「青葉、早くお風呂に入って寝なよ。明日も学校でしょ」
「えー。お兄ちゃんってお母さんみたいなこと言う」
 口調は不満げだけど、青葉は何か楽しそうに言った。それが青葉なりの了承の意だと知っている僕は、青葉に向かって小さく頷く。それからヤーコの手を取ると、そのままダイニングを出て行った。
 突然僕に手を取られた形になったヤーコは、ぽかんとした顔でぼんやりと僕を見ている。
 このまま自分の部屋へ行くのは癪に障るし……と考えた僕は、ダイニングには声が届かない玄関前に移動した。廊下であるということと、ドアを隔てたすぐそこは外だということもあって少しだけ肌寒い。うっかり長居してしまうと、せっかくお風呂に入ったのに湯冷めしてしまいそうだった。
「ここまでくれば大丈夫かな」
 僕は念のために誰もいない廊下を確認して呟くと、ヤーコの手を離して振り返った。
「わざわざここまできて、一体どうした? ワタシは皿に盛ってあった、あの食べ物が食べたかったのだが……」
 夕食をたらふく食べただろうに。本来は一日一食で耐えられるくせに食い意地が張ってる。
 僕が心の中でそう思ったのが分かったのだろう。ヤーコは不機嫌そうに顔に皺を寄せた。
「今、何かよからぬことを考えただろう。ワタシは他者の心の動きに敏感なんだぞ」
「まあ、それは置いといて」
「置いとくなよ」
「いくつか質問があるんだ」
 僕が無視して続けると、ヤーコは面倒そうに肩をすくめた。
「人間征服の方法、考えてないみたいだけどさ――」
「違う! 教えられないだけだ!」
 あくまでそう主張する気か……。
「分かった。じゃ、それでもいいけど」
 適当にあしらう僕を、ヤーコは子どものようにむっとした顔で見つめた。
「とにかく。人間征服に成功したとして、君は何がしたいの? 何のために征服するの?」
 今、一番ヤーコに訊ねたい質問だった。
 どこだか分からない星からわざわざやってきたのには、何か理由があるのだろう。人間を征服したい理由が。征服しなければならない理由が。
 僕の台詞を一言一言確かめるように、吟味するように、ヤーコが感情の乗っていない目でじっと僕を見つめていた。
 なかなか口を開こうとしないヤーコを見て、僕は思う。まさか、理由もなくやってきたのだろうか? ……脱力するけど、悲しいぐらいすごく納得できる。「何となく」と今にも言い出しそうな気がして、でもヤーコだったらそういう理由もありだろうか、とぼんやりと考えていた。
「人間を征服して何がしたいか? 何のために征服するのか――?」
 ヤーコは僕の台詞を繰り返す。まるで言葉の意味が分からないかのように見えた。暫くヤーコはそのまま黙り込む。しん、と静まり返った廊下。遠くリビングから、テレビの賑やかな音が微かに届いた。
「うーん。深く考えたことはなかったな」
 先程まで真剣に考え込んでいたヤーコは、やけにあっさりと言った。そのあっさり加減にちょっとたじろいでしまうぐらいだった。
「なんて言うんだろう。夢≠ゥな。そう、夢だな。ほら、小さい頃には全宇宙の支配者になりたいと夢を抱くだろう? ワタシはそれを叶えようと思ってな。かなり規模は縮小したが」
「そんな夢、抱いたことないよ」
「そうか? お前は変わってるんだな」
 この場合、地球標準に照らし合わせると間違いなくヤーコが変わっているわけだけど。もしかしたらヤーコの星標準だと「全宇宙支配」が最もポピュラーな子どもの頃の夢なのかもしれない。地球で言うところの、野球選手とかサッカー選手のような。
「ほんとにそれだけ? 夢を叶えるためだけにここまできたの?」
「なんだ。お前は夢を追うために努力をしないのか? たとえ独りになったとしても夢のために耐えようとはしないのか?」
「しない」
 僕は即答していた。
「なぜだ?」
 ヤーコはとても不思議そうに、疑問そうに、僕を無垢な瞳で見る。
 なぜって。
 そこまでする必要を感じないからだ。そんなに情熱的になれる、一種の熱病にかかったようになれる夢なんて、僕には抱けない。というか抱く意思がないと言った方が正しいだろう。
 だから「できない」のではなく「しない」。
 けれどそれを説明するのは面倒くさくて、僕は話題を変えた。
「で、僕に教えられない人間征服の方法は、着実に進んでるの?」
 僕が訊ねると、案の定言葉に詰まったらしいヤーコが目の前にいた。
「ふぅん。地球外生命体は随分と演技が上手いんだね」
 皮肉のつもりで言った言葉は、しかしヤーコには曲がって曲がって曲がりくねった挙句、なぜか褒め言葉として届いたらしい。
「そうか? では演技の道に進むことも考えようか」
 やはり地球外生命体。日本語は上手く通じないのかもしれない。
「うーん……でもやはり、まずは人間を征服した方がいいかな。うむ、そのためにきたのだしな。いやいや、でも先に演技の道を極めてからでも遅くはないかもしれないな。それなら故郷に帰ったときに地球覇者≠セけではなく地球人気芸能人≠ニいう肩書も増えるわけだしな……」
 ヤーコは僕にお構いなしで、機嫌よさそうにぶつぶつと独り言を零す。
「……いや、待てよ。人気芸能人になって人間の支持を集めて征服、という筋書きもあるな。うん、それにしようか……」
 あっさりと独り言で無計画ぶりを僕に暴露しているわけだけど。でもきっとヤーコ自身は独り言を言っているという認識はしていないんだろうし、まさかそれを僕に聞かれているなんて夢にも思っていないのだろう。とことん抜けているとしか言いようがない。

 

 

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