02


 6月12日、土曜日。22時30分。昨晩アヤトが告げたとおりの時間に、携帯が着信音を奏でる。
 けれど携帯が鳴り始めるまですっかりそのことを忘れていた私は、プリクラを切っていたハサミを置いて、溜め息を零してから通話ボタンを押した。
「もしもし」
『もしもし、アヤトです。アヤカ?』
「うん。時間ぴったりね」
 携帯を頬と肩で挟みながら、机の上に広げていたプリクラを片付ける。アヤトは受話器の向こうで小さく笑った。
『あのね、僕たちまだお互いのことを話してなかったよね?』
「と、言いますと?」
 引き出しを閉じて携帯を持ち直す。アヤトはひとつ間を置いてから言った。
『ほら、お互いの年齢とか住んでいる所とか。性別は声で分かると思うけど、僕は男だよ。あっ、声だけじゃなくて一人称でも分かるかな』
「うん、気づいてたよ」
 アヤトは少し抜けているのかもしれない。可愛いなと思いながら笑って私も言う。
「私は女よ。多分気づいてたと思うけど」
『うん、気づいていたよ』
 アヤトは先程の私の言葉を真似するように言った。
 昨日、電話を終えた時は「とんでもない人と近況を語り合うことになってしまった」と後悔していたけれど、こうして改めて話してみるとそうでもないかもしれない。アヤトはしっかりとした常識人に思えた。
「ちなみに私は17歳。残念だったな」
 私がそう言うと、アヤトが受話器の向こう側で首を傾げたような気がした。
『なにが残念なの?』
「昨日年齢を聞いてくれてたら、16歳って言えたのに」
『えっ! じゃあ、今日がアヤカの誕生日?』
 予想どおり大袈裟なくらいに驚くアヤトに笑いながら、私は「うん」と頷いた。
『うわー。おめでとう』
「ありがとう」
 丁寧に心を込めるようなアヤトの言葉に、言葉どおり見ず知らずの人から祝われたにもかかわらず、私の頬は緩んでいた。
『何かお祝いしたいけど、でも電話越しじゃ何もできないね……あっ。ハッピーバースデー歌おうか?』
「いいよ、別に。一歳、年を取っただけだしね」
 真剣に提案してくるアヤトに、私は笑いを堪えながら淡々とした調子を装う。けれどアヤトはそれに不満そうに言った。
『一歳年を取っただけなんて、そんな言い方ないよ。17歳の誕生日でしょう』
「うーん。でもそんな大層なことじゃないし」
『そうかなぁ。僕の友達なんて早く17歳になりたいって言ってるよ。女の子の友達だけど』
「そんな人いるの? 珍しいな。天然記念物だよ」
『それは言いすぎだよ』
 私が驚いて言うと、アヤトはくすくすと笑う。声だけじゃなく笑い方まで上品だ。
「アヤトの友達が17歳になりたい女の子ってことは、アヤトは何歳なの?」
『僕は17歳だよ。ちなみにね、その女の子は16歳』
 アヤトは至極丁寧に言う。その言葉の調子に好感を覚えた。もしかしたらこの電話は悪いことでもないのかもしれないな、と思いながら私は足を組んだ。
「16歳なら絶対そっちの方がいいのになぁ。その子だって17歳になったら思うわ。16の方がよかったー! って」
 情感たっぷりに言ってみると、アヤトは声を上げて笑う。その笑い声のトーンがとても心地よかった。
『そうかもね。でもね、その子が早く17歳になりたい理由は置いてけぼりを食らってる≠チていう気分になるからなんだって』
「置いてけぼり?」
『うん。僕たち――あっ。僕には親友が二人いるんだ。その女の子と、もう一人同い年の男子がいて。それで親友の男子と僕は誕生日が早いんだ。親友が4月で僕が5月。でもその女の子は早生まれで1月なんだ。だから僕らは先に年を取っちゃうんだよね』
「確かにそうなるわね」
『だから置いてけぼり=B自分一人だけ仲間外れになってる感じがするっていつも言ってる』
「ふぅん……私なら『私一人だけ若いんだぞ』って年寄り二人に向かって言うけどな」
 私が至極真面目にそう返すと、アヤトは爆笑した。爆笑しているにもかかわらず、アヤトの上品さは抜けていない。これはすごい、と私は密かに感心しながらも、表面上はむっとした調子を取り繕った。
「今のって爆笑するところ?」
『ごめんごめん。いや……アヤカなら本当にそう言いそうだなって思って』
「あら。昨日の今日でよく私のことが分かっていらっしゃるのね」
 嫌味っぽく言ってみると、アヤトは「ごめんごめん」と繰り返した。
『でもさ、これで僕たちは同い年だって分かったね』
「まあね。じゃあアヤトも高校二年生よね? 進路とか考えてる?」
『うん。僕は絵の勉強をしたいんだ。だから美大かな』
 きっぱりと迷うことなく告げたアヤトに、私の胸は焦燥感に駆られた。
 同い年なのに、自分とはまったく違う。私はまだ二年生だからと、将来のことなんて何も決めずにだらだらと過ごしているのだ。
 けれどアヤトはそんな私の気持ちは露知らず、軽く訊ねてくる。
『アヤカは? やっぱりもう決めてるの、進路』
 明るく訊ねてくるアヤトに、私は言葉を詰まらせて天井を仰いだ。どうせ知らない人だ。嘘を吐いたってバレないし、どうってことない。そう思ったけれど、なぜだか私の唇はそのとおりには動いてくれなかった。
「……まだ、何も」
 自分の口から零れ出た言葉が、驚くほど沈んでいた。それに焦ったのは、どうやら私よりもアヤトだったらしい。アヤトは少し狼狽した様子で告げる。
『まだ決めなくてもいいんじゃないかな? ほら、僕たちまだ17歳だし』
 まるで小さな子どもをあやす様に優しく言葉を紡ぐアヤトに、苦笑を浮かべてしまった。見ず知らずの人に慰められてしまっている。
「ありがと。でも、そろそろ考えなくちゃね。一応ね、私は英語が好きだからそっち系に進めたらなとは思ってるの」
『それで立派だよ。僕なんて英語苦手だからいつも友達に教わってるよ』
「そうなの? じゃあ私も教えてあげられるよ。英語は好きで得意なの」
『羨ましいなあ』
 少し自慢げに私が言うと、アヤトは優しげに告げる。それに気がついた私は、参ったなと思いながら頬杖をついた。同い年なのに、アヤトは大人だ。
「そう言えばさっき、住んでる所がどうとかって言ってたよね。アヤトはどこに住んでるの?」
 自分の幼さを隠してしまいたくて、私は無理やり話を変える。アヤトはそんな私の子どもっぽさすらも手に取るように分かっただろうに、穏やかに答えた。
姫治(ひめじ)
「姫治!?」
『うん。あれ、知らない? 世界遺産の城の――』
「それは知ってるよ、さすがに。っていうかそうじゃなくて、私も姫治に住んでるの」
『えっ! 本当? じゃあもしかして、近くの高校に通ってたりするかも』
「私、姫治西高校」
『えっ! 僕も姫治西』
 アヤトがそう告げた瞬間、しんと沈黙が下りた。頬杖をついていた手の力が抜けて、ぱたりと机の上に落ちた。
 私は何も話さない。アヤトも何も言わない。そのまま数分間、二人して黙りこんで通話料を無駄にしたところで、私は小さく言った。
「嘘でしょ」
『アヤカこそ』
 そう一言交わして、再び沈黙する。そのまま数十秒、再び通話料を無駄にしたところで今度はアヤトが口火を切った。
『じゃあさ、明日、学校で会える?』
「え!」
『あっ。嫌なら別にいいよ。ただ、アヤカに会ってみたいなって思って』
 アヤトは静かにそう告げる。私は息を吐きながら、頭を擦る。
 どうしたものか――。
 こうして話している分ではアヤトは変な人ではなさそうだ。けれど、実際に会うとなれば違う。しかも明日は日曜日、学校は休みだ。そんな人気のない学校で会うのは、やはり気が引ける。
 でも会ってみたい気持ちもある。アヤトの姿をこの目で見てみたい。電話越しに聞く声だけではなく、その姿を見て直接声を聞いてみたい。
「そうだな――うん、いいよ。じゃあ、明日の午後4時に北門の花壇の前でどう?」
 明日の午前中は友達と出掛ける予定がある。けれどそれを早めに切り上げて学校へ向かえばいいだろう。午後4時なら部活中の生徒もいるだろうし、北門の花壇の前は人目につきやすい。
 私は自分の提案に頷きながらアヤトの返事を待つ。程なくしてアヤトはほっとした様子の溜め息とともに言った。
『うん。明日の午後4時に、北門の花壇の前で』

 

 

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