03


「部活も休みだっていうのにわざわざ学校なんてね」
 私の隣で末広(すえひろ)美菜(みな)が言った。彼女は所謂「腐れ縁」というやつで、幼稚園の頃からずっと一緒の親友だ。彼女は私とは違って頭がよく、しっかりとしている女の子だった。
「それで何のために学校なんて行くの? 綾加のことだから図書室に寄りたいとかはないでしょ」
 美菜は考える素振りを見せる。彼女の発言に私はわざと不機嫌な表情を浮かべた。
「なにー、その『綾加のことだから』っていうのは」
「そのまま言葉のとおりに受け取ってください」
 美菜は神妙な調子で言うと、腕時計に目を落として手を振った。
「じゃ、私は帰るね。今日は塾があるから」
「17時からだっけ? ご愁傷様」
 私はしんみりとした顔つきで手を振る。美菜はそれに笑いながら、踵を返すと早足で去って行ってしまった。
 突然ひとり取り残された私は、寂しさを紛らわせるように息を吐いてから北門に向かって歩く。正門は、登下校時以外は常に施錠されていてインターホンを鳴らさないと開けてくれないけれど、休みの日に限っては北門の通用門が部活の生徒のために解錠されているのだ。
 重い門を押し開けて、目の前に広がるグラウンドをランニングする野球部員に目を走らせる。掛け声を上げながら走る姿は、なんとも青春っぽい。
 ポケットに入れていた携帯を取り出して時間を確認する。
 現在の時刻、15時50分。約束の時間には十分だ。
 約束の花壇の前で立ち止まると、遠くからサッカー部の紅白試合のホイッスルの高い音が風に乗って届いてきた。ふっと息を吐き出して、近くにあったベンチに腰掛ける。夏の香りを運ぶ風を感じながら揺れる花を見つめていた。
 もう一度、携帯を取り出す。時刻は16時。約束の時間だ。
 少し居住まいを正してから、きょろきょろと辺りを見渡してみた。辺りには部活中の生徒しかいない。こちらに向かって歩いてくる人影もない。
「でもまだ、16時丁度だしね……」
 ぽつりと独り言ちてしまってから、私は慌ててきつく口をつぐんだ。ぼそぼそ独り言を呟いているところを間違って誰かに聞かれでもしたら厄介だ。
 そう思って私は澄まし顔に戻って、じっと花壇に咲く花を見下ろした。
 じっと何もせずに待つということはかなり辛いことらしい。私は5分で耐えられなくなって、体勢を崩す。後ろに手を付いて足を投げ出した。
 遠くから楽しげに談笑するチアリーディング部員の声が聞こえてくる。女の子らしい高い可愛らしい声が、妙に耳についた。
 携帯をポケットから取り出して、三度目になる時刻確認をする。既に時は16時30分。約束の時間から30分も経っている。しかも私は約束の時間よりも10分早くここに着いていたのだから、既に40分もこうしてぼんやりとしていることになる。
 じっと携帯の画面を睨んでも、示す時刻は変わらない。アヤトからの連絡すらない。
「来れなくなったとかなら、連絡ぐらいしなさいよね……こっちはそっちに連絡できないんだから」
 私が知っているアヤトの情報と言えば、男の子であること。17歳であること。上品な声で優しい喋り方をすること。そして電話番号が「通知不可能」であることだけだ。
 昨日まで話していたアヤトは嘘を吐いたり、からかったりするような人には思えなかった。けれどここで30分も待ち惚けを食らっている私の現状を考えれば、私はからかわれたらしい。
「……腹が立ってきた……」
 もう人目を気にするのも面倒になった私は、携帯を力強く握り締めながら風にそよそよと揺れる花を睨みつけていた。
 何をしているんだろう、私は。何を期待していたんだろう、私は。
 そんな情けない気持ちと、騙されたという憤りを覚えながら私は勢いよくベンチから立ち上がって、そこから立ち去った。

 

§
 

 6月13日、日曜日。22時30分。定刻どおりかかってきた電話に飛びついた私は、通話ボタンを押すと同時に憤然として口を開いた。
『からかったの?』
 そう言おうとしていたのは確かだけれど、聞こえたのは私の声ではなかった。アヤトの静かな声が受話器越しに聞こえて、この期に及んでからかおうとしてくるアヤトにさらに腹が立った。
「からかったって、それはアヤトの方でしょ! 私はずっと待ってたんだから」
『どうして嘘吐くの? 僕は今日ずっと綾加を待ってたよ。姫治西高校北門の花壇の前で』
「嘘吐いてるのはそっちでしょ! 私の方こそずっと待ってたんだから。姫治西高の北門花壇の前で!」
 アヤトの飄々とした声音に沸々と煮えたぎる怒りを堪えられず、私は一気に言い募る。けれどアヤトは声に不快感を少しだけ滲ませて――こんなときまで上品なヤツだ――静かに告げる。
『じゃあアヤカが通っている姫治西高≠ニ僕が通っている姫治西高≠ェ別だとでも言いたいの? この姫治市に同じ名前の高校なんてないはずだけど』
「それはこっちの台詞よ! この期に及んで往生際が悪い。アヤトを信じて40分も待ってた自分がバカみたい。何なの、からかって楽しい?」
『訳が分からないよ。どうして僕が怒鳴られなくちゃいけないの?』
「それはそっちが私をからかったからよ!」
 一方的に私は声を荒げる。けれどアヤトはあくまで冷静だ。その冷静さにも腹が立った。
『……アヤカ、本当に嘘吐いてないの?』
 疑るようなアヤトの声。けれどその声は私の熱くなった思考回路を十分に冷やす効果だけはあったようだ。私はどうやら本当に疑われているらしいことに冷たい気持ちになって、声のトーンを下げた。
「吐いてないわよ。っていうか、嘘吐いてたなら今日の電話にだって出ない」
『それを言うなら僕だって、嘘を吐いたなら今日わざわざ電話しない』
 アヤトは静かにそう言って、小さく唸った。アヤトの声に私は、冷静に思考を働かせる。
 もしかしたら本当にアヤトは嘘を吐いていないのかもしれない。もしかしたら――ほとんどありえないことだけれど――待ち合わせ場所を間違えてしまったとか。
『ねえ、アヤカ。僕たちは同じ高校の同じ学年の生徒でしょう。だったらこんな回りくどいことをしないで、お互いのクラスを伝えればいいんじゃないかな。そうすれば月曜日に会えるよ』
 アヤトは落ち着いた声で話す。それに私は渋々頷いた。
「なんか今日が無駄になった気分……でもそれでいい」
『よし。じゃあ決まりね。僕は5組。2年5組だよ』
 アヤトは穏やかな声に戻って、いつもの優しい声で堂々と言い切った。私はアヤトが紡いだ言葉に一瞬固まって、それから再び沸々と怒りが込み上げてくるのを感じた。
「……何だ、やっぱりからかってるのね」
 冷たい声が唇から零れ出ていた。
『どういう意味?』
 アヤトの驚いたような声。それも芝居臭く感じられて、私はさらに声を低くさせた。
「あのね、姫治西高のクラス番号は数字じゃないのよ。アルファベットなの。私はD組。2年D組よ。アヤトがいるっていう5組なんて、姫治西高には存在しないってこと」
 私が静かに告げると、受話器の向こうでアヤトはしんと静まり返った。
 やっと私をからかったことを認める気だろうか。それよりもアヤトは、クラスを言ってまで私を謀ろうとしたのか。なんて卑劣なヤツなんだろう。
「部活もない折角の日曜日だっていうのに、私は運動部の生徒に紛れて学校に行ったのよ。その時間を返して欲しいわ」
 苛立ち紛れに私は携帯をぎゅっと握り締めながら吐き捨てるように言う。するとアヤトが受話器の向こうで小さく呟いた。
『何だ……やっぱりからかってるんだ』
 てっきりアヤトから謝罪の言葉が出てくるとばかり思っていた私は、紡がれた言葉に驚いて言葉を失った。
『姫治西高はアルファベットなんかでクラスを振り分けてないよ。数字だ。それに今日は土曜日じゃないか。学校あったでしょう』
 アヤトは一気にそう言うと、続けて『切るよ』と一言告げて一方的に電話を切った。
 私は無情にも「ツーツー」と音を立てる携帯を耳に押し当てたまま、ぽかんとしていた。
 意味が分からない。姫治西高はアルファベットでクラス分けされている。それに今日は土曜日なんかじゃなく、間違いなく日曜日ではないか。
 確かに姫治西高は土曜日も授業を行っているけれど――それでも意味が通じない。アヤトは間違いなく「今日は土曜日」と言ったのだ。
「……何なの、意味分かんない……」
 私は未だに携帯を耳に押し当てたまま、ぽつりと呟いていた。

 

 

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