07


 私はこっそりと家宅捜索を行っていた。ターゲットは両親の高校の卒業アルバム。
 卒業アルバムには、3年生の時だけの写真が載っているわけではない。1年生から3年生の間にあった行事の写真も載っているのだ。
 綾人は2年生の6月23日に事故に遭うまでは姫治西高に在籍していたのだから、もしかしたら綾人も卒業アルバムに載っているかもしれない。
 綾人を見てみたい。
 その思いだけが、私を突き動かしていた。
 物置部屋と化している客室のクローゼットを漁る。次々と出てくる写真やアルバム。けれどそのどれもが、両親が結婚した後のものばかりだ。
 新しくアルバムを手に取って目に入れる度に、大きな溜め息が漏れる。
「違う」
 次のアルバム、次の写真――そうして次々と手に取っていっているうちに、色褪せた一枚のプリントが出てきた。かさりと乾いた音を立てたそれに目を落としてみると、それは男の子らしい雑な文字で「保城優也」と書かれた答案用紙だった。
 二学年 一学期中間考査≠ニ書かれたそれは、英語の答案用紙だった。点数は98点。痛恨のスペルミスだった。
「私の英語力はお父さん譲りね」
 思わず微笑んで見下ろす。答案用紙を戻そうと手を伸ばした先に、さらに何枚かのプリントがあるのが目に入って、私はさらに手に取った。
 かさかさと紙の擦れる音を立てて、セピア色に染まったそれを見る。すべて父の答案用紙だ。しかも英語ばかり集められている。
「どんだけ英語得意自慢なの、お父さん……」
 呆れて呟きながら、一枚一枚捲っていく。すべて95点から100点の間の点数だ。この点数なら自慢もしたくなるか、と思いながら最後の一枚を見下ろす。そしてそこに書かれた「29点」の文字に驚いて目を見開いてしまった。赤点だ。
 もしかしてこれだけ違う教科が混じってしまったのだろうかと思って解答欄を見てみるけれど、ほとんど空欄の解答欄にぽつぽつと英語が綴られていた。首を傾げながら解答用紙を隅々まで見ていると、解答用紙の一番上に二学年 一学期期末考査≠ニ書かれていた。
「2年、一学期、期末」
 単語だけ取り出して呟く。そしてすぐに思い当った。父の赤点の理由に。
「綾人」
 二年生の期末考査が行われる7月――そこには、もう綾人の姿はない。
 唇を噛み締めて、答案用紙をまとめて戻す。それから一冊の冊子が目に入って、私はそれを手に取った。裏向けて置かれていたそれを表に返す。そこに掲げられたタイトルに、私は掌が汗ばんだのが分かった。
 もう一度、唇を噛み締める。そして1988年度 卒業文集≠ニ書かれたそれを、開いた。
 ぱらぱらとページを捲って、父の文集に辿りつく。タイトルは「親友」。
 じわりと涙が滲んできたのを感じて、私は乱暴に手の甲でそれを拭うと、続けてページを捲る。やがて母の文集のページにいきついて、私は手を止めた。母の文集のタイトルも「親友」だった。
 本文に目を遣ると、何度も出てくる「綾人」の文字。それ以上読むことができなくて、私は文集を閉じると天井を見上げた。
 目には涙が溜まっていく。けれど今度はそれを拭うことはしなかった。
 ああ、神様。もしもいるのだとしたら、私の問い掛けに答えて。
 どうして、綾人は死ななければならなかったんですか?
 綾人がいなくなって、こんなにも辛く思う人間がいたというのに――。

 

§
 

 6月17日、木曜日。22時30分にかかってきた電話に私は出た。
「もしもし」
『もしもし、綾人です』
「うん」
『……どうかした? 元気がない声』
 鋭い綾人に、私は苦笑を洩らした。
「鋭いね。まあ、ちょっとあってね。現代の――あっ。この場合は2010年ね。2010年の女子高生は大変なのよ」
 冗談っぽく私が言うと、綾人は腑に落ちないような声で言った。
『本当に大丈夫?』
「大丈夫よー。心配性だね、綾人は」
 無理やり明るい声を繕って言うと、今度は綾人が苦笑を洩らした。
『それ、よく言われるんだよね。親友から』
 何気なく言われた言葉に、涙が滲むのが分かった。困ったことだ。涙腺が壊れてしまったらしい。
「それって、男の子の親友? 女の子の親友?」
『男の方だよ。あっ、彼だよ。僕に#1580≠フ電話のこと言ったの』
 綾人の楽しそうな声に、私は呆れて小さく息を吐いた。
 父だったのか、この奇妙な交流のきっかけを作ったのは――。
 そう思って、私ははっとして訊ねていた。
「ねえ、その子には言ったの? 未来と繋がったって」
『言ってないよ。言ったって信じないと思うし』
「まあ、そうだよね」
 苦笑して言うと、綾人は少し間を置いてからゆっくりと言った。
『それにね、内緒にしていたくて。だって、誰かに話した途端に消えてなくなっちゃいそうで――アヤカとこうして話をするのは、僕だけの宝物なんだ』
 声にきらきらと輝く光を乗せて、綾人は言葉を紡ぐ。その声から、綾人が受話器を持ってはにかんだような笑顔を浮かべている姿が想像できた。
『アヤカは? 昨日話してた親友に僕のこと言った?』
 綾人はそっと訊ねてくる。それに私は首を振りながら答える。
「ううん。誰にも話してない」
 両親にさえ、という言葉は呑み込んだ。綾人とのこの交流は誰にも知られていない。
『そっか……そう考えると、共有してるね、僕たち。秘密を』
 綾人は大切なことのように、けれどどこか悪戯っぽく告げる。その言葉に私は思わず微笑んでいた。
「そうだね。秘密」
 そっと言うと、綾人が小さく笑った。その笑い声がとても心地いい。この声が、後少しで失われるなんて、そんなことがあっていいのだろうか。
『あっ。そうだ、アヤカ。卒業アルバムの清加、見た?』
 ふと綾人は思い出したのか、少し身を乗り出したように訊ねてくる。私は一瞬だけ言葉に詰まってから「ううん」と言っていた。また、嘘を吐いてしまった。
 綾人は私の答えに小さく声を零して、それから急き込んで訊ねてくる。
『どうして? もしかして載ってなかったの? 清加』
「あ――そうじゃないの。今日は卒業アルバム見に行く時間がなくて――ほら、生徒会室に管理されてるんだけどね、今日は役員会議があったから」
 これは、嘘じゃない。確かに今日、美菜は「役員会議がある」と話していたから。
 私の答えに綾人はほっとしたのか、大きく息を吐いた。
『なんだ、そっか……よかった』
 心の底から安堵したような綾人の声。
 載ってないのはあなたなんだよ、綾人――。
 そう言おうとして、6月23日のことを忠告しようと口を開く。けれど私の声が外に出る前に、綾人の声が耳に届いた。
『あっ――ごめん、アヤカ。今日はもう切らなくちゃ。父さんが電話替われって』
 綾人はそう言うと、もう一度『ごめんね』と呟く。それに私は頷いて「分かった」と返した。
 綾人に話さずにすんだことに、心のどこかでほっとしている自分がいた。綾人に酷なことを告げたくなんてなかった。
「じゃあね、綾人。また明日電話くれる?」
『うん、もちろん。じゃあ、また明日』
 綾人はそう言うと、受話器を電話機に戻そうとしていたのだろう。けれど、突然何か思い出したのか『あっ』と呟く綾人の小さな声が聞こえた。私はそれに気がついて、耳から離そうとしていた携帯を、もう一度耳に当てた。
『アヤカ?』
「何?」
『思ってたんだけどね、アヤカって僕の親友に似てる。男の親友の方なんだけどね。怒りっぽいところとか、でもすごく優しいところとか――僕の一番の親友に』
 綾人は少し照れながらそう言うと、もう一度『じゃあね』と言って電話を切った。
 最後に言われた言葉に、私は目を擦る。涙腺が緩みっぱなしで困る。
 私の短気な性格は、父譲りだったらしい。今はあんなに丸い父も、若い頃は私みたいだったのか。
 綾人。あなたの一番の親友は、あなたの大切な女の子と結婚して、私の父として生きている。
 あなたが6月23日に事故に遭わずにすんで、ずっと生きて行ってくれるとしたら――綾人。あなたはそれを、どう思うの?

 

 

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