「ヤーコ。今は僕の話に余計な口を挟むの、やめてくれる?」
 ヤーコは突然の出来事に驚いたのか、無言で勢いよく頷いた。僕はそれを確認すると、再び母さんに向き直った。
「母さん。布団はあるんでしょ?」
「ええ。お客様用のが」
 母さんはヤーコのとんでも発言を聞き逃したのか、はたまた聞き逃したふりをしているのか、にっこりと微笑んでいる。少しだけ困ったような笑顔に見えたのは僕の気のせいだと信じたい。
「ヤーコは青葉の部屋に泊まりたいって。布団敷いて、そこで寝るってさ」
「あらそう? じゃあヤーコちゃんのお布団を青葉の部屋に用意しておくわね」
 母さんは朗らかに言うと、スプーンでマグカップの中身をかき混ぜた。けれどそんな母さんとは対照的に、今まで口をつぐんでいたヤーコは不満そうに頬を膨らませていた。
「ヒナタ、話が違うぞ」
「何の話?」
「ワタシの世話はお前が見るはずではないか! アオバにワタシを押し付けるのか?」
 ひそひそと小さな声で不満を漏らすヤーコ。
「アオバに対してもワタシに対しても非道だぞ、ヒナタ!」
 囁き声で可能な限り、ヤーコは声を張り上げた。僕はヤーコの髪を拭きながら、にっこりと微笑む。
「だから面倒は見るよ。ただ夜は青葉の部屋に泊まるって話でしょ。君みたいな不審人物を青葉に丸投げする気はないよ。それこそヤーコの言うとおり非道な兄になるし」
「ワタシに対しては?」
「君に対して非道も何もあるはずないでしょ。『青葉が拾ったから』とかいう訳の分からない理由を盾に無理やり押しかけてきたんだし。どっちかと言ったらヤーコの方が非道だと僕は思うけどね」
 僕は髪を拭く手を止めて、ヤーコにタオルを渡した。ヤーコの艶やかな黒髪は、もうほとんど乾いていた。
「でも言っておく。青葉に変なことしたらタダじゃおかないから、覚悟して」
 にっこりと微笑みながら言うと、ヤーコは心なしか頬を引き攣らせた。
「ワタシは別に人間に危害を加えるつもりはないぞ」
 弱々しい言葉は説得力に欠けている。僕は軽く相槌を打ってから、未だテレビに夢中の青葉を見つめた。
「ヤーコ。君が何をしたいのかは分からないけど、青葉に拾われて家に居座れることを少しでも感謝しているなら、これからもずっと青葉には手出ししないで。絶対に」
「……お前は本当にアオバが好きなんだな。意外だ」
 ヤーコの呟き声が聞こえて、僕はヤーコに視線を戻した。
「てっきりお前は、他人に無関心というスタンスを取っているのかと思っていたんだがな。妹限定で例外発動なのか? それともただの見せかけなのか?」
 意外とヤーコには洞察力があるらしい。けれど真面目に答える気にはなれなくて、僕は無言でヤーコを見つめ返した。
「お兄ちゃん、ヤーコちゃん。青葉がさっき言ったこと覚えてる? お喋りするなら別の部屋へ行ってよ。テレビが聞こえない」
 青葉は低調に言う。それは青葉の機嫌が悪いサインだ。
 あまりにテレビに夢中な妹の未来を心配する。今後、この子はどうなってしまうのか。テレビ漬けの廃人にでもなったりしたら……。
 青葉は可愛い。それは僕の心情的なものではなくて、見た目の話だ。彼女も美少女のラインに十分入る子だ。それ故に、色んな事を疎かにするという欠点がある。可愛ければ何でも許してもらえると思っているのだ。まあ、あながち間違ってはいない。世の中は美しいものには基本的に寛大なのだから。
 だからと言って、リビングは青葉一人のものではない。ここは家族の団欒に使われるべき場所で、団欒といえば楽しい会話である。僕とヤーコの会話が楽しい部類に入るものかどうかは別として。
 従って今の「話声がうるさい。テレビ聞こえないでしょ」という青葉の発言は無視しても許されるはずだ。……かなり偏った考え方だとは自分でも分かってる。
「青葉。今日からヤーコが青葉の部屋で寝起きするよ」
 きっとテレビに夢中で今までの会話も、それによる決定も知らないだろう。
 案の定、僕の台詞を聞いた青葉は、やっとテレビから視線を剥がした。その顔は驚いたように目が見開かれていた。
「え? ヤーコちゃんが青葉の部屋にくるの?」
「うん。今さっき決まった」
 ヤーコが何か言おうと口を開いたけれど、ヤーコが言葉を発する前に僕がすかさず口を挟んだ。
「ほんと? ヤーコちゃん、青葉の部屋にきてくれるの? やったぁ」
 まるで一昔前の少女漫画のように、きらきらと瞳を輝かせる青葉。事の成り行きを不服としていたらしいヤーコは、難しそうな顔をして開いていた口をきゅっと結んだ。どうやら青葉の嬉しそうな表情を見たら反論する気を失ってしまったらしい。
「嬉しいなぁ。ヤーコちゃんがきてくれたら青葉の部屋も賑やかになるね! 青葉、お姉ちゃんがずっと欲しかったんだぁ」
 ここはツッコミを入れるべきところだろうか。
「アオバ。ヒナタが苦い顔をしているぞ」
 先程まで難しい顔をしていたはずのヤーコは、今はにやりと意地悪く笑っている。なんだか負けたような気持ちになった僕は、ぎろりとヤーコを睨んだ。
「あっ。お兄ちゃんもいてくれて嬉しいんだよ? お兄ちゃんも好きだもん。でもお姉ちゃんも欲しかったの。だからヤーコちゃんが家にいてくれると嬉しいんだぁ」
 にこにこと青葉が言う。こんなに嬉しそうな青葉は、好物のチーズケーキを目の前にしたときぐらいにしか見れないという極めてレアな状態だ。
 ここまで喜ばれては僕としても認めないわけにはいかない。まあ、青葉が喜ぼうが嫌がろうがどの道これしか方法はなかったんだけど。
「それならよかったよ」
 僕は楽しそうに笑う青葉を見て言うと、ちらりとヤーコに視線を移す。ヤーコはまだ、にやにやと笑ったままだった。僕はヤーコの腕をとんとんと指で叩いて、目で合図を送る。せっかく青葉の機嫌が劇的によくなったのに、また不機嫌モードにまで下がるのは避けたい。
 そう思って話の続きは別の部屋でしようという合図をヤーコに送るのに、肝心のヤーコはそれが読み取れないらしい。思いっきり片眉を引き上げて怪訝そうな顔で僕をまじまじと見つめてきた。
「なんだ?」
 ヤーコは、僕が指で叩いたその行為に何か意味があると思ったらしい。僕の腕をとんとん、と僕がしたと同じように指で叩き返してきた。僕は仕方がないと思いつつも、知らない間にため息を吐いていた。

 

 

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