僕は今し方耳に届いた言葉に驚いて、まじまじとヤーコの顔を見つめた。あれほど勝負に固執していたヤーコが、自らが負けてもいいというような台詞を吐くなんて信じられない。
「君はそれでいいの? あんなに勝負したがってたのに、棄権っていう結果で」
「こうなれば仕方がないだろう」
「あんなに僕に妨害行動を起こして欲しがってたのに、いいの? 僕がこの勝負に勝てば僕は何も邪魔しないよ」
「そうなっても仕方がない」
 ヤーコは落胆がありありと分かる表情で呟く。意外と潔いヤーコに僕は少し驚いて、それから少し考える。
 ここでこのまま僕がゴールすれば、忌まわしい人生という名の余生を送らなくてすむ。僕はヤーコの計画を邪魔するなんていう最悪なことはしたくないのだ。僕は何事もなく、普通に暮らしたいのだから。だから、このまま僕がゴールすればいい。そうすればヤーコのことも放っておける。
 でも……。ああ、これこそ最悪なことに、僕の良心が首をもたげてくるのを感じた。
「……とにかくゴールすればいいんだね」
「そうだ。ゴールすれば勝負は終わる」
「分かった」
 僕は言うと、立ち上がって少し伸びをする。それから何度か屈伸運動をして、再びヤーコの前にしゃがみ込んだ。今度はヤーコに背中を向けて。
「はい。おぶるから乗りなよ」
「……は?」
 ヤーコは数秒間を開けてから、間抜けな声を出した。僕は肩越しに振り返って、ヤーコの思わず噴き出しそうなほど間抜けな顔を見つめた。
「だから、おぶるって言ってるの。僕がヤーコをおぶってゴールする。それで満足でしょ」
「だ、だが……」
「君は、ゴールすれば勝負は終わるって言ったよね。だったら僕が君をおぶってゴールする」
「だが、それでは二人同時にゴールということになるぞ。引き分けだぞ」
 この期に及んで引き分けにする気か、この地球外生命体は。ここは百歩譲っても千歩譲ってもヤーコの負けだろう。でも、まあこの際、仕方ない。一万歩譲って引き分けでもいいとしよう。
「いいよ、引き分けで」
「……何か不満がありそうだな」
 こういうところは勘が鋭いヤーコだった。
「不満? 大ありだね。でもこんなところに怪我人を置いていけるわけないでしょ。だから早く乗ってよ。あ、でも一つ言っておくけど、あまりにも君の体重が重すぎたら途中で置いていくから」
「おい! それはさっき言ったことと食い違うぞ! 私を置いていけないと言ったのはお前じゃないか」
「時と場合によるって話だよ。で、乗るの? 乗らないの?」
 僕は振り返っていた顔を前に向けて、しゃがんだままヤーコに催促する。ヤーコは小さく唸り声を出す。そのまま数秒間、何の動きもないヤーコに僕は痺れを切らしてもう一度催促しようと口を開いた。
「……いいのか? 本当に」
 けれど僕の声が外に出る前に、ヤーコの声が耳を打った。僕は頷く。
「いいって言ってるでしょ。乗って」
 僕がそう告げると、ヤーコは僕の肩に手を乗せて、背中に身体を預けてくる。少し勢いをつけて僕は立ち上がったけど、ヤーコの体重はかなり軽かった。まあ、ヤーコの身長もあまり高くないし、それを考えれば平均的な体重なのかもしれない。
 ヤーコをおぶって歩き出す。先程まで疲れていた足は、さっきのヤーコとのやり取りの間に少し休めたおかげで、また十分動くようになっていた。
「ヒナタ、重くないか?」
 おずおずと小さな声でヤーコが僕の頭の上から訊ねる。僕は意地悪してやろうかと思ったけど、あまりにヤーコが情けない声を出すので、結局本当のことを言うことにした。
「別に。重くないよ」
「そうか」
 ヤーコはそう言うと、僕の肩に顎を乗せた。
「かたじけない。ライバルにこんな風におぶってもらうとは……」
「ヤーコ。ライバルの意味って知ってる?」
「ん? 知ってるぞ。好敵手だろう」
「じゃあ、好敵手の意味は知ってる?」
「知ってるぞ。力量のつり合った者同士のことだ」
「なんだ、ほんとに知ってたんだ。てっきり僕は君が辞書を引き違えたのかと」
「……おい、それはどういう意味だ?」
「つまり掻い摘んで言うと、僕はヤーコのことライバルだって思ってないって話だよ」
「それはどういう意味だ!」
「そのまんまの意味だよね。どう考えても」
「酷いぞ、ヒナタ!」
 僕はヤーコをライバルだなんて思ってない。僕にとってのヤーコは、地球外生命体の居候で、家族に暗示をかけてる最悪なヤツで、僕を自分の計画に巻き込もうとする傍迷惑な憎みきれない美少女だ。あえてここで説明を付け足すと、美少女だから憎めないわけじゃない。
 ヤーコだから、憎めないのだ。

 

 

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