十四

 

 眩しさを感じて寝返りを打ってから、はっとして目を開ける。昨夜はあれこれと考えを巡らしている間にどうやら眠ってしまっていたらしい。
 布団から腕を出してごろんと仰向けになる。何も語らない天井をただ見つめて、昨夜と変わらない疑問を頭の中で繰り返す。
 半年の間に、闇音に何があったのか。
 他人を遠ざけようと尽力する何かが――闇音の心を闇に染める何かが。
 天井の木目から目を逸らして、自分の腕を上へ上げる。部屋の横から差し込む朝の光に照らされた手が、どこか頼りなく目に映った。
 それでも。
 広げていた掌を強く拳に変えて、瞬きをする。それでも、近づかなければ。
 もしかしたら私の単なる思い過ごしかもしれない。それならそれに越したことはないのだ。けれどもし私が考えた通りだとしたら、真っ直ぐ向き合う必要がある。
 龍雲さんの死だけでなく、白亜さんの心のことだけでなく、闇音を苦しめている何かがあるのなら。今でも重く圧し掛かり続けている何かがあるのなら、それを少しでも軽くすることが私の役目だ。
 闇音が全力で私を守ろうとしてくれているのなら、私が闇音を全力で守らなければならないのだから。


 

 

 給仕をしてくれる蒼士さんの手元を見つめながら、私は申し訳なく頭を下げた。
「ごめんね。食事の世話までして貰っちゃって……」
「俺は構わないから気にしなくていいよ」
「でも蒼士さんはいつご飯食べるの? 食べてきてくれていいんだよ。それか、一緒に食べてくれない?」
 一人のご飯は寂しい――そんな理由から期待を込めて蒼士さんを見上げたけれど、蒼士さんは私と視線を交わしてから困ったように笑った。
「ごめん。もう食べたんだ。真咲と一緒に」
 蒼士さんはご飯をよそって私の前の膳に置くと、もう一度「ごめんな」と繰り返した。その一言がとても申し訳なさそうで、私は苦笑を返して首を振った。蒼士さんに気まずい思いをさせるために一緒に食べたいと言ったわけではないのだ。甘えていてはいけないと、改めて思いながら私は口を開いた。
「ううん。食べちゃったなら仕方ないし。それに、早い時間に食べ終えさせて、迷惑かけてるのは私なんだし。だから、私こそごめんね」
「美月のせいじゃないから。敢えて言うなら闇音様のせいだから」
 蒼士さんは柄にもなく冗談交じりにそう言って、私に箸を取るように促す。私は蒼士さんの不自然に明るい様子と闇音の名前の両方に神妙に眉根を寄せた。けれど、結局何も言わずに手を合わせて箸を取る。
 今朝、着替えを済ませて闇音の部屋へ駆け込んだときには、闇音はもういなかった。聞けば、闇音は昨夜遅くに黒月邸に戻ってきてから、数時間仮眠を取って朝食も食べずにまた出掛けたらしい。闇音と一緒に戻ってきた真咲さんも同じように仮眠を取って、軽く朝食を食べた後、闇音について出て行ったそうだ。
 蒼士さんはそれしか話してくれなかったけれど、何かしら隠していることがあるような気がする。けれどそれを問い質しても、きっと答えてはくれない。私に話してもよいことなら、もう既に話してくれているはずなのだ。
 だから、闇音に直接訊ねるしか道はない。
 どうか杞憂ですみますように――そんな風に祈ってしまうのは、闇音の心を思ってなのか。それとも闇音の心を思う自分の心を思ってなのか。
 闇音が辛いと、私も辛い。
 今まではそんな陳腐な感情が本当にあるなんて思ってもいなくて、まさか自分の身の上に降りかかってくる日がくるとは思わなかった。けれど大切な人が苦しんでいるのを、過去の傷を引きずっているのを目の当たりにするのは、胸がえぐられるような思いだ。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、開け放たれた障子から彰さんの顔が覗いた。
「どうかしたのか?」
 いち早く声を上げたのは蒼士さんだった。淡々とした問い掛けに彰さんは一瞬表情を強張らせてから、それを振り払うように軽く頭を振った。
「お食事中に申し訳ありません」
 彰さんは丁寧にそう断ってから言葉を継ぐ。
「私はこれから少し、外出します。仕事は切りがついていますし、芳香も残りますから大丈夫だとは思うのですが、もし闇音様が私より先に戻られた際に私の所在を訊かれましたら――」
 彰さんはそこで言葉を切って、考えるように顔を俯ける。それを見た蒼士さんが分かったというように頷いた。
「白亜のところか」
「はい」
 蒼士さんの言葉に顔を上げた彰さんは、先程までの迷いを打ち消していた。
「このような状態で私事に走るとは不謹慎だと非難されるかもしれませんし、それは当然だと私も思っております。ですが、私は白亜に会いに行きたいのです。いえ、会いに行かなくてはならないのです」
 彰さんは真っ直ぐ顔を上げて強い調子で言い切った。思わず圧倒されるような空気を纏っている彰さんに、何度か目を瞬く。こんな彰さんは初めて見る。彰さんはそんな私の驚きに気がついたのか、私と少し視線を交わしてから、逃げるように一礼した。
「私は、私に課せられた仕事は終えました。白亜に会いに行きます。もうずっと顔を見ていません。闇音様には、私は白亜のところへ行ったと伝えてください」
 彰さんはそう言うや否や、蒼士さんの返事も私の言葉も何も聞かずに立ち上がって踵を返した。早々に消えて行った影の行方を暫し見つめてから、私は溜めていた息を吐き出した。
「そう言えば、最近はあんまり輝石君と話してるところも見なかったね」
 誰が、という言葉は省略しても蒼士さんには通じたらしい。蒼士さんは「そうだな」と小さな声で呟いてから、遠くを見るように庭へ視線を投げた。
 ここ最近は四神と三大の間での交流はほとんどゼロと言ってもいい。それぞれが闇音の行動と視線を気にして、お互いに不用意に近づかないようにしているのだ。それは私も同じで四神と同じ部屋の中にいることはあっても、真咲さんを除いた二大と同じ空間にいることはほとんどない。
 彰さんが輝石君と話す機会がないということは、白亜さんの状態を知る機会がないということだ。けれどたとえ話す時間があったとしても、聖黒さんも言っていたように輝石君は状況を考えて彰さんに本当のことは話さないだろう。そうとなれば、彰さんは屋敷を抜け出してでも白亜さんに会いに行くしか方法がなくなる。
 それもこれも、私が強くないからだ。一人で敵を撃退するだけの力が、ないからだ。
「本当に、全部私のせいだね」
 ぽつりと呟いてしまってから、私は溢れだしそうな思いを塞き止めるためにご飯を口に詰め込んだ。
 闇音に掛ける迷惑。蒼士さんと真咲さんに掛けさせる手間。彰さんを苦しめる状況。
 もし狙われているのが闇音だけなら、きっとこんな風にはなっていない。もちろん闇音が狙われるなんて私は耐えられないし、それなら自分が狙われている方がずっとましだけれど、こんな風に誰かにしわ寄せを食らわせてしまう状況が嫌だった。

 

 

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