◆   ◆   ◆   ◆
 

「あっさり連れ去られてしまいましたね」
 やけにあっさりと、しかし輝く笑顔で聖黒が言った。隣に座っていた輝石が無言で距離を取ったことに聖黒は気づきながらも、今はそれを追求する時ではないと考え直す。
 未だに二人が消えた廊下を見つめている蒼士に、聖黒はその姿を上から下まで確かめるように目を遣る。ついこの間まで見え隠れしていた美月への想いが、明らかに変わっている。どうやら蒼士の中では気持ちに区切りがついたらしい。
 それはよいことなのか、それとも――。
 そこまで考えて、聖黒はゆっくりと目を伏せた。読みかけの書物を丁寧に隣に置いて、表情を切り替える。隣では輝石が再び距離を詰めてきていた。
「蒼士」
 静かに呼んだのは、聖黒ではなく朱兎だった。朱兎へ顔を向けた蒼士は、先程までとはまったく違う表情を見せていた。覚悟を決めているようなそんな表情で朱兎を見つめる蒼士を、聖黒は慎重に探る。
「先に言っておくけど、僕は関与してないから」
 朱兎が紡いだ言葉に蒼士は一瞬、目を見張る。けれどすぐに苦笑を浮かべて頷いた。それに続いて輝石が畳に手をついて、蒼士との距離を詰めた。
「俺もだからな」
 蒼士を睨みつけているようにも見えるほど、輝石の目線は強い。それにも蒼士は首肯だけで返す。聖黒はそれを見て、改めて居住まいを正した。
「私もそのことで訊ねておきたいことがあります」
「何ですか?」
「闇音様とどういうやり取りがあったのか、大体の予想は付きます。蒼士自身がそれに納得して動いているのだろうことも分かります」
「……はい」
「私が訊きたいのは、あなたの心です」
 あの事件以来、闇音が真咲に加えて蒼士まで傍に置くようになった。しかし二大と三神は、これまでにも増して蚊帳の外に置かれている。それは聖黒の単なる思い違いではないだろう。
 美月の肩を刺し貫いた犯人の記憶がないことを、聖黒たちは真咲の知らせで知った。それは蒼士も同じだ。しかし、その後の状況はまったく違う。蒼士と真咲だけはその日の夜、闇音と顔を合わせているのだ。
 自分が信頼されなかったことに憤りを感じているわけではない。ただ、的確に状況を把握しておきたいだけだ。
 じっと蒼士を見極めるようにする聖黒に蒼士は身体を向けると、真っ直ぐ背を伸ばした。その態度から、彼がこれから話すことに偽りを交えないだろうことが伝わってくる。
「俺は信じています」
「それは三神を、ということですか? それとも我々≠、ということですか?」
 敢えて二大の名を出さなかったのは、聖黒の気遣いでもある。はっきり名を出されれば否定しにくいだろうと思ったのだ。しかし蒼士は真摯な態度を崩さないまま、首を振った。
「聖黒さんと朱兎、それに輝石のことは信じています」
「じゃあ、彰と芳香は信じていないっていうこと?」
 淡々と事実だけを把握しようという朱兎の声に、蒼士は再び首を振る。その答えに輝石が眉を寄せた。
「どっちだよ」
「信じたい、というところだな」
 蒼士は躊躇うような口調でそう言った後、すぐに目を伏せた。その行動に蒼士の思いを敏感に感じ取ったのだろう。朱兎が小さく嘆息を零した。
「闇音様に信用された代わりに、嫌な役回りになったんだね。蒼士と真咲は」
「嫌な役回りなんて」
「あなたは傍にいる私たち三神を、真咲は二大をそれぞれ監視しなければならない――こういうことでしょう?」
 すっと顎に手を当てて聖黒が言うと、蒼士は少し視線を彷徨わせた挙句、再び聖黒に据えた。否定も肯定もしないのは、おそらく闇音の意向を汲んでのことだろう。はっきりと口に出して監視しろと言われたわけではなく、けれど闇音が聖黒たちを信頼していないということがはっきりと伝わるような言い方をされたのだろうと推測がつく。
 沈黙が下りた部屋に輝石の唸り声が響いたかと思うと、次いで不機嫌な声音が発せられた。
「お互いにお互いを警戒しろっていうところか。蒼士は俺たちに情がある。真咲は真咲で二大に情がある。だから身内を見るには完全に感情を無視することができない。だから蒼士は二大に対して、真咲は俺たちに対して猜疑の目を向けるっていうわけだろ?」
 言葉はあまりにも冷酷なのに、輝石の表情はあまりにも子どもっぽく膨れている。輝石が意図してやったとは思えないが、それに気を弛めたのはきっと聖黒だけではないだろう。
 蒼士は苦笑を浮かべて、困ったように口を開いた。
「輝石は簡単にまとめてくれるな」
「回りくどくないだろ? 感謝してくれよな」
 にっと白い歯を出して笑う輝石に、聖黒も肩の力を抜く。そして改めて蒼士を真正面から見つめた。
「では、我々は甘んじてそれを受け入れましょうか。真咲には好きなだけ疑って頂きましょう。蒼士、あなたは存分に彰と芳香を疑いの目で見なさい」
「……聖黒が言うと、なんか腹にどす黒いもの抱えてるような気がするよな……」
「何か言いましたか? 輝石」
 にっこりと笑みを崩さずに輝石へ顔を向けると、戦いたような表情で輝石が口を引き結んで素早く首を振った。
 あの事件には、裏で糸を引く人間が、闇音のごく身近に潜んでいる。
 聖黒はその事実に気がついている闇音に、悲しみを覚えていることに気がつく。
 龍雲ならば、きっと考えもしないだろう。身近にいる人間が自らを裏切るなどと。きっと闇音も、あの小さな頃ならば思いもよらなかっただろう。
 変わってしまった闇音によかったと思えばよいのか、それとも昔の純粋な頃を懐かしめばよいのか。聖黒はざわつく心のままに思いを馳せた。

 

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