◆二◆

 

 神野と初めて会ったのは、半年前ぐらいだったと思う。
 神野の屋敷は、波多野家の近くにあって、俺がやってきた頃からその屋敷には「神野」という表札が出てはいたが、人気はまったくなく、いつも門が閉ざされていた。その門は、人が侵入することを拒んでいるようで、子どもながら少しの恐怖と大きな興味にそそられていた。
 ある日そっと、だけど力強く門を押したり引いたりしてみたけれど、何か封印でもされてるみたいにびくとも動かなかったのを覚えている。
 その屋敷に入居者がやってきたと知ったのは、たまたま学校帰りに屋敷の前を通ったときのことだった。
 夏の蒸し暑さが止むことのない夕方に、和服を着たすらりとした人が、その屋敷の門前に立っていた。その人は俺には気付いていなかったのだろう。その人がすっと右手を門にかざしたかと思うと、突如周りで突風が巻き起こった。
 俺はびっくりして声も出なくて、いきなり巻き起こったその突風の中で、ただその人を見つめることしかできなかった。というか、それ以外の行為は何一つ許されないような気がして、何もできなかったのだ。
 風の勢いがすごくて、目を開けていられずに、一瞬だけ目を瞑る。するとその突風は突然巻き起こったと同じように、突然止んだ。急いで目を開けてみると、すでに門は開かれていた。一体あの一瞬で何があったんだ、と思案顔で門の前に立つ人に目線を向けてみると、その人も俺を見ていた。
 その人は美しい人だった。一瞬、女の人かと思ったけど、着ている着物が男性のものだったので、男の人なのだとわかった。その人は少し驚いた様子で、興味深そうに俺を見つめていた。俺は少し困惑して、その視線を受け止めることで精一杯だった。するとその人はすぐに冷静な顔つきになって俺に一瞥をくれると、さっと門の中へ入って行ってしまった。
 それが神野透だった。
 今改めて考えてみると、このときの神野の態度は、ちょっと不躾だったんじゃないかと思う。でも、そのときは怒りも不快感も、何も感じなかった。ただただ、神野の放つ存在感に圧倒されてしまっていたのだ。
 それからの三ヶ月間は、特に神野と接点を持つことはなかった。下校中に神野の屋敷の前を通ったときに、神野が門を開け放して庭の剪定をしているのを数回見かけたぐらいだった。神野の方は俺に気付いても、まったく俺のことを気にしていない風だった。

 

 そして、事は二ヶ月前に起こった。
 その頃俺は、少し厄介なモノに付け回されていて、どう対処しようかと考えをあぐねていた。
 ソイツはもちろん周りの人には見えない、俺に惹きつけられて寄ってきたモノだった。見た目は小さくて丸くてブサイクな感じだったけど、どこか愛嬌があった。最初はずっと付いてくるだけで何もしなかったし、特に害がありそうな感じはしなかったけど、俺は何とかソイツを引き離そうと努力はしていた。それから一週間が経った頃から、ソイツは俺を執拗に付け回すようになった。
 そしてその日、ソイツは俺を見つけるなり、ものすごい勢いで襲い掛かってきた。
 俺はこんなのにみすみす殺されるわけにはいかない。
 そう思った俺の心を読んだように、ソイツは俺に逃げられないように、俺の脚に飛びかかってきて俺を地面に這いつくばらせると、信じられないほどの力で俺を抑え込もうとした。俺は反射的に、近くにあった電信柱目掛けて脚を打ちつけると、ソイツを電信柱にぶち当てた。
 思わぬ反撃を受けたソイツは本気で俺を殺す目をして、再度俺に飛びかかろうとした。
 その時だった。
 気がつくと神野が俺の前に立って、ソイツの行く手を阻んでいた。俺はとっさにこの人を巻き込んではいけないと思って、離れてくださいと叫ぼうとした。すると神野はちらりとこちらを見て「静かに」と小さな声で言った。
 神野は俺にはよくわからない言葉をソイツに向けて発すると、ソイツは異常なまでに怯え出した。神野はそのままソイツに詰め寄って行くと、ソイツは本当に真っ青な、まあ、ああいうモノに顔色とかそういうのがあればの話だけど、確実に真っ青な血の気の引いた顔をして、さっと消えてしまった。
 一瞬の出来事で俺は何がどうなったのか解からず、神野の後ろ姿をじっと見つめることしかできなかった。俺の視線に気付いた神野が振り返って、こう言った。
「どうやらお前は面倒事に巻き込まれるものを持っているらしい」
 俺はほとんど初対面の人間に「お前」呼ばわりされたことよりも、ああいうモノがこの人にも見えて、しかも何か対処法を知っているらしいことの方に驚いた。
「もう大丈夫、当分の間は。アイツはもうお前を襲うことはしないだろう。それに他の小物連中も、お前にはみすみす手は出せない。私がいるから」
 俺が言葉に詰まっているのも、状況に対応しきれていないのも、まったく気にせずに神野は続けた。
「じゃあ、私は帰るから」
 そう言って帰ろうとする神野にはっとして、俺は急いで声を掛けた。
「あの! あの、ありがとうございました」
 すると神野は少し振り返っただけで何も言わずにそのまま立ち去ろうとしたので、俺は急いで追いかけた。
「あの、あなたもああいうの、見えるんですか?」
 俺がそう問いかけると、神野は嫌々という感じで、ああ、と答えた。俺はそれにも構わずに、
「対処法、教えて欲しいんです」
 と続けた。
 神野はやっと立ち止まると、俺を見降ろして数分間じっと見つめていた。それから溜息を吐いて、具体的に何を教えて欲しい、と聞いてきた。本当に嫌々そうだったけど。
「退治の仕方、とか」
 俺が期待を込めてそう言うと、神野はまた溜息を吐いて、
「無理だ」
 と一言言うと、すたすたと歩き出した。
 ここで逃がすわけにはいかない。なんとしても。
 そう思った俺は執拗に神野を追いかけて、しつこく食い下がった。あまりに俺が鬱陶しかったのだろう。神野は本当に嫌な顔をして、外でする話じゃない、と言って屋敷まで俺を連れて帰った。

 

「無理だ」
 (にじ)(ぐち)から茶室に入った途端、神野は俺を見据えて再度繰り返した。
「どうしてですか?」
 俺がなおも食い下がろうとそう言うと、神野は手を振ってから言った。
「教える気がない、というわけじゃない」
 そこで神野は面倒くさそうにこう説明した。

 

 俺の体に流れる血は、ヤツラ――物の怪を惹きつける血で、それを退治する血ではないらしい。
 一方、神野の体に流れる血は物の怪を退治する血で、神野の一族は代々物の怪と物の怪、物の怪と人間の争いごとを収める役割を担ってきたという。

 

「――私は争いごとを収める力、物の怪を退治する力が、その血に備わっている。だがお前の血は惹きつける力しか持たない」
 神野は淡々とそう言った。
「……だから、俺には退治できない?」
「そうだ」
 神野は言葉短く断言した。
「でも、俺はどうしても自分の力でなんとかしたいんです」
 俺は小さくそう呟いた。
 その様子を見た神野は、またも面倒そうに溜息をつくと、席を立った。
 これってもう帰れってことなのか、と考えをあぐねたまま、茶室で一人正座して大人しくしていると、数分後に神野は戻ってきた。その手には立派な日本刀が握られていた。
 その姿にぎょっとして少し構えるけど、神野は全く気にも留めずに無言で刀を俺に差し出した。
 数分間の沈黙。意味が解からない。
 固まっている俺を見て、神野は俺を見据えて言った。
「これを持っていればいい。私の気が入っているから、低級から中級程度の物の怪なら寄せ付けない」
 そう言うと、神野はぐっと刀を俺の方に押しやった。
「……ありがたいんですけど。こんな刀持ってたら、物の怪とか以前に銃刀法違反で捕まります」
 俺は反対にぐっと神野の方へ刀を押しやった。
「そうなのか? この程度でか。不便な世だ」
 神野は初めて知ったように驚いてそう言った。今まで表情を崩さなかった神野が、初めて見せた表情だった。
 一体どんな生活をしてるんだ、と俺は神野の生活を不思議に思いながら頷いた。
「なら、こっちを持っていればいい。小さいが、同じだけ私の気が入っている」
 神野は着物の懐から小刀を出すと、それを俺の方へ押しやった。
「これでも十分、低級から中級程度は寄せ付けない」
 神野がそう言うので、俺はありがたくその小刀を借りることにした。
 手に取ってみると、見た目とは違ってずっしりと重かった。特別変わったところはないように思えたけど、目の前の神野と同じ、少し変わった気が小刀から感じ取れた。
「ありがとうございます!」
 俺は満面の笑みで神野にそう言うと、ぎゅっと小刀を握った。
「それで、相談なんですけど。神野さんが言ってた争いごとを収める仕事って、具体的にどういうことしてるんですか? できるなら、そのお手伝いとかしたいんですけど」
 俺がそう話を切り出すと、てっきり小刀を受け取って帰るだろうと踏んでいたらしい神野は先程にも増して驚いた表情を浮かべた。
「手伝うって、具体的に何を手伝いたいんだ」
「仕事内容を教えてもらえれば、俺にも手伝えることが見つかるかもしれません」
「私は、一般人を巻き込む気はない」
 神野がきっぱりとそう言ったけれど、俺はなおも食い下がった。
「俺は見えるし、惹きつける体質なんでしょう。ならきっと何か役立てる」
 神野が口を挟もうとしたけれど、その隙を与えずに俺は続けた。
「それに俺、こういう世界はもしかしたら俺の中にしか存在しないのかもしれないって、ずっと思ってきた。だけど神野さんと出会って、本当にあるんだ、俺は正気だって確信できたんです」
 だから、俺を認めて欲しい。声には出さずに願いを瞳に込めて、俺は神野を見つめていた。
「……神野でいい。さん付けされると気持ち悪い」
 神野はそれだけ言うと、すっと部屋を出ていった。
 これってつまり仕事を手伝ってもいいっていうことか、と再び考えあぐねて、とりあえず翌日、また屋敷を訪ねることを決めた。
 それ以来、俺は神野の仕事――物の怪がらみの争いごとを収める仕事を手伝うこととなった。

 

 

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