二十四
「遅くなってしまってすみません」
暗く沈みそうになった部屋に、明るく充足した笑顔を浮かべた彰さんが顔を出した。その腕には大きな包みを抱えていて、それが白亜さんへのプレゼントだということは誰の目から見ても一目瞭然だった。
いつもは聡い彰さんも、今は目の前にある白亜さんへの訪問で目が曇っているらしい。輝石君が無理やりに笑顔を作り出したのにも気づかない様子で、彰さんは輝石君と聖黒さん、そして私を順番に見やった。
「お待たせして申し訳ありません。準備に手間取ってしまって……」
彰さんは腕の中に抱える紫の布で包まれた贈り物を見つめて、誰もが思わず見惚れるような笑顔を落とす。その笑顔を見ただけで、彰さんがどれほど白亜さんに会いたがっているのかが図らずも私に伝わってきた。
「では参りましょうか。帰りが遅くなってはいけませんので」
聖黒さんは彰さんを見つめてそう言うと、輝石君と私を促して歩き出した。
私は未だに少し沈んでいる輝石君の腕に手を回して立ち上がる。輝石君は驚いたように目を見開いたけれど、次の瞬間には笑顔を見せて立ち上がった。
「ありがとうございます」
輝石君は小さな声で私に告げると、腕に掛けていた私の手に彼の手を重ねた。私は少しだけ目を細めてそれに答えるとすっと手を抜いて、蒼士さんと朱兎さんを振り返った。
「じゃあ行ってきます。お留守番よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げてから顔を上げると、二人が一様に微笑んで手を振ってくれているのが目に入った。輝石君と私はそれに手を振り返してから、既に部屋を後にしていた聖黒さんと彰さんを追って、急ぎ足で廊下へ出て行った。
空を見上げながら歩いていると、時々自分が今どこにいるのか忘れそうになる。この世界に来てもう三ヶ月は経つというのに、心のどこかで未だに現実についていけていない自分がいる。とても情けないことだけど。
たった三ヶ月間で私の周りはめまぐるしく変化して、でも私は何も変わっていない。いや、変われていないのだと思う。
「どうかなさいましたか?」
突然耳元で聞こえた声が一瞬、誰の声なのか分からなかった。それほど私の気持ちは三ヶ月前まで戻ってしまっていたのだろうか。
私は気づかれない程度に首を振って頭を覚ましてから、顔を横へ向けて隣を歩く聖黒さんを見た。聖黒さんは屈んで私の顔を覗き込むようにして、少しだけ心配そうな色を瞳に映していた。
「ちょっと考え事を」
心配をかけまいと私はそれだけを言うと、少し前を歩く輝石君と彰さんの背中を見つめた。二人の会話は聞こえてこないけれど、楽しそうに笑顔を交わしているのが見える。
それを見て私は輝石君と彰さん、そして白亜さんを思う。
二人はどうやって白亜さんの悲しい変化を受け入れたのだろう。それともまだ受け入れられていないのだろうか、と。
「私は輝石を白虎にしたくなかったんですよ」
唐突に聖黒さんが言った。
驚いて隣を見上げると、悲しい目をして輝石君の笑顔の横顔を見つめる聖黒さんがいた。
「あの子に重荷を背負わせたくなかったんです」
「そんなに四神家の当主の立場は大変なことなんですか?」
目を伏せた聖黒さんに、私は自然と小さくなった声で訊ねる。すると聖黒さんはふと考えるような表情を見せて、それから口元を弛めた。
「あの子にとってはそうでしょうね」
聖黒さんは含みを持たせて答える。
少し湿気を含んだ風が通り抜けて、聖黒さんの艶やかな黒髪を撫でていった。揺れる黒髪を見つめながら、どう質問していいのか分からない私は、口元に悲しげな微笑を湛える聖黒さんの横顔を見上げた。
「四神家は下界でいう貴族のようなものです。つまり四神家といえども、所詮は身分が高いだけの自由がない家です。特に当主となる第一子は生まれたときから主が決められ、それに沿って生きていくだけで自由など許されません。それに反して、第二子以下は比較的自由が許されます」
ゆっくりと歩きながら聖黒さんはどこか自嘲的に話す。その姿が、あの夜の闇音と重なった。
「私などは決められた生き方も悪くないと思います。ですが輝石はあの性分でしょう。当主や四神というものから一番離れた場所にいた子です。それ故、私は何物にも縛られず自由に生きてもらいたいとずっと思っていました――おそらくそれは白亜も同じだったでしょう」
「白亜さんも、ですか?」
私が思わず零した質問に、聖黒さんはゆったりと頷いてみせた。
「このような立場にいて下に弟や妹がいると、皆が大抵そう思うのです。自分に与えられた道を苦痛だとは思わずとも、同じ重責を弟や妹には味わわせたくないと、自然とそう考えるようになります。白亜や朱兎もきっとそう思っているでしょうね」
再び吹いた風になびく髪を抑えながら、聖黒さんは私を見下ろした。その瞳が暗く光るのを見て、私は再度訊ねる。
「それは聖黒さんもそう思っているということですか?」
私がゆっくりと口に出すと、聖黒さんは少し驚いたように目を開いた。その瞳は、一瞬にしていつもの輝きを取り戻している。
聖黒さんは柔らかな笑みを浮かべると、言った。
「そうですね――私もそう思います。このようなことを私が言うとは、美月様には忍びないことでしょうが」
「いいえ、そんなことは全然」
見上げた聖黒さんの顔はいつもと同じように柔らかくて、それが聖黒さんの本心なら、本当はいけないことだとしても、私には何も悪いことではないと思えた。
聖黒さんに朱兎さん、そして白亜さんが弟や妹を思ってそう考えていたなら、もしかしたら闇音のお兄さんも――龍雲さんもそう考えていたのかもしれない。闇音には当主のしがらみに縛られて欲しくないと、重荷を背負わせたくないと。
今となっては分からないことだ。考えるのも仕方がないことだとも思うけれど、あの寂しげな闇音の背中を見るとどうしても思わずにはいられない。
闇音が当主じゃなかったら、と――。
生まれたときから生きる道が決められている。
それが楽だと思う人もいるだろうし、それで仕方がないと諦める人もいるだろう。けれどその結論に至るまでの道のりは、どれほど遠く険しかっただろう。目の前に見える聖黒さんの微笑みは、そのすべてを越えてきたものなのだと私にでも分かった。
私自身、知らない間に決められていた人生にショックを受けて、不満を感じて、諦めようとしていた。
そして今はどうしようとしているのだろう。何かを見つけようともがく私は今、何を目指しているのだろう。
思わず険しい目つきになりながらそんなことを考えていると、間近で聖黒さんの声が聞こえた。
「美月様、私はここで失礼しますね」
聖黒さんの声に反射的に立ち止まって彼を見上げる。聖黒さんの優しい視線が私に振ってきて、ほっと安堵した私は頷いた。
聖黒さんは私が頷いたのを確認した後、少し前を歩く二人に向かって声を掛ける。
「輝石、彰。私はここで失礼して北家に戻ります。美月様を頼みますよ」
聖黒さんの声に、二人は同時にぴたりと立ち止まって、すぐに聖黒さんと私の元へ引き返してきてくれた。
「そっか。じゃ、ここで」
「お気をつけて」
二人は私の両脇につくと、それぞれ聖黒さんに向かってそう言った。
私は真っ直ぐ聖黒さんを見上げて口を開く。
「何があったのかは分かりませんけど、すぐに解決するといいですね」
「ええ。私もそう願っています」
ありきたりな言葉しか掛けられない私に、聖黒さんは微笑みを浮かべて優しく返してくれると、颯爽と踵を返した。やがてすぐに聖黒さんは角を折れて姿が見えなくなる。
私たちは聖黒さんの後姿を見送ってから、西家へ向かって再び歩き出した。
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