十一

 

 二人が応接間を出て行ってすぐに、タイミングを見計らったように真咲さんが飛び込んできた。その騒々しさに闇音は不快そうに眉を吊り上げたけれど、結局何も言わなかった。
「申し訳ありません。あの、闇音様――」
 真咲さんは闇音にそっと近づくと、小さな紙片を闇音に渡した。闇音はそれを見下ろして素早く目を通すと、表情は一切変えずに私を振り向いた。
「悪いが、出掛ける用ができた」
「私は構わないけど……お仕事?」
「そうだ。真咲、青龍を呼べ」
「廊下に控えております」
 闇音は一つ頷くと、私へ視線を移す。急な展開に戸惑う私に、闇音はただ優しげに目を細めた。
「美月。俺は遅くなる。先に夕食も食べて眠っていてくれて構わない。ただ、くれぐれも青龍を傍から外すな」
「うん」
 立ち上がる闇音を見上げてそれだけ言うと、闇音は私へ向かって頷いて踵を返した。先に開いた障子からは、蒼士さんの顔が見えている。蒼士さんが闇音に一礼すると、闇音は何も言わずに首肯を返す。真咲さんは私に「失礼します」とだけ言って、闇音の後を追った。
「……何かあったの?」
 言外に襲撃に関することを匂わせて訊ねる。けれど蒼士さんは困ったように笑うだけだった。
「とにかく、応接間から部屋へ移動しよう。次の間に戻る? それとも四神の部屋に来るか?」
 私は暫くの間、じっと蒼士さんを見つめてみたけれど、蒼士さんは苦笑から完璧になった鉄壁の笑顔を崩さない。その表情から絶対に私には何も話さないという意思を感じ取って、私は諦めて溜め息を落とした。
「お邪魔じゃないなら、みんなのところに行ってもいい?」
「もちろん構わない。それじゃあ行こうか」
 立ち上がった蒼士さんに合わせて、私も立ち上がる。
 蒼士さんと真咲さんが私に何も言わないのは、闇音の意向なのだろう。私は闇音に守られていると思う。それに安心する気持ちがないわけじゃない。けれど、守られてばかりでいるのも辛いことなのだと、今になって知った。


 

 

「この生姜糖どうですか? ここ最近の中で一番の出来なんですけど」
「すっごく美味しい。お茶によく合うね」
 煮詰めた生姜の淡い茶の上に、きらきらと反射する砂糖がまぶしてある見た目はとても綺麗だ。口に入れると、生姜独特の辛さと砂糖の甘さが混ざり合ってほどよい味になった。
「美味しいのはよいのですが、輝石……これは季節外れかと思うのですが」
 聖黒さんは冷やしたお茶を口に含んでから、輝石君に苦笑混じりに言った。その言葉に聖黒さんの隣で朱兎さんが頷いた。
「生姜って普通、冬でしょう。夏にわざわざ身体を温める必要ってないと思うけど……」
「それ言っちゃおしまいだろ! あれだよ……冬の本番がくる前の練習だよ!」
「それって無理があると思うけど」
「うるさい! いいの、美月さまが美味しいって言ってくれたんだから!」
 輝石君は噛みつくような勢いで朱兎さんに反論してから、ころりと表情を変えて「ねー」と私に同意を求めてくる。私はそれに笑いながら頷いて、もう一つ生姜糖を摘まんだ。
「白亜さんも好きなの? 生姜糖」
「うーん……姉ちゃんって甘いものは好きだけど、生姜糖はどうなのかな……。でも、最近どうも身体が冷えてるみたいなんですよね。暑いから無意識のうちに布団剥いじゃうのかなぁ」
「それはよくないよ。冷えって大敵だって言うし」
「ですよね! 今回こうやって上手く作れたし、今度は姉ちゃんにも生姜糖食べてもらおうと思って」
 輝石君は改めて強く誓うように、凛々しい顔つきで頷く。それに対して聖黒さんは湯呑みをゆったりとした動作で置くと、輝く笑顔を輝石君へ向けた。
 聖黒さんの美しい笑顔から、輝石君と私は同時に目を逸らした。これは完全に黒いことを言うときの聖黒さんの表情だ。
「えーっと……そうだ。お茶、美味しいね」
「美月さま! それじゃ全然話を変えられてません!」
 輝石君は必死な顔を浮かべたかと思うと、次の瞬間には私の後ろに隠れるようにしていた。聖黒さんはそれすらも穏やかな笑みで見つめている。
「白亜に生姜糖を食べさせるというのは非常によい心がけですね。感心しますよ」
 聖黒さんはワンクッション置くと、続けて言葉を継ぐ。
「ですが先程の物言いでは、私たちは実験台の様ではありませんか。しかもその中に美月様が含まれている――由々しきことです」
「そ、そんなつもりじゃない!」
「まったく、私はそんな風にあなたの教育をした覚えはないというのに……」
「ほんとだよね……まさか実験台の中に美月様を含むなんて……」
 聖黒さんに同調するように、朱兎さんも悩ましげに呟く。聖黒さんには怯んだ輝石君も、朱兎さんにはむっとした表情を浮かべた。
「朱兎の裏切り者!」
「裏切り者なんて酷い言い様……僕、辛くて涙が……」
「朱兎さん、大丈夫ですか? 元気出してください」
 朱兎さんは顔を背けると、袖で顔を隠す。わざとらしく鼻を啜る音に私が心配そうに声を掛けると、後ろで輝石君が絶望的な声を上げた。
「美月さままでー!」
 その可哀想なほどの声に、それまで黙っていた蒼士さんが噴き出した。それを皮切りに、全員が肩を震わせて笑う。一人輝石君だけが、子どもっぽいふくれっ面を浮かべていた。

 

 

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