助けてくれてありがとう」
 そう言うと桜井は早足で歩き始めたので、俺も少し早足で後を追う。
「じゃあ家まで送るよ。あんなことがあったのに、一人でいるのは危ない」
「ううん、本当に大丈夫だから」
 俺の提案を素早く退けると、桜井は足を止めて俺を見据えた。
「……助けてもらっておいて、ひどい言い草だけど。実を言うと、あまり一緒にいたくないの。私と一緒にいると波多野君が危ないよ」
 桜井はそう言うと、小さく俯いた。
 その答えに少し戸惑ってから、答える。
「いや、どっちかと言うと俺と一緒にいると桜井が危ないんだ」
 はっきりと桜井を見つめながら言うと、桜井は、え? と小さく言った。
「だけど今は小刀も、霊符も持ってるから、もしも何かあれば対処できる。だから一応は今は俺と一緒にいれば危険は回避できるはずだよ」
 桜井は小さく首を傾げると、思案顔になった。
「言ってる意味がよくわからないんだけど……。つまり、波多野君も私と同じようにああいうのが見えるのよね? それで退治できる人なんでしょう?」
「いや、違う。俺は退治する人間じゃないんだ」
「でもさっきは退治してくれたんでしょう?」
 俺の答えにさらに訳がわからなくなったというように、うーんと唸りながら桜井が言った。
「あれは知り合いから渡してもらったんだ。小刀を持っていれば、ああいう小物には手出しされないからって。霊符にはその人の力が詰め込まれてるから、俺は術を唱えるだけで良いし。だから、俺が実際に退治したわけじゃないんだ」
「そうなの?」
「ああ」
 桜井は少しの間沈黙すると、俺をしっかり見据えて言った。
「じゃあ、波多野君もああいうのにちょっかい出されて困ってる分類の人なの?」
「……どういう意味?」
「前にね、自分でわかる範囲だけれど調べたことがあったの。私みたいにああいうのが見える人と、それを退治できる人がいるってその時に知ったのよ。だから、波多野君が退治できる人なのかと思ったんだけど、そうじゃないみたいだから」
 桜井はほんの少しだけ期待を込めて俺を見つめた。
「そうだね。そういうことなら、俺もちょっかい出されて困ってる分類かな」
「そう……。じゃあ、私だけじゃなかったのね」
 そう言うと、桜井は少し涙目になった。
 きっと桜井も俺と同じように色んな思いを抱いてきたんだろうな、とその瞳を見て思う。
 今まで俺も、自分と同じ人間に出会ったことはなかった。
 神野は例外だ。神野は物の怪が見えても、俺と同じというわけじゃない。俺は見えるだけで、神野みたいに具体的に何かができるわけじゃない。
 だけど桜井は違う。桜井は俺と同じように見えるだけで、それをずっと不安に思ってきた人間だ。きっと、俺と同じような辛さを心に抱えている人間だ。

 

 

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