「日向? これ運んでちょうだい」
 ダイニングから母さんに声をかけられた僕は、再びテレビに夢中になっている青葉を横目で見てから立ち上がった。
「お、日向。青葉からの小姑攻撃は終わったのか?」
 父さんは新聞から目を上げると、僕のばさばさの髪を見て笑った。
「なにー? 小姑って聞こえたんだけど」
 地獄耳め。
 さっきまでテレビに集中していたくせに、自分の名前が出ると無意識に聴覚がキャッチしてしまうらしい。
 父さんは、はははと笑い声を上げると再び新聞に視線を落とす。言い出した張本人が投げてしまったので、仕方なく僕は青葉に向かって肩をすくめた。
「これ運べばいいの?」
 綺麗に皿に盛りつけられた果物を指さす。
 母さんはそれを確認すると、軽く頷いた。けれどすぐに思い直したように僕を振り向く。
「ねえ。ヤーコちゃんって何が好きなのかしら」
「何で?」
「せっかく家にいてくれてるのよ? やっぱりヤーコちゃんの好物を作ってあげたいじゃない」
 家にいてくれてる、か。ヤーコのヤツ、一体どんな暗示をかけたんだ。
「ご飯おいしそうに食べてたじゃない」
「ご飯は別よ。お菓子とかデザートとか、そういう話」
「じゃ、本人に聞けば?」
「もう、日向は分からない子ねぇ。本人に聞いたんじゃ意味がないでしょう? こっそり好物を作るからいいのよ」
 僕には聞いてから作っても同じような気がするんだけど。
「それで僕に下調べしろって言いたいの?」
 母さんの言いたいだろうことを先に言ってみる。母さんは僕の台詞を聞いて、上機嫌に頷いた。
「そうなの。日向、ヤーコちゃんと仲良しでしょう? 聞いてみて」
 この際「仲良し」というところは置いておこう。聞かなかったことにしよう。
「でも僕が直接聞いたんじゃ意味ないんでしょ。『本人に聞いたんじゃ意味がない』って、さっき母さん自身が言ってたんだけど」
「もう、日向ったら本当に分からない子ねぇ。だから、それとなく聞くのよ」
 そんな高度な技、僕にできると本気で思っているんだろうか?
 それとなく聞く、だなんてことをやり遂げる自信はない。第一、僕は回りくどい言い方とかオブラートに包んだ物言いとかが苦手なのだ。それなら分かりやすく直接言葉に出した方が遥かに効率がいいし、ストレスも溜まらないというものだ。
「……僕にそんな期待を持たない方がいいよ」
「どうして? 日向ならできるわよ」
 母さんはぽんぽんと僕の肩を激励するように叩く。買い被りもいいところだ。
「それとなくなんて聞けないよ、僕。直球でヤーコに聞くよ、僕」
「もう。それじゃ意味がないのよ」
 母さんは呆れたように繰り返す。
 このままいくと堂々巡りになりそうな話題だ。僕は仕方なく、
「分かった。できる限り頑張ってみるよ」
 言った。
 母さんはその答えに満足したらしい。にっこり微笑んで、果物が盛りつけられた皿を手で押して僕の方へやった。
 まったく。自分で聞いた方が絶対に早いのに。
 それにしてもどうやって聞けばいい? そう言えば、ヤーコに好物なんてあるんだろうか。
 訊ねた答えが「ペポラ」とかいう訳の分からない違う星の食べ物だったりしたら……。本当に「ペポラ」なんていう食べ物がヤーコの星にあるかどうかは知らないけど。いや、案外地球をくまなく探せば「ペポラ」っていう食べ物も見つかったりするかもしれないけど。
 いや。それ以前に、ヤーコは夕方の時点では地球の食べ物をまったく知らなかったじゃないか。僕に「おススメはなんだ」と聞いたぐらいだ。地球の食べ物で好物などあるはずがない。
 僕は振り返って母さんに伝えようかと思ったけど、わざわざ言うほどのことでもないような気がして、結局皿を持ってダイニングテーブルの前に立った。
 相変わらず熱心に新聞を読む父さんの前で少し皿を掲げてみせる。
「食べる?」
 父さんは新聞から目を上げて僕と皿を交互に見る。それから微笑んで首を横に振った。
「いや、遠慮しておくよ。青葉とヤーコちゃんと食べなさい」
 僕は父さんの答えに頷いてソファまで歩いて行った。
 相変わらずテレビを食い入るように見つめている青葉から少し距離を置いてソファに身体を沈める。ローテーブルに皿を置くと、皿に置かれていたフォークを取ってリンゴに刺した。
 実は、リンゴはあまり好きじゃない。しゃりしゃりとした食感が好きじゃないのだ。でも嫌いというわけでもないので、食べる。
 テレビでは人気らしい芸能人やお笑い芸人が沢山出て、楽しそうに話をしていた。
 青葉は匂いで果物の到着を知ったのか、目はテレビに貼り付けたまま、手だけを伸ばしてフォークを掴み、手近なオレンジに突き刺した。
「……行儀悪い」
 ぼそりと僕が呟くと、青葉はさっき僕がしたのと同じようにちょっと肩をすくめてみせた。青葉はオレンジを口に運んで、少し酸っぱそうな顔をした。
 そのときダイニングのドアが開いて、ヤーコが風呂上がり特有の上気した顔で入ってきた。

 

 

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