「さあ、姫様。次は着付けですわ」
 綺麗に髪を結いあげて、最後に丁寧に美しい髪飾りを挿し終えると、椿の彼女は後ろで待機していた青い髪飾りの彼女の方へ私を促した。
 それを見て私はよろよろと彼女の元へ歩み出す。そのあまりの力の抜け具合に、椿の彼女は驚いて私の腰へ手を回すと、支えるように一緒に歩き出した。
「大丈夫です」
 ほとんど消え入るような声で椿の彼女にそう囁くと、彼女は不安な面持ちながらもしぶしぶ手を外した。
「姫様、御気分でも……?」
 青い髪飾りの彼女はふらふらと覚束ない足取りで歩く私を受け止めると、手際よく着物を脱がせながら眉根を寄せて小さな声で呟く。
「大丈夫です」
 私は右手を軽く振ってそう繰り返すと、されるがままにぼんやりと立ち尽くした。
 そうだった。よく考えてみれば――いや、よく考えなくても――今日が結婚後、初めての夜なのだ。つまり世間でいうところの初夜で、初夜ということは……。
 私はそこまで考えつくと、思わず目を見開きながら小さく首を振る。
 いいえ、有り得ない。まさか闇音と自分に限って。
 そう自分自身に言い聞かせるように思った後、もうこれ以上考えるのはよそうと決めて、着付けに集中しようと忙しなく手を動かし続けている二人を見つめる。けれど、どうしても意識がそちらへ向かない。頭のどこかで今夜のことがぐるぐると回り続け、それが心にずしりと圧し掛かる。これでは今夜が来る前に精神が持たなさそうだ。
 そんなことを考えるぼんやりとした私を置いたまま、二人は着付けを進めていく。
 長じゅばんを手早く着付けると、続いて掛け下を着付けていく。私は二人の指示どおりに動いたり動かなかったりしながら、姿見を見つめ続けていた。ときどき二人が、苦しくないですか? などと訊ねてくれるので、それに答えるぐらいしか私のすることはなかった。
 帯を巻き、飾り小物を帯に挿し込むと、最後に白無垢を着る。そして仕上げに綿帽子が被せられた。
 ぼんやりとしていたからだろうか、着付けにそんなに時間はかからなかったように感じたけれど、着付けを担当してくれた二人はどこか疲れた雰囲気が漂っている。
「あの、ありがとうございました」
 着物の重さと綿帽子が気になって深くお辞儀はできないけれど、気持ちだけでもと思ってちょこんとお辞儀をする。すると二人は疲れた様子ながらも充実した笑顔を向けてくれた。
「いいえ、姫様の準備を手伝えたことはとても光栄でした」
 二人はほとんど同時に同じ言葉を言うと、お互いの顔を見合わせて柔らかく笑う。それを見て私も先程までの重い気持ちをすっかり忘れて思わずにっこりしていると、椿の彼女がはっとした様子で時計へと目を走らせた。
「まあ、大変。そろそろ控えの間まで移動しなくては」
 椿の彼女につられて青い髪飾りの彼女も時計へ素早く目を走らせると、私を促すように歩き出した。
 この世界に来てから着物の生活だったとはいえ、さすがに白無垢は着馴れない。これが花嫁衣装だと思うと、白無垢の重さだけではないずしりとしたものが、文字どおり心身に圧し掛かってくる。
 先導してくれる椿の彼女の後を追って、俯き加減で慎重に歩きながら廊下を進む。
「控えの間では闇音様がお待ちです。その後、お二人揃って大広間へ入られて、そこで婚儀を執り行います。その後は披露宴ですわね。こちらは形式ばってはおりませんから、気を楽になさってくださいね。あ、披露宴の前に色打掛にお色直しです」
 椿の彼女は少し早口でまくしたてるように簡単にこれからの予定を口頭で伝えてくれる。それから振り返って私を見つめるとにっこりと微笑んだ。
「あの」
 私はなおも慎重に歩きながら、その笑顔に遠慮がちに声を掛ける。すると彼女は、いかがなさいました? と優しい笑顔で返してくれた。
「控えの間にいるのは、闇音一人ですか? 四神家のみんなとか、三大さんとかは……?」
 私のおずおずとした言葉に彼女は苦笑を浮かべると言った。
「しきたりとして、花嫁は挙式が済むまではそのお顔を新郎以外に見せてはならないということになっているのです。綿帽子を被るのにも、本来はそうした意味があるのですわ。ですからこの度も、婚礼の儀が執り行われるまでは新郎以外にそのお顔を見せてはならないことになっております」
「ですから四神家の皆様も三大の方々も、披露宴の時に直接大広間へお出でになります」
 椿の彼女の説明を受けて、最後に青い髪飾りの彼女がそう言い添える。
 それを聞いて私は頷くしかなく、その後で小さく溜め息を吐いた。

 

 ゆっくりと廊下を歩き、大広間にほど近い一室の前で椿の彼女は立ち止った。
「どうぞ、姫様」
 部屋の入り口手前で彼女はそう言うと、静かに目を伏せて私が部屋へ入るのを待つ。思わず振り向くと、青い髪飾りの彼女も同様に目を伏せながら、私が動くのを待っている様子だった。そんな二人に私はもう一度、感謝の気持ちを込めてお辞儀をすると、二人は目を上げて微笑んでくれた。
 その笑みを後ろに部屋へ入ると、紋付羽織袴を身につけた闇音が正座をして畳へ視線を落としているのが目に入る。スタイルのいい体つきに紋付羽織袴を身に纏った闇音は目を奪われるほど美しかった。
 そんな彼へ恐る恐る近付きながら、ちらりと部屋の中へ視線を走らせる。他の部屋に比べるとあまり広くはないこじんまりとした部屋に、闇音と二人。昨晩のやり取りも考慮すると、非常に気まずいところだ。
 少し闇音との間に距離を取って腰を下ろすと、闇音はその時になって初めて私が入ってきたことに気づいた様子で、顔を上げて私の方へ視線をやった。その途端、闇音の瞳が不自然に見開かれた。
 いつも負の感情しか宿さないその顔に、今は驚きの感情らしいものが浮かんでいる。私の方はそれに驚きながら闇音を見つめ返すけれど、闇音もまた目を見開いたまま私から視線を外す気配がない。
「あの……?」
 闇音の視線をまともに受けて、しどろもどろになりながら小声で声を掛けると、闇音は今度は目を細めて疑わしそうに私を見つめた。
「美月か?」
 ぽつりと零された闇音の声を聞いて、私は不思議に思いながらも頷いた。けれど闇音はなおも眉間に皺を寄せて探るように私を観察して、上から下へ視線を走らせる。
 何をこんなに疑うことがあるというのだろう。ここにいるのが私じゃなくて別人だとでも言いたいんだろうか。仮に別人だとしたら一体誰だと言うのだ。
 そんな不満に近い思いを私から感じ取ったのだろうか、闇音は不意に視線を外すと私から顔を背けた。
「――馬子にも衣装だな」
 闇音は小声でそう言い終えると、間をおかずにくるりと私の方へもう一度顔を向ける。
「いや、上手く化けたと言った方が近いか?」
 掛けられた不躾な言葉にむっとして、思わず眉根を寄せながら闇音を見ると、闇音は口の端だけを引き上げた冷笑を浮かべていた。
 綺麗に化粧をしてもらい花嫁衣装を身につけたことに、どうしてこんなことを言われないといけないのだろう。
 秀麗な闇音の顔に際立つ冷たい笑みを見つめながら、冷静にそう思うと投げられた言葉に反論する気力すら失ってしまった。それに気づいて心の中で悔しく思う。昨日から完全に闇音のペースにはまってしまっている。そう思いながら俯いて小さく溜め息を吐くと、廊下から静かな声が聞こえてきた。
「失礼いたします。闇音様、美月様。大広間へどうぞ」
 声に誘われるようにそちらを振り返ると、巫女装束を着た女性が微動だにせずに一礼しているところだった。
 私がその人に向かって返事をしていると、後ろから衣擦れの音が聞こえてくる。
 その音の出処である闇音の方を振り向くと、闇音は既に立ち上がって私を見下ろしていた。それを見て私も慌てて闇音から十分距離を取って立ち上がった。闇音はそれを確認すると、真っ直ぐ前を向いて歩き出した。
 私はその後ろ姿をしばらく見つめてから、心を落ち着かせようと深呼吸をして、それからゆっくりと歩き出す。
 足元を見ながら歩いていた私は、ふと視線を感じて前を向くと、闇音が廊下に出たところで私を待つように見つめているのが目に入った。
 後ろから光が差しこんでいるために、闇音には後光が差している。闇音の均整のとれた体を縁取るように差すその光があまりにも美しく感じられて、私は思わず目を伏せた。
 あんなに冷たい言葉を紡いで、普通ならば綺麗とは言えない笑みを浮かべるこの人が、どうしてこんなにも美しいのだろう。どうして私はこんなにも美しいと感じるのだろう。
 そう考え出すとだんだんと気後れを感じてきて、ここから逃げ出したいという気持ちが膨らんでいく。冷えた手をぎゅっと握っていると、視界の端でそっと手が差し出されるのが見えた。
 その手に驚いて顔を跳ね上げると、静かに右手を差し出している闇音の姿があった。その行為に驚いて彼を見つめるけれど、闇音は淡々とした表情を崩さずに、ただ私へ手を差し出していた。
 その様子を見て、きっと仕方がなくこうしているのだろうという結論に至って、それを心のどこかで悲しく感じながら、私はその手に自分の左手を重ねた。

 

 

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