5. 第一戦 その後


「ヒナタ! 次はこれをどちらが先に読み終えるかで勝負しよう!」
「……ヤーコって本当に発想力なさすぎでしょ。なんで君が考える勝負はいつも微妙で、その上バカっぽいの? もっと高度な勝負内容を考えてよ」
 僕はヤーコが重そうに持っている分厚い英英辞書を見て言った。
 (ヤーコ曰く)第一戦のマラソンは(これもヤーコ曰く)引き分けで終わったため、それ以来ヤーコは僕になにかと勝負を挑んでくる。捻挫が治るまでの間は「本を先に読み終えた方が勝ち」だとか「教科書の文章をより多く暗記できた方が勝ち」だとか、突然楽譜を片手に部屋に飛び込んできて「先にこの曲を弾けるようになった方が勝ち」だとか、仕様もない勝負ばかり挑んできたものだ。その度に僕が嫌々付き合わされる羽目に――なるわけがない。もちろん僕はそんな勝負は鼻で笑って取り合わなかった。
「どうして! この間持ってきた耐久レースも嫌だというから、大人しめの勝負を選んでやったのにー」
「耐久レースとか……ほんとバカでしょ。やっと捻挫も治ったっていうのに、また怪我されたら松ノ杜家の家計は火の車なんだよ。空気読んでよ」
 昨日ヤーコが提案してきた第二戦の内容は「24時間耐久レース」だった。内容は「とにかく24時間走り続けること」という訳が分からない内容で、ヤーコはどちらが長い距離を走ったかで競おうとしていたらしい。
「だいたいさ、普通はもう勝負とか挑まないでしょ。君、負けだから。普通に考えてあのマラソンで僕に負けたも同然だったんだから」
「いや、それは違うぞ。ワタシは捻挫をしたからヒナタにおぶられる結果になっただけで、あのまま怪我せず無事に走り切れればワタシが間違いなく勝っていたのだからな」
「僕におぶられながら『実は早く走り過ぎてへとへとだったんだ。このままだと10km持たなかっただろうな』ってうっかり口滑らせて言ったのはどこの誰でしょうか」
「そ、それはうっかり口が滑ってありもしないことを言っただけでな、嘘なのだ! 嘘だぞ、ヒナタ」
「へえ、そうですか」
 僕は言うと、ヤーコが持っている英英辞書を取り上げて、単語を引く。ちょうど辞書が必要だったのだ。たまにはヤーコも役に立つ。本当は英和辞書を持ってきて欲しいところだったけど、この際贅沢は言わないことにしよう。持てる知識を総動員して、英英辞書を解読していっていると、ヤーコが苛立った様子で僕の机を勢いよく叩いた。その反動で机の上に置いてあったシャーペンと消しゴム、ファスナーが空いていたペンケースからマーカーやペンが飛び出して床に落ちた。
「無視するな!」
「無視してないでしょ。君が話しかけてこないから僕は宿題に取り掛かったんだよ。っていうか床に落ちたやつ、ちゃんと拾ってよ」
「ワタシのせいじゃないぞ」
「どう考えてもヤーコのせいでしょうが」
 僕はため息を零して、今見ていたページを見失わないために取りあえず英英辞書に下敷きを挟む。それから床にしゃがみ込むと、ヤーコのせいで散乱したシャーペンetc..を拾い出した。
「それで、ヒナタ。次の勝負はいつにする?」
「そんなことよりさぁ、君も宿題あるんでしょ? 早いとこ片付けなよ。ギリギリになって僕に頼ってくるの、やめてよね。それと、この間電子辞書買ってもらったんでしょ? だったらそれをちゃんと学校に持って行くようにしてよ。いちいち授業前に僕のところまで借りに来るのやめて。しかもまだ返してもらってないし」
 取りあえず話を逸らすために、今ヤーコに対して抱いている不満をすべて一気にまくし立ててみる。
 ヤーコは無事に(かどうかは分からないけど)高校に編入して、僕の隣のクラスに入った。ヤーコは僕と同じクラスじゃないことに「失敗した……」と言っていたけど、僕としては失敗してくれて万々歳だ。
「優しくないぞ、ヒナタ。宿題くらい写させてくれても――」
「そういう精神の人に優しくなんてできないね」
「辞書だって貸してくれてもいいじゃないか。確かに電子辞書は買ってもらったが、学校に持って行って万が一壊れたらどうするのだ? そんな恐ろしいこと――」
「ちょっとやそっとじゃ壊れないよ。っていうか何? 僕の電子辞書なら壊れてもいいってわけ?」
 僕はすらすらとヤーコの言葉に返していく。ヤーコはちょっと地団駄を踏むと、話を断ち切るように大きな声を出した。
「そんなことはどうでもいいのだ! 今は次の勝負の話だ!」
 ヤーコは自分が不利になった途端、すぐに会話をぶった切る。
「本気でまだ勝負を続ける気なの? 僕はそうそう何度も勝負を受けて立つつもりはないよ。最初に約束したときだって、何回も勝負するなんて取り交わしてないし」
 僕はシャーペンを拾いながら、内心「しまった」と思ってシャーペンをもう一度落としそうになってしまった。
 恐る恐る顔を上げてヤーコを見上げる。ヤーコも気が付いた様子で、勝ち誇ったように、にんまりと嫌な笑顔で僕を見下ろしていた。
「そう……そうだな。確かに最初の約束では何度勝負するかは取り決めていない」
 ヤーコは芝居臭く神妙に言う。
「だがそれはつまり、一度しか勝負をしないと決めたわけではないということだ! 残念だったなヒナタ! お前はワタシと勝敗がつくまでとことん勝負に付き合ってもらうぞ」
 言ってしまった。口が滑ってしまった。
 何度勝負するかは取り決めていない。だから、一度しか勝負しなくてもいいし、何度勝負してもいいわけだ。これは僕自身も気が付いていたことだったけど、こういう流れになる可能性があったから敢えて言わずにいたのに。こんなところでうっかり口にしてしまうなんて。自信喪失してしまいそうだ。
「おい、ヒナタ。なんとか言えよ。一人で喋るなんて寂しいだろう……」
 僕が落ち込んでいるのを、無視していると勘違いしたらしいヤーコが小声で呟く。
「無視してるんじゃないよ。落ち込んでんの」
 僕はヤーコに負けず劣らずの小さな声で零した。
「あぁーなんで言っちゃったんだろ。敢えてそこには触れずにいたのに。今まで上手いこと触れずにこれたのに、自分から言うなんてバカじゃん。僕の方こそバカじゃん……」
 シャーペン諸々を拾い終わって僕は立ち上がると、椅子に崩れ落ちるように座って机に突っ伏した。
「諦めろ、ヒナタ。仕方ないことだ」
 ヤーコは僕の頭をぽんぽんと軽く撫でた。全然、慰められてる気がしない。むしろ喜ばれているような気がする。というか、それで間違いない。
「あぁーこのまま僕が言わなきゃヤーコは気付かずにいたのに」
「それは分からないぞ。ワタシは聡いからな。きっといずれは気付いただろう」
「聡い者はすぐに気が付くんだよ」
 顔を上げて真っ直ぐヤーコを見て言い放つ。ヤーコはむっとした顔をして、けれどすぐに不敵な笑みを浮かべた。そしてわざとらしく肩幅に足を開いて、腰に手を当てて傲慢さが際立つポーズで僕を見下ろした。
「とにかくワタシの言うとおりにしろ。ヒナタ。お前はワタシとの勝負がつくまで頑張ってもらうぞ!」
 声高にヤーコの笑い声が僕の部屋に響き渡った。
 まだ最低でもあと一回は繰り広げられそうな仕様もない勝負。僕は目の前で満足げに笑い声を上げるヤーコを見つめてため息を零した。心のどこかで「こんな勝負も悪くないかも」と思い始めている自分の気持ちを摘み取りながら。

 

 

(了)

 

 

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