「もしかして、障子を開ける時機が悪うございましたか? 何かお話のご様子でしたし」
 優雅に歩く闇音を見上げて、聖黒さんが飄々と訊ねた。闇音はそれに答えずに腰を下ろす。その隣に座った私は、微動だにしない譲さんに目を向けた。
 目が合った譲さんは私に軽く目礼してから、真っ直ぐ前を見つめる。ちょうど闇音と私の間辺りに据えられた視線は、私の記憶の中にある譲さんのイメージよりも数段柔らかいものだった。気のせいか、譲さんの雰囲気が穏やかになっているように感じる。
「それで、いつだ?」
 脇息(きょうそく)にゆったりと肘を乗せた闇音は、譲さんを見つめて訊ねる。主語を飛ばしてでも通じる話の主題に、譲さんはいつもの冷静さを表面に滲ませたままだった。
「一ヶ月後に決まりました。白月邸で執り行います」
「そうか」
「つきましては、闇音様と美月様にはご出席願いたく」
 譲さんの言葉を手を上げただけで制止した闇音は、小さな嘆息を落とした。
「言われずとも出席する。その義務があるからな……だが、総帥と奥方の出席は望めぬと思っておけ。あの二人が俺の言葉に耳を傾けるとは思えないし、白月から直々の要請があったとしても応じるかは分からない」
「承知致しております。泉水様も、そして告水(つぐみ)様と愛海(まなみ)様も闇音様と美月様にご出席いただければ十分だとお考えです」
「そうか――情けないことだな」
 闇音は最後の言葉に自嘲を込めて呟いた。不安に思って闇音を見上げるけれど、闇音は前を向いたまま横顔しか見せなかった。
「こちらが招待状でございます。詳細はそちらをご覧くださればと」
 譲さんはそれまでの話を断ち切るように、懐から長方形の白い絹布を差し出した。闇音はそれを怠慢な仕草で受け取る。滑らかな生地の上に、金糸で白い龍が踊るように飛んでいる。闇音は絹布を開けて中から紙を少しだけ引き出すと、すぐに中へ仕舞い込んだ。一瞬だけ見えた泉水さんと小梅さんの名前に、ほっとしている自分に気づいて私は胸に手を当てた。
「それで、玄武が同席しているのはなぜだ?」
「私は美月様宛に文を預かって参りましたので、それをお渡ししようと」
 聖黒さんは穏やかな調子で言って、先程譲さんがしたと同じように懐から書簡を取り出した。それを私に差し出して、続ける。
「妹からです。よろしければ読んで頂きたい、と」
「――分かりました」
 聖黒さんが強調するように「妹」と小梅さんを呼んだことに、私は微笑んで頷いた。その一言で、両家が円満のうちに婚儀の話が進んだことが伝わったからだ。
 私の奔走は成功したと思っていいのだろうか。
 私一人の力ではどうにもならずに、両親に泣きついたのは情けないことだった。あのときの私は、せめて泉水さんと小梅さんに幸せになってもらわなければ、という強迫観念じみた偽りの正義感で動いていたと冷静になった今は思う。けれどそうする価値のあることだったと思っている。誰もが何かに縛られて生きていくなんて、そんなのは馬鹿げているし悲しすぎるからだ。
 すっと息を吸い込んで、聖黒さんと譲さんへ目を向ける。二人は静かに私を見つめていた。
「泉水さんと小梅さんは元気ですか? ……幸せそうですか?」
 訊ねると、隣で闇音が微かに身じろいだ。脇息が軋む音が部屋に響いたけれど、それを掻き消すような譲さんのしっかりとした安心できる声が届いた。
「泉水様は変わらずお元気でいらっしゃいます。お二人とも、お幸せのようです」
「それはよかったです。博永さんと雪留君も変わりありませんか?」
「ええ。二人とも元気ですよ。二人とも、姫君にお会いしたいようです」
「私も早く二人に会いたいです。あっ、もちろん今日は譲さんにお会いできて嬉しいですけど」
 慌てて付け足すと、譲さんは柔らかな微笑みを浮かべた。やはりどこか変わったような気がする。泉水さんの結婚が決まって、心境の変化があったのだろうか。
「白月は婚儀の準備に忙しいのか?」
「ええ。白月家の人間が総動員で動いています。おそらくそれは北家も同じことかと」
「そうですね……ですが北家(うち)は嫁に出すだけですからね。嫁入り道具などの準備はありますが、迎える方が大変でしょう」
 急に話に割って入った闇音にも、二人は動じずに丁寧に答える。見上げた闇音の横顔がどこか不服そうに見えて、私は首を傾げた。今の会話に不満に思うような個所はなかったように思えたのだけれど。
「お前は三大筆頭としてまだ回るところがあるんだろう。もうここはいい。次へ行け」
 闇音は雑然と手を払いながら、譲さんから目を逸らす。それに譲さんは深く頭を下げて暇を告げた。
「玄武も部屋へ戻れ」
 聖黒さんはいつもの穏やかな笑みを崩さずに頭だけを下げる。
 譲さんと二人立ち上がった聖黒さんは、少しだけ振り返って私に微笑んで見せた。それに闇音が気づく前に、聖黒さんは背を向けて障子に手を掛けた。
「譲」
 今まさに部屋を出て行こうとする譲さんを呼び止めたのは闇音だった。
「泉水に――少し早いが、幸せになるように言っておけ。あいつに面と向かっては言う気が起きないと思うから」
 静かな声音に、紡がれた言葉に、譲さんはらしくなく目を見張って驚いたようだった。けれどすぐに笑みを浮かべて「お伝え致します」とだけ言った。

 

 

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