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 規則的な寝息を耳に入れながら、闇音は部屋に入ってくる人間に目を遣る。
 闇に紛れるような二つの人影を認めた闇音は、傍で眠る美月から心持ち距離を取る。傷がまだ痛むだろうに、話声で目を覚まさせるのは不本意だった。
「どうだった」
「闇音様のご想像通りでした」
 短く訊ねる声に答えたのは、どんな時でも闇音に礼を欠くことのない真咲だった。この時も真咲は闇音に深く一礼してから、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「微かですが別棟と、それから男を収容していた蔵付近から術の残滓が見つかりました」
 術を使う――それは、非常に複雑で絶望に囚われるほど曖昧な、そんなものの上に成り立っている。
 それは誰にでもできるものではない。行使するための条件――高貴な血の生まれであること、強い精神力を持っていること、生まれ持った特質があること――に当て嵌っていること、その上でそれ相応の教育を受けねばならないからである。しかし、術を使う人間は条件をすべて満たしていることもあるが、どれか一つにだけ当たるという者もいる。また、すべてを満たしていても術を使えない者もいる。術とはそんなあやふやなものなのだ。
 その中でも術を使うことのできる人間には、一般的に庶民と呼ばれる人間は少なく、貴族出身者が多い。それは前者の場合、強い力を持っていたとしても、術を使うために相応の教育を受けることができない者が多いからだ。それを考えると、術を行使する人間に貴族出身者に多いのは明瞭な答えである。彼らは生まれ落ちた瞬間から、高い教育を受ける財力を持っているからだ。
 闇音は真咲に目を遣ってから、その隣で心配そうに美月を見つめる蒼士を眇め見た。けれど何も言わず、真咲への問い掛けを続ける。
「残滓から何か読めたか?」
「紋様が、微かですが残っていました」
 真咲がすっと顔を潜めて言った直後、「ですが」と静かな声がその隣で上がった。それに目を遣ると、今は闇音に真っ直ぐ定められた蒼士の瞳と合う。
「慎重に読み解きましたが、我々が知る限りでそれと同様の紋様を使う者はいません」
 実際に術を行使するには紋様が必要となる。術を使用したときに広がる波紋、使用した後の残滓――それらには必ず紋様がある。その紋様は大方の場合、生また家のものを使用することになる。
 黒月家の人間ならば、黒月のものを。四神ならば、それぞれの家のものを。
 生まれ持っての紋様を持たない庶民の場合、多くが師と仰ぐ者の紋様に寄るが、力のあるものならば独自の紋様を作ることもある。
 闇音は無意識のうちに、眠る美月の顔を見つめていた。
 自分を庇って傷を負った娘。今までぞんざいな扱いしかしてこなかった娘が、自分を守るために命を張った。
 そのことに動揺よりも安堵が広がったことを彼女は知らないだろう。自分を見捨てずにいてくれる人間がまだいたのだと、そう思った心の内を彼女は知らない。
 闇音は顔を正面へ戻すと、それまでの柔らかさを消し去って冷やかな顔を浮かべた。
「闇音様?」
 確かめるように呼ばれた名に、闇音は意識を戻す。目を閉じて瞼に指を押しつけながら、静かに呟いた。
「二大と三神も含めて、紋様と一致しなかったのか?」
「はい」
 闇音は蒼士の迷いない返答に頷いて、戸の合間から微かに見える空を見つめる。暗く、星空もあまり見えない。
「彼らも疑っておいでなのですね」
 真咲が低く沈む声で呟いた。闇音は視線を遠くへやったまま、再び頷いた。
「疑わない理由を、俺は知らない」
「では、どうして我々のことはこうして傍に置くのですか?」
 純粋な疑問だけを乗せた蒼士の声に、闇音は今度こそ目を戻す。そこに見えたのは期待と不安、希望と絶望だった。
「あの男が俺の方へ向かってきたとき、真咲は俺の名を必死に叫んだ。俺が美月を庇うことに必死になっていたとき、真咲は俺を庇うことに精力を傾けていた。真咲はあの場でそれほどの演技ができる人間ではない」
 真咲を見つめて冷静に評価する。真咲は少しだけ嬉しそうに、けれどすぐに顔を引き締めた。
「青龍。お前は美月を命に代えても守るだろう」
「……それがお望みですか?」
「お前に死んで欲しいとは思わない。だが、お前は美月だけは傷つけない。そして美月を傷つけるものを、許さない。もし今回の件を操っていたのがお前だったとしたら、お前は美月の前に平然と顔を出すことはできなかっただろう。お前の行動を見て、お前を信頼することに決めた」
 真っ直ぐ闇音を見定めようとする蒼士の目から、逃れることなく言葉を紡ぐ。やがて蒼士は小さく息を吐いた。
「それに応えましょう。必ず美月を――あなたの奥方を、護り抜きます」
 偽りのない澄んだ声音に、闇音は表情を弛めることなく頷く。すると続けて蒼士が口を開いた。
「彼女には伝えましたか? 真咲と私を除いた二大と三神も対象≠ノ入っていると」
「いや」
 闇音は声を落として首を振る。そして気づかれない程度に目を細めてから、閉じた。
 伝えた方がよいのだと、頭では分かっている。注意を促すという意味でも伝えていれば、美月は真咲か蒼士を傍に置くことなく一人≠ノなることはないだろう。だが伝えたとしたら、美月はどうするだろう? 闇音を庇うために身体を張ったような娘だ。闇音は美月を間諜にするつもりはさらさらなかった。
「闇音様。彼女を大切に守ろうとなさるのはよいことですが、このような状況では褒められた行動だとは思えません」
「それも分かっている」
 冷静に指摘をする蒼士に、闇音は低い声で唸った。
「だが、時は既に遅い。俺はあの場で美月を庇ってしまった。そして傷の手当てまで自らの手で行い、時間ができれば美月の様子を見に来ている。俺の仕事の予定まで知っている相手だ。それを知らぬとは思えない。そうとなれば徹底的に美月を守っていた方がいい」
 相手は闇音を殺したいと思うほど、闇音を憎んでいる。もし闇音が相手の立場なら、闇音を徹底的に苦しめてから殺すだろう。
 そのためには闇音の弱点が必要だ。しかし、これまでの闇音は他人との接触を避け誰のことも傍に置かなかった。だが、あの場で咄嗟に身体が動いたのは自分を守るためではなく、美月を守るためだった――それを相手が見逃すはずがない。
「とにかく、術を行使する人間だ。かなり範囲は狭められる。一人ずつ、紋様を確かめていく必要がある」
 思考を整理しながら、闇音は一人呟いた。
 条件に当て嵌る人間が少ない上、相手は過去に闇音と接点がある人間にまで絞られる。多少なりとも条件に当たる人間を篩にかけ、紋様を密かに確かめていけば、必ず辿り着く。
 闇音を、そして今は美月をも狙うだろう、その人物に。

 

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