「それ、飽きるまで持ってていいよ」
 あまりにもヤーコが嬉しそうに、しげしげと眺めているものだから、なんとなく口からそんな言葉が突いて出てしまった。
「え? いいのか?」
 ヤーコは弾かれたように顔を上げて、僕を直と見つめる。
 本当は言ってから「しまった」とほんの少しだけ思ったけど、ここで否定するのもあまりにも人でなしのように思えて、僕は頷いた。
 携帯はないと不便かもしれないけど、あまり携帯を使わない僕にとってはあってもなくても困らないものだ。実際、携帯の充電が切れたまま一週間気付かなかったことがあったけど、そのときも大して困らなかった。気がついて充電しつつ電源を入れたときには、それなりのメールや留守電はあったけど、何か苦情や文句がきたわけでもなかったし。
 僕の中で少ないベクトルを占める携帯に比べて、MP3プレーヤーはないと非常に不便なものだ。徒歩で学校へ向かう僕にとって、登下校中の音楽はとても重要だ。ないと困る。でも目の前で目を輝かせてMP3プレーヤーを見つめるヤーコから、それを取り上げるほどかというと、そうじゃない気もする。……本当は、そうしたいぐらい僕にとっては必要なアイテムだけど。
「ん? どうした、ヒナタ。一人で百面相をして」
 どうやら心の葛藤が顔にしっかり出ていたらしい。ヤーコは不審者でも見る目つきで僕を見ていた。
「別に」
 言葉短く答えてから、鞄を掴んで部屋を出る。後ろからヤーコも携帯とMP3プレーヤーを大切そうに持ちながらついて来ていた。
「……地球の文化も進んでいるのだな。こんなに小さい機械で色んな事ができるとは」
 ヤーコは感心したようにぶつぶつと言う。ちらりと後ろを振り返ってみれば、真剣な眼差しを携帯に向けるヤーコがいた。ヤーコはコンコンと携帯を指で軽く突いてみたり、画面を開けてみたりと色々試しているようだ。
 やっぱり今日は携帯もMP3もなしかな、と思いながら僕はダイニングへ入って行った。
「おはよう、日向。ヤーコちゃんもわざわざありがとうね」
「ふむ」
 ヤーコは母さんの言葉に心ここにあらずと言う感じで適当に返事をする。それから僕の席の隣に当然のように腰掛けた。
「一つ訊いてもいい? 何で僕の隣に座るの?」
「ここがワタシの席だ」
「いや、そこは父さんの席だから」
「ケンはこっちに座るんだ。ワタシの席はお前の隣だ」
 ヤーコはゆっくりと丁寧にMP3プレーヤーを机に置くと、自分の右側を指差した。よく見ると、新しく椅子が一脚増えていて、その椅子に父さんが座っている。父さんは自分の話題が出ていることに気がついたのか、サラダを口に運びながら僕を見てちょっと笑った。
「どこで食べても同じだからな。席は関係ない」
「ほら。ケンもそう言っている。気にするな」
「いや、ヤーコは気にしようよ」
 僕はトーストをかじりながら横目でヤーコを捉えた。
「……ヒナタ、これは水に弱いか?」
 ヤーコは携帯とMP3プレーヤーにじっと見入りながら言う。
「水に濡れたら壊れるやつだよ」
「水に濡れても壊れないやつもあるのか?」
「うん。でも僕のはどっちも防水加工はされてないから、ダメなやつ」
 簡単に僕はそう言うと、紅茶を啜る。けれどヤーコは必要以上にオーバーリアクションで、まるでこの世の終わりのような顔つきで僕を見た。
「で、ではこんな場所に持ってきてはダメではないか! もしお前の飲んでいるそれがこれにかかったらどうする!」
 ヤーコは慌てた様子で言うと、大切そうに携帯とMP3プレーヤーを胸に抱えて勢いよく立ち上がった。それからリビングにあるソファまで一気に後退すると、ローテーブルの上にそっと置いた。
「寿命が五年は縮んだぞ!」
 ヤーコは鼻息荒く戻ってくると、どさりと腰を下ろした。
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。壊れたら修理に出せばいいんだし」
「そんなに簡単に直るものなのか?」
「うーん……多分」
 壊滅的な状態じゃなければ、十分に直ると思う。といっても僕が修理を担当しているわけではないので、本当にそんなに簡単なものなのかと聞かれれば「分からない」としか答えようがないけど。
「それに慌てすぎて逆に壊しちゃう可能性だってあるわけだし」
「えぇ! 慌てると壊れてしまうのか!? 持ち主が慌てているのも察知することができるのか?」
 ヤーコは言いながら、勢いよく振り返ってソファ越しに見える小さな機械を見つめた。ヤーコの見当違いな解釈に僕は噴き出しそうになって、けれどすぐに真顔に戻して言った。
「そういうことじゃなくて。慌てた末に水の中に落としちゃったり、慌てて立ち上がったときに他人とぶつかってその人が手に飲み物を持ってた場合にそれがかかっちゃったりとかさ。そういうことだよ」
「あぁ、なんだ……そっちか」
「そっちだよ」
 トーストの残りを口に放り込む。僕の隣では、やっと色々と落ち着きを取り戻したヤーコが椅子に座り直して両手を合わせていた。
「セイコ、いただきます」
「はい。ゆっくり食べてね」
 母さんは嬉しそうにヤーコを見つめてから、ヤーコの前にサラダを置いた。
 僕は紅茶を呑みながら、隣でトーストにかぶりつくヤーコを横目で見やる。不遜なヤツに思えていたのに、こういうちょっとした礼儀は持っているらしい。まさかヤーコが「いただきます」をするなんて思わなかったし、しそうにもなかったのに。まあ、母さんか父さんか、もしくは青葉から――簡単に言えば僕以外の誰かから、食事前には「いただきます」と言うんだと教えられたのだろう。教えられたからした、と考えれば簡単だけど、そういう従順なところもヤーコにはあるんだな、と僕は少し感心してしまった。

 

 

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