◆二十二◆

 

 傾いた陽射しが差し込む午後、俺は居間のソファで雑誌を読んでいた。
「響、電話よ」
 母さんの声を聞いて、読んでいた雑誌を隣に置くと立ち上がった。
「誰から?」
 ぱたぱたと音を立ててスリッパで早足に歩きながら、入れ違いに居間へ入ってきた母さんに聞く。すると母さんは柔らかい微笑みを浮かべた。
「神野さんから」
 え? と思わず零して立ち止まる。
 神野から電話だなんて、一体何事だろう。そう考えてから、すぐに原因に思い当たる。
 俺があからさまに避けていることに、神野は絶対に気付いているはずだ。――否、気付かないわけがない。あれほど毎日のように通っていた神野の家にあの日以来、もう二週間以上、下手すれば三週間は足を運んでいないのだから。
 居間の入口で立ち止まった俺を見て、母さんは不思議そうな顔をすると、
「電話、出ないの? あんまり待たせちゃ失礼よ」
 と言って、ソファへ向かって歩き出した。
 母さんの言葉に背中を押されて電話口までたどり着くと、そっと受話器を耳に押し当てる。すると受話器越しにもかかわらず伝わってきたのは、神野の不機嫌な雰囲気だった。
「……もしもし」
 ひしひしと伝わってくる機嫌の悪さに圧倒されて、俺は小声で呟いた。
『響、お前は一体何を考えている?』
 静かな声の中に苛立ちを滲ませて、神野は受話器越しにそう言った。
「何って――」
『なぜ私を避ける。なぜお前はあの日以来、私のところへ来ない』
 神野は俺の言葉を遮って一息にそう言うと、少し間をあける。けれど俺は何の言葉も返せずに、ただ黙り込んだ。神野は俺が何も言い出さないのに痺れを切らした様子で、少し声を荒げて話す。
『だいたいお前が何を考えているかは分かる。私に迷惑をかけたくないとか、どうせそういうことを考えているんだろう』
 ずばり言い当てられて、俺はぐうの()も出ない。閉口する俺に畳みかけるように神野は続ける。
『馬鹿なことを。そんなことをして私が諸手を挙げて喜ぶとでも思ったのか』
 そう無下に言い放たれて、思わずかっとなる。
 俺だって――という思いが湧きあがると、勝手に口から言葉が零れた。
「馬鹿なことって、確かに神野にとってはそうかもしれないけど、俺は――」
『馬鹿だ。お前は馬鹿だ』
 再び神野の言葉に遮られて、俺はさらに頭に血が昇るのが分かった。
 確かに神野からすればそうだろう。俺の考えなんてお見通しで、手に取るように分かって、まるで掌で転がすような存在なのだから。けれどその俺も、ちゃんと考えてこういう結論を導いたのだ。神野に迷惑をかけたくないと、その一心だったのに。
 神野は一方的に俺を罵った後、受話器の向こうで深呼吸をした。悔しさに拳を握りしめながらも受話器を置く気にはなれず、俺はその深呼吸の音を聞いていた。
 しばらく沈黙が続いたその後、神野が息を吸い込む音がした。
『お前は私を何だと思っていたのだ? 私はお前のすべてを引き受けたのに、それすらも分かっていなかったのか?』
 先程までの荒々しい苛立ちを混ぜた声とは違う、優しげな声を出して神野は問いかけるようにそう言った。
『確かに最初はお前に関わり合いになりたくなかった。面倒事に引き込まれるのはご免だった』
 神野は静かにそう言った。俺はそれを聞いて、やっぱり、とそう思って俯いた。
 やっぱり、神野にとって俺は面倒な存在だったのだ――。
『けれど――』
 そう思った俺の耳に、続けて神野の声が聞こえてきた。
『私はあの日、お前を物の怪から守ったあの日、これからもお前を守ると決めた。お前にすがられたから、仕方なく決めたわけではない。私は、私の意思でお前を守ると決めた』
 神野は静かに俺を説得するようにそう言う。
『それがなぜ分からない? 私は今ではお前を面倒だとは思っていない。お前が私に気を遣うことは、何一つない』
 神野はそう言い切ると、響、と俺の名を呼んだ。俺はそれに返事をする。けれど気持ちは複雑だった。
 神野の気持ちは本当に嬉しい――けれど、どうすれば良いのか分からない。本当に神野の言葉どおり、これからも神野を頼って良いものか、俺には分からない。
『お前が悩む気持ちを、私も多少なりとも理解はしている。お前は本当の意味で他人を頼ることを知らない。だからすぐに私に頼れと言っても無駄だろう』
 神野は再び俺の心の内を言い当てると、溜め息を吐いた。
『――とにかく二日後、私の家へ来なさい。なるべく早くに』
「二日後?」
 突然の呼び出しに、俺は首を傾げて近くに掛けてあるカレンダーへと視線を走らせた。二日後は、四月二日だった。
 四月二日――それは俺の誕生日であり、実の母の命日でもある。
 亡くなる直前まで、俺の周りに憑いている物の怪を追い払うことに専念していた母。
 祖父母はそんな母を守り切れず死なせてしまったことに罪悪感を抱いていたけれど、俺はきっとそれよりももっと罪悪感を抱いている。――きっと俺が母の人生を狂わせてしまったのだから。
 いつもこの日がくるのが憂鬱で、自分の誕生日だというのが心の底から嫌だった。
『聞いているのか?』
 四月二日という文字を見つめて、憂鬱な気持ちに沈んでいた俺の心に神野の声が届く。
『確か、お前の誕生日は四月二日だったな』
「え?」
 神野は俺の誕生日を覚えていてくれたのか。そう思うと、何だか変な気持ちが心に湧いてくる。神野は他人には無頓着な人間だから、人の誕生日なんて覚えていないと思っていた。ましてや、俺の誕生日の話をしたのは、二ヶ月も前のことなのに。
 まさか、まさかとは思うけれど、神野は俺の誕生日を――。
『念のために言っておくが、お前の誕生日を祝うつもりはない』
「――はあ?」
 突如宣言されたその言葉に、俺は今までの考えをすべて吹き飛ばされて、口を大きく開いてしまった。
『とにかく二日後でなくてはならない用がある。いいな、二日後に私の家へ――いや、私がお前の家まで出向いた方が良いか』
「えぇ? い、いい! 絶対俺がそっちへ行くから!」
『どうして? 私が行った方が早い――』
「とにかく俺が行くから! 何時ぐらいに行けば良い?」
 神野に来られては、はっきり言って迷惑だ。きっと母さんは大喜び、父さんもいつもよりテンションが上がってしまうに違いない。そうなれば神野はきっと、二人のことを考えずに疲れた表情を浮かべるに違いない。
 それだけは避けねば。
『私が行くと言っているだろう。そちらの方が良い』
「なるべく早くってことは午前中に行った方が良いのか?」
 神野の言葉を無視してそう続けると、さすがの神野も観念したのか溜め息を吐いた。
『――では、早朝の五時に』

 

 

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