「ヒナタ。お前はこれ、食べないのか?」
 ヤーコは自分の前に置かれているサラダを指差して言う。僕の前にサラダは置かれていなかった。
「サラダのこと? 僕は食べないんだよ。そんなに朝から食べられない方だから」
「朝だからとか、そんなことが関係あるのか? ワタシは朝でも昼でも夜でも、いつでもどこでも何でも食べられるが」
 確かに、ヤーコは食い意地が張ってそうだ。だけどそれと僕を一緒にされてはたまらない。
「ヤーコはそうでも僕はそうじゃないんだよ」
 素っ気なく言うと、ヤーコは片手にトースト、片手にフォークを持ってレタスとキュウリに突き刺した。そしてそれを口に運んで咀嚼すると、深く頷く。
「美味いのに。サラダ=v
「美味しいのは分かってるよ。僕も嫌いで食べないわけじゃないし」
「一口食べるか?」
 ヤーコはトマトとニンジン、レタスを突き刺したフォークを僕の口元に運ぶ。ヤーコの目は拒否を許さないような感じだったけど、僕は拒否した。
「いらない。ヤーコが食べなよ」
 ヤーコの手をぐっと押し返してから僕は紅茶を飲みきって、立ち上がった。
「ごちそうさま」
「もう食べたのか?」
「うん」
 トーストを口いっぱいに頬張るヤーコに向かって頷いてから、洗面所へ向かう。まだ顔も洗えてないし、歯磨きもできてない。寝ぐせは、悲しいかな癖毛のおかげで今日も目立たないだろうけど。
 ヤーコはかちゃりと音を立ててフォークをテーブルに置くと、僕の制服の裾を引っ張った。僕はため息を吐いて振り返る。そこには捨て猫のように灰色の目を大きく開けて、ひたすらに僕を見つめるヤーコがいた。
「どこへ行くのだ? ワタシを置いて行くのか?」
「置いて行くとかそういうことじゃなくてね……僕はまだ用意ができてないんだよ。顔を洗わなきゃいけないし、歯も磨かなくちゃいけないし」
「用意? 出掛けるのか?」
 ヤーコは少し首を傾げる。それを見て合点がいった僕は、苦笑を浮かべて頷いた。
 そうだった。ヤーコは学校を知らないに違いない。僕がどこかへ出掛けるとは思ってもいなかったのだろう。
「学校にね。僕は高校に通ってて、週五日、朝から夕方までそこで勉強してるんだよ」
 だから放して、と続けて言おうとしたのに、ヤーコはそれを遮って言った。
「それにはワタシも行けるのか?」
 予想もしていなかった問い掛けに、僕は一瞬言葉に詰まってから首を左右に振った。
「無理だよ」
「どうしてだ? ワタシも学校に行く! そうでなくては意味がないではないか。せっかくお前に勝負を了承させたのに、お前がいないと勝負も何も始まらない。ワタシはお前のいるところにいなければならないのだから」
 あの眠気に負けて頷いてしまった勝負。ヤーコのごり押しで決まった勝負。それをヤーコが忘れてくれるはずもない。朝起きて、ほんの少しだけ、シャーペンを一度ノックして出る芯よりも短いぐらいの少しだけ「ヤーコが忘れてくれたら」と思ったけど、やっぱりそれは無理だったらしい。
 それにしても、もしかしてヤーコは一日中勝負をし続けるつもりでいたのだろうか。勝負を受けるとは言ったけど、そんな大変な肉体酷使に付き合うつもりはまったくない。僕はどちらかといえば文学系で、間違っても体育会系ではない。一日中勝負し続けるなんていう自殺行為を行えば、間違いなく一日と経たないうちにダウンするだろう。
「ヤーコの言う勝負≠チてさ、一体どんなことを想定してるの? まさかとは思うけど、一日中駆けずり回るつもりじゃないよね?」
 違うと言って欲しい、と願いながらの台詞。けれどヤーコは肯定も否定もしない代わりに、きょとんとして僕を見つめた。
「え? あ、あぁ……そうだったな。勝負……」
「もしかして勝負内容も決めてなかったとか?」
 十中八九、いや、十割の確率でこれが正答だろう。
「違うぞ! 決めてはいるがな、うん。ヒナタがその高校とやらから帰ってきてからのお楽しみだ」
「ふぅん。ま、それでもいいけど」
 ずっと思っていたけど、ヤーコは誤魔化すのが下手だ。嘘を吐いてる、誤魔化してる、とバレバレだ。そんなんで本当に征服なんてできるのだろうか。まあ、僕が心配することでもないけど。
「それでだな、ヒナタ。今日は一人で高校とやらに行き、そこでワタシもそこに行く許可を得てきてくれ」
「え? だから無理だって」
「どうして! ワタシはお前が行くところに行くぞ!」
「編入するにしろ何にしろ、住民票とかいるんじゃないの? ヤーコはもちろん、住民票とかないでしょ? だから無理なんだよ。それに義務教育も終えてないじゃん。君の星でどうだったかは知らないけど、ここではちゃんと義務教育を終えてないと高校には通えないと思うけどね。ま、僕も詳しくは知らないから断定はできないけど」
「住民票とやらはワタシで何とかできるだろう。義務教育とやらも、何とかなるだろう」
 ヤーコは威張ったように言う。なんだかその表情に若干腹が立つのは気のせいじゃないと思う。
「ヤーコの住所はどこにする気?」
「住所はもちろんこの家だ」

 

 

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