◆二十◆

 

 学年末テストは無事に終了して、時は既に春休みだ。
 テスト勉強以外することがなかった俺にとって今回のテストは全力投球で臨んだため、帰ってきた結果は微笑みながら頷く程度のものではあった。決して頭が良いわけではないけれど、普段の結果よりは満足いくものだったのだ。
 学年末テストと終業式を終えると、待っているのは春休みだ。
 高校二年生の一年間が終わり、早くも次の春で高校三年生だ。つまり、そろそろ進路を考えだす時期に来ている。両親にそれとなく卒業後の進路を聞かれるし、ちゃんと考えなくちゃとは思いながらも、自分の将来に関してのビジョンはまったく見えてこなかった。
 ぼんやりとしながら過ごす春休み。俺は出掛けることもすることもないという怠惰な生活を送っている。そんな中で自分の部屋に一人でいると、どうしても思いはあの大きな屋敷へと飛んでいく。それを振りきるために、俺は積極的に家の手伝いをすることにした。
 神野に会ったのは、俺の血の話を聞いた日が最後だ。
 あの日以来、神野の屋敷へは行っていない。幸いにして仕事もなかったので、それを良いことに神野とは関わらないようにしていた。
 そして桜井に関しても同じことで、彼女に最後に会ったのは終業式だった。と言っても、体育館でクラス別に並んでいるところを見かけた、と言った方が正しい。桜井は、二人で最後に交わした会話以来、俺と目を合わせようとしない様子だったし、俺も同じように彼女をなるべく視界へ入れないようにしていた。
 なんだか急に独りになってしまったように感じる。もともとずっと独りだったのに、とは思う。波多野の両親を除けば、俺のことを本当に心配してくれた人はいなかったから。けれどその波多野の両親にさえ、俺はすべてを話せてはいない。
 俺がすべてを話せて、信頼できて、そして俺のことを心配してくれる貴重な人が、この数ヶ月という短い期間で二人も出来てしまったから、余計に独りになった寂しさが襲ってくるのだと思う。
 春休み。本当なら、普通の高校生なら、楽しい休みなんだろうけれど、俺は今、たった独りで過ごしている。

 

 

 ベッドにうつ伏せに横になりながら、活字に目を走らせる。文字を追う目は素早く上下し、ページを(めく)る手はだんだんと速くなっていく。のめり込むように小説の世界へ手繰り寄せられていく。早く早く、と思いながら文字の上を滑る目。まるで一刻を争うかのように素早く紙を捲る手。
 うつ伏せの状態で感じるベッドの柔らかな感触も、静寂の中を流れる音も、すべてを失っていく中で、わずかに残されていたらしい聴覚が階下の母さんの声を捉えた。
「ひびきー? 聞こえてるー?」
 ゆったりとした柔らかな声に我に返って返事を返すと、再び母さんの声が聞こえた。
「あのね、ちょっと足りないものがあって、買いに行って欲しいのー」
 階下から俺を呼ぶときに語尾を伸ばすのは、母さんの癖だ。そのいつもどおりの平穏さにほっとして、分かったと返事を返すと、しおりを挟んで本を机の上へ置く。
 良い所だったのになあと思いながらも、意識を無理やり買い物へと向けて、俺は階段をテンポ良く降りる。すると待ち構えていたかのように、階段の下には母さんがメモと財布を持って立っていた。
「足りないものはここに書いておいたから、お願いね」
 母さんは俺を出迎えるとメモと財布を手渡しながら微笑んだ。
「急いで帰ってきた方が良い?」
 それを受け取って玄関へ移動しながら肩越しに振り返って尋ねる。
 母さんはうーんと小さく唸ってから、首を振った。
「ううん。そんなに急がなくても大丈夫よ。普通に行って、普通に帰ってきてもらえれば」
「分かった」
 靴を履きながらそう返すと、母さんはにっこりと優しく微笑みながら片手を振った。
「気を付けていってらっしゃい」
 笑顔の見送りに?(めくば)せで答えて自転車の鍵を手に取ると、ドアを開けて外へ出た。
 財布とメモをジーンズのポケットに入れて、自転車に鍵を差し込んで小さな鉄の門を開ける。自転車を外へ出してから門を片手で閉めると、ジャケットの内ポケットを確認する。小刀と霊符が確かにそこにあるのを確認してほっと溜息を吐くと、そのまま自転車に跨って漕ぎ出した。
 いくら春休みだといってもまだ外は肌寒く、吹き付ける風もまだ冷たい。桜はちらほら咲き始めているけれど、と思いながら今朝のニュースを思い出す。まだ満開にはほど遠いらしい桜の開花情報が、毎日のようにニュースで流れているのだ。この辺りも四月の頭には満開になるだろう。
 四月か――と思いながら自転車を漕ぐ。もうすぐ四月になって、新しい一年が始まる。四月生まれの俺にとっては、新年というよりは、誕生日が来た時点で区切りを迎える心持ちになるのだ。
 冷えた風を受けながら自転車を漕ぎ続けて、ようやく目当てのスーパーにたどり着く。駐輪場に自転車を止めて自動ドアをくぐると、スーパー内の冷気に身震いした。入ってすぐに立ち並んでいるのが生鮮食料品なのだから仕方がないのだけれど、建物イコール温かいという考えが染みついている頭では、なかなかそれを受け入れることができない。
 身震いしながらメモを取り出して必要なものを確認すると、カゴを手に取って早足で生鮮食料品売り場を離れた。

 

 指定されたものを買い終わって、スーパーの袋を手に持ちながら自動ドアをくぐる。
 外の肌寒さに思わずふうっと溜め息を吐いて、自転車まで歩いて行く。意外と重いスーパーの袋を丁寧に前カゴに乗せて、ポケットから鍵を取り出す。そのまま流れるような動作で鍵を差してロックを解くと、周りを確認してから自転車に跨った。
 用事も終わってぼんやりしながらゆっくりと自転車を漕ぐ。後から後から自分を追い越して行く自転車の後姿を見つめていると、そのうちの一つの自転車に乗っている人物が、不意にくるりと後ろを振り返った。
 その人物を見つめて思わず目を見開いていると、相手はちょっと困ったように微笑みながら周りを確認して自転車を止めた。
 明らかに自分を見て自転車を止めた行動に俺は少し戸惑ってから、同じように周りを確認して自転車から降りた。
「久しぶりだね、波多野君」
 彼女――桜井は遠慮がちにそう言うと、いつもと変わらない笑顔を俺へ向けた。

 

 

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