「もう懲り懲り。あんなのの相手なんてもう絶対に嫌だからね、私は」
「芳香! 総帥に向かってそのような言い様は――」
「そうは言ったってね、彰は奥方の方でしょ。まだそっちの方がずっとマシ」
「そのような言い方も――」
「はっきり言っておくけど、私は総帥の三大じゃない! 私は闇音様の三大! あの偉そうな口ぶり、すごく腹が立つ! どうして私があの方の命令を聞かなくちゃいけないの?」
 芳香さんはいつもの柔らかさからは信じられないような剣幕で、目を吊り上げてきつく彰さんを睨みつけた。
 私はそれに何も言わずに口をつぐむ。そして私の隣でゆったりと座ったまま動かない闇音へ、視線だけ動かした。
 闇音は大きく肩を落として嘆息を零す。それは芳香さんへ向けての呆れと、問題となっている総帥に向けての憤りが籠っているように感じられる。
「それで、俺にどうして欲しいんだ。お前は?」
「もう護衛は嫌です!」
「芳香……」
 さすがに彰さんも呆れたのか、それともそんな芳香さんに敬意を覚えたのか、そんな曖昧な声音だった。
 ことの始まりは、芳香さんが黒月家総帥――黒月龍輝の護衛≠任されたことからだ。芳香さんは聖黒さんと一緒になって、私が負傷した日から彼の護衛を務めていた。けれどそこでの総帥の振る舞いが「傍若無人」という言葉がぴったりと当てはまるようなものだったらしい。
 あるときは完全に存在を無視され、またあるときは無理難題を押し付けられ、またあるときは自分の三大――総帥にももちろん三大がいる――と比べられて文句をつけられたりしたらしい。
 もともと芳香さんはプライドが高いらしいということは、私も薄々気づいていた。闇音に三大らしからぬ扱いを受けていたときも、それに憤りを感じていた人だ。それだけでも不服だったろうに、今度は総帥に無下に扱われたのでは腹の虫が治まらないのだろう。
 闇音は少し考える素振りを見せてから、重々しく頷いた。
「もう護衛≠ヘ要らないだろう」
「それでよろしいのですか?」
 彰さんは闇音の真意を量るように、じっと彼を見つめた。闇音は彰さんとは目を合わさずに、もう一度頷いた。その視線は宙を危なっかしげに漂ったままだ。
「要らないだろう。奥方についている二人も、もう明日からは構わない。別棟で通常通りに過ごしてくれ」
 闇音はそれだけ言うと、立ち上がった。それを追うように、彰さんの視線も上へ向かう。彰さんが傍から見ても困惑しているのがよく分かった。
「ですが、まだ何も解決していませんのに」
「彰」
 闇音は彰さんの不安げに揺れる言葉を遮って、強い調子で続きを継いだ。
「俺が必要ないと判断したんだ。これ以上、何を問う必要がある」
 刺々しいとまではいかないけれど、完全に彰さんを遮断したその言葉に、彰さんはぎゅっと口を引き結んだ。
 突如として鋭くなった空気に、私はそわそわしく部屋の面々を見渡す。三大と四神が揃った部屋に、刺すような沈黙が下りようとしている。
 それに気がついたのか。それまで決して口を開くことのなかった四神がそれぞれ顔を見合わせた。四神の顔にも暗くなりそうな空気を感じてか、戸惑いが生まれていた。
「あの、何もしてない私が言うのもなんですけど。護衛が要らなくなったってことは、いいことだと捉えませんか?」
 少し声を張り過ぎてしまったらしい。無駄に部屋に大きく響いた私の声が、能天気に自分の耳にも届いて、自分で自分が恥ずかしくなった。それでも一気に注目を引いてしまった今になって後に退けるはずもなく、私は少し声のトーンを落として続けた。
「まだすべてが解決したわけではないですけど。でも闇音が護衛は要らないというなら、今のところあのお二人に危害が加えられることはないってことだと思うんです。だから、今はその……」
「そうですね。私も最近は常に気を張っていましたから、闇音様が必要ないと仰られるのでしたら、お言葉に甘えさせて頂きます。そうですよね、芳香」
 聖黒さんは私が言葉を続けられなくなると、すかさず言葉を引き取ってくれた。そしていつもどおりの穏やかな微笑みを浮かべて、芳香さんを見遣る。芳香さんは名前を呼ばれてはっとしたのか、慌てて笑顔を取り繕ったようだった。
「彰、これは聖黒の言うとおりだぞ。仕事が減ったんだから喜べ! 聖黒みたいに」
「輝石。それでは私が仕事をするのが嫌と言っているように聞こえるようですが?」
「そそそそんなことないって! 俺は今聖黒の肩持ったんだろ!」
「果たして本当にそうでしょうか」
 慌てる輝石君とどこまでも輝く微笑みを湛える聖黒さんという、いつもどおりの光景。その隣では関わり合いになりたくないのだろう、朱兎さんと蒼士さんが明後日の方を向いている。
 私もそっと二人から目を離して、彰さんへ移動させる。彰さんはまだ闇音を見上げていて、けれど暫くして目を伏せた。
「分かりました。闇音様がそう仰るのでしたら」
 闇音は一瞬――瞬きをすれば見逃してしまうほどの一瞬間だけ、彰さんへ目を遣った。そしてすぐにそれを逸らすと、それまで一言も言葉を発さなかった真咲さんを真っ直ぐ見下ろした。
「真咲」
 真咲さんは闇音の一言に頷いて立ち上がる。部屋を出て行こうとしていた闇音は不意に立ち止まると振り返って、私に「大人しくしてろ」とだけ告げると、遠ざかる足音を部屋に残していった。

 

 

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