二十三

 

「彰ー。彰ー?」
 すっかりくつろいだ様子の輝石君が、うつ伏せになって足をバタバタさせながら彰さんを呼ぶ。その様子を聖黒さんが苦笑をもって見つめてから、一転して厳しい表情を作る。
「輝石。だらしがないですよ」
 効果音をつけるならまさに「めっ」という感じで人差し指を立てて、まるで小さな子どもを叱るように聖黒さんが言う。そんな聖黒さんに輝石君は機嫌を損ねたのか、むっとして頬を膨らませた。
 今、私の部屋には輝石君と聖黒さん、そして私の三人だけがいる。だから、だらしない格好をしていても誰にも迷惑は掛らないのだけれど、聖黒さんはどうやら同意見ではないらしい。
「彰が遅いのが悪い。だってもう十分以上は彰のこと待ってるんだから」
 輝石君は飛び起きると聖黒さんに詰め寄る。
「こんなに待ってたら、そりゃだらしなくもなるって。そうだろ、聖黒。そうだよな、聖黒」
 じりじりと間合を詰めて、輝石君は迫力があるとは形容しがたいしかめっ面を顔に貼り付ける。聖黒さんは再び苦笑を浮かべて少しずつ後退した。
「彰に声を掛ければこうなることは分かっていたでしょう。その上であなたが声を掛けたのですから大人しく待ちなさい。ほら、美月様を御覧なさい」
 聖黒さんは輝石君をたしなめてから、私の方を手で示した。
 突然スポットライトが当てられてしまった私は、正座する膝の上に乗せた腕を突っ張って、少し丸まり始めていた背筋を伸ばした。
「こんなにも姿勢正しく落ち着きをもって彰を待っていますよ。輝石も見習いなさい」
 聖黒さんの微笑みを見て、私の心は委縮して縮まる。自分の名前が聖黒さんの口から零れ出るその瞬間まで、どのタイミングで正座を崩すかで私の頭はいっぱいだったのだ。
「あー! 美月さま、ずるい! さっきまで美月さまもだらんとしてたのに!」
「し、してないよ」
「今どもった!」
「こらこら輝石。そういう言いがかりをつけるのはよくありませんよ」
 追及する輝石君にしらばっくれる私の図が出来上がりかけたところに、聖黒さんの助け船がやってくる。
 私は笑顔を堪えながらも、ほっと息を吐いて聖黒さんを見上げる。聖黒さんは目だけを動かして私を確認すると、輝石君に見つからないようにそっと人差し指を唇に当てる仕草をした。それを見た私は、聖黒さんにもだらけていた自分を見られていたことを悟って、思わず苦笑を零した。
 聖黒さんと私のやり取りに気づかなかった輝石君は、私が苦笑を浮かべているのを見つけて眉を寄せて首を傾げる。私はそれに軽く頭を左右に振って、
「何でもないよ」
 と言ったけれど、輝石君はさらに首を傾げて口を開いた。
「あれ、まだいらしたんですか?」
 輝石君が言葉を発する前に、蒼士さんの声が部屋にいる私たちに届く。三人はそれぞれ、その姿を探して視線をさ迷わせると、ほとんど同時に部屋には入らずに廊下から顔だけを覗かせた蒼士さんと朱兎さんの二人を見つけた。
「彰待ち」
 言葉短く輝石君が答えるのを聞くと、二人は納得したように口元を緩めた。
「さすが、白亜に会いに行くとなると違うね。彰は」
 朱兎さんは少し羨ましそうな口調でそう言うと、私へ視線を止めた。
「それより、本当に僕らは付いて行かなくても大丈夫ですか?」
「大丈夫です。輝石君と彰さんがいますから」
 心配そうな視線をくれる朱兎さんに、私は微笑みを返す。
 今日は輝石君の屋敷へ――西家へ行くのだ。
 私が最後に白亜さんに会ったのはもう二ヶ月前のことで、白亜さんに会いたいと私が言い出したことが今日の訪問に繋がった。
 その後の白亜さんの様子を輝石君から聞いていたとはいえ、私は実際に会って少し話をしたかったのだ。輝石君からは、会話にはならないと思うとは言われていたけれど、それでもどうしても会いたかった。
 それはとても自分勝手な思いだった。
 闇音と輝石君が少しだけ重なって見えたあの夜以来、白亜さんに会いたいという思いが募っていったからだ。
 彼女に会って闇音のことを知れるとは思わない。それに闇音は、私が彼の知らないところで闇音の話を聞くという行為を好まないだろう。今はただ、とにかく行動したいという思いだけが私を動かしていたのだ。
 輝石君は私の突然のお願いにも嫌な顔一つせず承諾してくれて、西家へと行くことになった。
 たまたま聖黒さんが今朝方、北家から緊急の書簡が届いて屋敷へ一旦戻ることになっていたので、聖黒さんも途中まで一緒に出ることになっていた。さらに当初の予定では、蒼士さんが何か連絡が必要なときのために黒月家に残り、朱兎さんも私たちに付いて西家へ行くことになっていたのだ。
 けれどこうして話でまとまりかけたところに、輝石君が偶然通りがかった彰さんの姿を見つけて、一緒に西家へ行かないか、と声を掛けたのが今のこの状況を引き起こしていた。
 ここ数日、仕事が立て込んで白亜さんに会いに行けなかった彰さんは、その申し出を嬉々として――本当に今まで見たこともないような甘い笑顔を輝かせて――受け入れた。そしてすぐさま別棟へ戻り闇音に了承を得たまではよかったのだけれど、白亜さんの好物や好きな花を持って行きたいらしい彰さんは、その準備にこれまた嬉々として取り掛かったのだ。
 そしてそれから既に二十分は経過しようとしている。
「彰が行くっていうから僕もここに残ることにしたのになあ」
 未だに姿を見せない彰さんに、朱兎さんは苦笑を零して呟いた。
 彰さんが西家に行くことになったために、その代わりに朱兎さんも黒月家に残ることになったのだ。
「さっき廊下で彰とすれ違った時、見たこともないような笑顔を浮かべてましたよ――同時にとても寂しそうでもありましたが」
 蒼士さんがその様子を思い出すようにそっと瞳を伏せて、まるで自分のことのように悲しげに語ると、輝石君が長く息を吐き出した。
「俺、ずっと夢だったのにな――」
 輝石君はそう零すと、そっと顔を背けた。
「姉ちゃんは彰と結婚するって思ってた。俺自身、そうなって欲しいってずっと思ってた。姉ちゃんは彰をずっと慕ってたし、彰も姉ちゃんのこと好きになってくれたみたいだったから。でも多分、もうそれは叶わないんだろうな……」
 輝石君の横顔からは悲愁しか読み取れない。いつもその場が明るくなるような笑顔を浮かべる輝石君のそんな表情があまりにも辛くて、私は口をつぐむしかなかった。

 

 

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