3. 第一戦 その前


 カーテンから日の光が漏れてきて目が覚めた瞬間、僕は時計を見るよりも先に後悔の念で全身が覆われたのを感じた。それは血液によって全身に循環しているかのように、満遍なく身体中に回っているようだった。
 いくら眠かったからといっても、自分の昨晩の発言や思考が信じられない。
 どうして「分かった」なんて言ってしまったんだろう? 全然分かってないし、納得なんてできないのに。
 どうして眠いからといって、あのとき頷いてしまったんだろう? 眠くても抵抗すべきだったのに。
 あぁ……僕の人生は、昨晩で終わった。
 大袈裟じゃなく僕は本気でそう思う。今まで、何事にも無関心で通してきたのに、それも昨晩で終わってしまった。たかが眠気のせいで。
 頭を抱えて項垂れる。昨晩、早く就寝したおかげで頭はすっきりとしている。それがこの後悔の気持ちを増幅させているようだった。
「バカみたい……」
 目を閉じで呟く。寝起きのかすれた声しか出てこなくて、それがさらに惨めさを煽った。
 これ以上、ここでこうしていても自己嫌悪に陥るだけだ。
 僕はベッドから足を下ろすと、適当にベッドを整えてからクローゼットに歩いて行った。僕が項垂れようと、後悔しようと、自己嫌悪に陥ろうと、世界は回っていく。日常は変わらない。今日も普通に平日で、普通に学校があって、普通の生活が待っている。そこに「ヤーコ」という存在と、「ヤーコの征服行動を阻止することを懸けた勝負」というスパイスがプラスされただけだ。そう、なんてことはないことだ。
 己に洗脳をかけるみたいに、僕は頭の中で繰り返す。いつもどおりの生活に、いつもどおりじゃないことがちょっと加わっただけ。それ以上でも、それ以下でもない。
 制服に腕を通しながら自分に言い聞かせる。頭の中で何十回目かになる言い聞かせをしていると、勢いよくドアが開いた。幸い、もう制服は着終わっていたけど、少しひやりとさせられた。
「ヒナタ、起きているか? ……おっ。起きているな」
 ノックもされずに開かれたドアから、ひょっこりと顔を出したのはヤーコだった。ヤーコは言いながら部屋を見渡して、クローゼットの前に突っ立っている僕を発見する。僕と目が合うと、満足そうに笑っていた。
 僕はヤーコとは正反対に不満な表情を露わにした。
「勝手にドア開けるの、やめて」
 寝起きの不機嫌な声で言うと、ヤーコは不思議そうに首を傾げる。
「なぜだ? 別に構わないじゃないか。お前ももう着替え終わっているみたいだし」
「丁度、着替え終わったところだったんだよ。ヤーコがくるのがあと数秒でも早かったら、君を変態認定するところだった」
「……走ってこればよかったな……残念だ……」
「残念ってどういう意味ですか」
 しょんぼりとしたヤーコに、棒読みで訊ねる。するとヤーコは慌てたのか、若干顔色を変えて両手を勢いよく振った。
「いや、いや! 決して悪い意味ではないぞ! ただやはり人間の身体というのはこういう状況下では研究対象というかだな――」
「それ以上は別に聞きたくないので、結構です」
 見た目は美少女なのに。見た目は可憐なのに。言うことがまるきり変態じゃないか。
 これで本当に人間征服なんてできるんだろうか。他人事ながら心配になってしまうほどだった。
 ヤーコを怪訝に思いながら見つめていると、ヤーコは居心地が悪くなったのか。こほんとわざとらしく咳払いをした。
「とにかくだな、ワタシがこの部屋までわざわざ足を運んだ理由は――朝食の準備ができてるぞ。とっとと降りてこい――ということを伝えるためだ」
 いちいち言い方が上から目線なのが気に入らない。けど、それをわざわざ言うのも面倒くさい。
「分かった。降りるよ」
 僕は言うと、机の前へ移動して通学鞄に必要なものを入れる。MP3プレーヤーと携帯を掴んで振り返ると、ヤーコが背後から興味深げに僕の手元を覗き込んでいた。まったく気配を感じなくて、近付いて来ていた足音すら聞こえなかったことに心底驚いて、僕は思わず仰け反ってしまった。
「な、何?」
「降りると言ったのに部屋の中へ引っ込むから、何事かと思ってな。それはなんだ?」
 ヤーコは僕が持っているMP3プレーヤーと携帯を指差した。
「見たところ、小型機械のようだが……通信機か何かか?」
「近いね。こっちは携帯電話って言って、メールとか電話とかの通信に使う機械。こっちはMP3プレーヤーで、音楽を聴く機械。もっとも、このMP3は音楽を聴くだけじゃなくて、ネットに繋いだり、動画を見たり、メールを送ったり、ゲームをしたり色々できるんだけどね」
 僕はヤーコに見えやすいように携帯とMP3プレーヤーを少し掲げてみせた。
「持ってみる?」
「良いのか? ワタシが持って壊れたりしないか?」
 ヤーコは少し不安そうに僕を見上げる。その表情はいつもの傲慢さがごっそり抜け落ちていて、普通に可愛かった。僕はその素朴なヤーコを見て微苦笑すると、そっと片手をヤーコに差し出した。
「僕の手、握ってみて」
 ヤーコの手の近くに自分の手を持って行く。ヤーコは訳が分からないという顔をしてから、半信半疑といった感じで僕の手をそっと握った。
「そのくらいの力なら持ったところで壊れたりしないよ」
 僕はヤーコの手からするりと手を抜いて、その代わりに携帯を滑り込ませ、もう片方の手にMP3プレーヤーを持たせた。
 ヤーコは自分の手の中にある小さな機械類に目を落として、ぱっと顔を輝かせる。きらきらと踊る瞳はまるで満天の星空の中のようだった。

 

 

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