◆二十一◆

 

「買い物?」
 桜井は俺の自転車の前カゴに乗っかっているスーパーの袋を見つめながらそう尋ねた。
「足りないものがあるって言われて、それの買い出し」
 俺もスーパーの袋へ視線を移してそう答える。
 すると桜井はどこか関心した様子で頷いて、いつものようににっこりと微笑みながら俺を見つめた。
「偉いね、波多野君。私の弟なんか、全然家の手伝いしないのに」
「桜井に弟なんていたんだ」
「いたわよー。二つ年下なの。知らなかった?」
 桜井は少し困ったように笑いながら、俺の顔を覗き込んだ。
 知らなくても無理はない、と内心俺は思う。だって桜井とこうして話すようになったのは、ついこの間のことだ。それまで俺は、積極的に人と関わらないようにしていて、クラスメイトのことなんて全然知らなかったし、ましてやその家族構成まで知ることなんて絶対になかったことだったから。
 けれど、なぜだか知らなかったことに申し訳なさを感じて、俺は答えるかわりに首を振った。
「もう、波多野君を見習ってもらいたいよ。何にもしないの」
 桜井は自転車を押しながら、どこか不満そうに頬を膨らませてそう言う。その表情を見て、思わず苦笑を浮かべながら俺は言葉を返した。
「そうは言っても、俺だって大したこと何もしてないよ」
 俺がそう返すと桜井は今度は何も言わずに、ただ微笑みながら首を横に振った。
 突然ぷつり、と会話が途切れる。
 桜井はゆっくりと自転車を押しながら黙々と歩き続けている。俺もそれに合わせてその隣で、ゆっくりと自転車を押して歩いていた。
 時々、横顔に視線を感じるけれど、それに気付かないふりをして歩き続ける。桜井の顔を真正面から見る勇気はなかった。
 仕方がないことだ、と頭の中では結論が出ているのに、どうしても納得できないと思う心がある。どうしても桜井を放り投げてしまった、という考えが頭の中にこびりついて離れない。
 そんなことを鬱々と考えていると、隣から軽いハミングが聞こえてくる。驚いて横へ顔を向けると、桜井は口元に笑みを浮かべながら軽い調子で鼻歌を歌っていた。
 罪悪感に苛まれている俺を知ってか知らずか、桜井はなんと鼻歌を歌っている。その事実に、桜井はあまりあの事を気にしていなかったのか、とほっと安堵して肩の力を抜いた。
 そして力を抜いてすぐに、違うと気付く。これは桜井が気を遣ってくれているのだ、と。
 桜井は軽い調子で鼻歌を歌いながらも、時々こちらへ視線を投げている。本当に軽い感覚で鼻歌を歌う人間が、わざわざ隣にいる人間をこうも気にしたりするものだろうか――。
 桜井の心遣いに、何も返せない自分がもどかしい。けれど何かを話そうと頑張れば頑張るほど、場を和ませるような一言すら出てこなかった。
「そう言えば、波多野君ってもうすぐ誕生日なんでしょ?」
 俺が必死に頭の中で喋り出す一言を考えている最中に、沈黙を破ったのは桜井の方だった。
「え?」
 突然話しかけられて、驚きながら少し大きな声で返す。すると桜井はにっこりと笑ってもう一度言葉を繰り返してから、思い出した様子で付け加えた。
「波多野君って早生まれでしょ?」
「そうだけど、何で知ってるんだ?」
 突然舞い降りた誕生日の話に、俺はいささか戸惑いながら首を傾げた。桜井はそんな俺を見て小さく笑いながら、
「クラスの子が言ってたの」
 と何気なく言った。
 何で桜井のクラスの子が――と疑問に感じながらも、そうなんだ、と軽く返すと、桜井は心持ち俺の方へ身を乗り出して尋ねた。
「いつなの? 誕生日」
 突然ぐいっと距離が縮まって、俺は苦笑を浮かべながら答える。
「四月二日だけど」
「そっか、四月二日ね。……じゃあ、もう一週間もないじゃない」
 桜井は視線を上へ向けて、考えるようにそう言った。それから俺の方へ顔を向けて、やけに神妙な顔つきで頷いた。
「波多野君も十七歳の世界へやってくるのね」
 桜井はそう言い終わった後も、何度もうんうん頷いている。その表情は真剣そのもので、俺はそれを眉間に皺を寄せて見つめた。
「何? その嫌な感じ」
 思わず声のトーンが低くなる。その俺の声を聞いた桜井は、頷くのを止めてこちらを見つめた。
「波多野君も十七になればわかるわ」
 けれど妙に真剣な表情は変わらない。
 冗談なのだろうけれど、時々桜井は訳が分からないことをする。女の子ってみんなそういうものなんだろうか、と考えながら俺は苦笑を浮かべた。
「きっと一生かけても解からないと思うけど」
 桜井は俺がぽつりとそう零すのを聞きとると、いつもの笑顔になって楽しそうに笑いだした。
 ――やっぱり女の子ってよく分からない。
「とにかく波多野君の誕生日は四月二日ね。ちゃんと覚えたわ」
 桜井は未だ一人笑いながら、そう付け加えた。
 俺はそんな桜井を見つめてから、小さく溜めていた息を吐いた。

 

 

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