第四部


 

 

 左肩に走った痛みで目が覚める。はっとして目を開けた私は、顔をしかめながら身じろぎをした。
 痛み止めの効果が切れたのか、昨夜の比ではない程の焼けるような痛みだ。思わず手に力を入れると、その手が握られていることに気がついた。
 ゆっくりと顔を動かして手元へ視線を遣ると、私の手を強く握って座ったまま眠っている輝石君の姿があった。輝石君の首が頼りなくぐらりと揺れて、身体が前のめりになる。
 あっ、と小さく声を上げるとそれだけで痛みが走る。輝石君の身体が倒れるのを支えようと左腕を伸ばしたのもいけなかった。激痛が走った傷に今度はうっと呻き声を上げて、輝石君を起こさないように声を噛み殺して顔を歪める。
 輝石君の髪が腕に掠れたと思った次の瞬間には、反射的にだろう顔を勢いよく上げた輝石君の寝惚けたような瞳と目が合っていた。
「おはよう」
 痛みを押し殺しながら挨拶を告げる。輝石君は何度か目を瞬いて、それからゆっくりと瞼を擦った。どうやらまだ微睡から抜け出せていないらしい。
 ぼんやりとしている輝石君をじっと見上げたままでいると、段々とその瞳がしっかりとしてきたのが手に取るように分かった。そしてかっと目を見開いた輝石君は、今度は彼自身の意思で前のめりになって私との距離を詰めた。
「美月さま!」
「うん」
「お怪我は大丈夫ですか? 俺、肝心なときにいなくてすみません!」
「ううん。怪我は大したことないから」
「どこが大したことないんだよ」
 辛そうに顔を歪める輝石君に笑顔で答えていると、後ろから呆れたような溜め息と共に声が聞こえてくる。どこか刺々しい空気が発せられるその場所へ目をそろりと動かすと、蒼士さんがお盆に一人用の鍋と薬包紙に包まれた薬を乗せて、疲れた表情で首を左右に振っていた。
「十分重症だよ。無茶をしてくれるから」
「ごめんなさい」
 素直に謝るけれど、おそらく簡単には許してくれないだろう。昨日は朱兎さんにも散々怒られたし――それと同じくらい心配もしてくれたけれど――今日は他の面々から懇々と説教されるとみて間違いなさそうだ。
「まずは、謝罪の証としてこれを残さず食べること」
 蒼士さんは私を起こすと、有無を言わさぬ強い調子でお粥を掬って口元に運んでくる。正直に言って食欲はまったくない。けれど拒否しても受け入れてくれなさそうだ。
「美月さま、聞きましたよ! なんで向かって行ったんですか!」
「それは何というか、反射的にというか」
「そんな反射神経いりません! 俺、聖黒から連絡があってからというもの居ても経ってもいられなくて、でも日が昇るまで黒月にはくるなって言われて、本当にもう気が気じゃなかったんですから! 本当にもう無茶しないでください!」
 少しずつお粥を飲み込みながら、輝石君に目を遣る。よく見ると輝石君の目の下にはくっきりと隈があった。きっと眠らずに日が昇ってすぐに西家を出てくれたのだろう。
「ごめん。それと、ありがとう」
 できる限り輝石君に真っ直ぐ身体を向けて言う。輝石君は顔をくしゃりと歪ませてから、深く息を吐き出した。
「無事でよかったです。それだけで、もう十分です」
 輝石君はそう言うと、頬を掻いた。
 私はそれを見て微笑んでから、またお粥との格闘に戻る。蒼士さんは遠慮せずにどんどんとお粥を掬った蓮華を私の口元に運び続けていた。
「美月。今、闇音様は真咲と一緒にあの男の取り調べをしている」
 蒼士さんは黙々とお粥を掬いながら、あっさりと告げた。
「大丈夫。闇音様はお強いから、大勢に囲まれて襲われたとしても全員返り討ちにできるくらいだから。それに第一、あの男は彰が術を掛けて強化した鉄格子の向こう側に居る。闇音様に手出しはできない」
 蒼士さんは私が聞きたかったことを先に続ける。そうしてから、鍋が空になったのか薬包紙を手に取った。
「男を尋問した後で、ここに来るそうだ」
「闇音さまが?」
 きょとんとして訊ねたのは輝石君だった。蒼士さんは目線だけを動かして首肯した。
「それから聖黒さんと芳香が総帥を、朱兎と彰が奥方を護衛しているから今日一杯は顔を出せないらしい。輝石がここに到着するよりも早い時間に――まだ美月が眠っているときには四人ともここに来てたんだけどね」
 薬を飲んで頷くと、蒼士さんは少し意地悪な表情になって言葉を継いだ。
「そうだ。聖黒と彰と芳香から伝言を頼まれていたんだった。『もう二度とこんな無茶をなさいませんように。もし次同じことをなさったら、私たちは美月様が後悔しても後悔しきれぬほど……』と最後は言葉を濁しながら、満面の笑みを浮かべていた」
「それ絶対聖黒一人の言葉だろ……」
「大体は」
「絶対あのどす黒い空気を醸し出す恐ろしい笑顔だっただろ、聖黒……」
「……ああ」
 輝石君と蒼士さんが静かに言葉を交わすのを聞きながら、私は顔を強張らせて何度か頷いた。
 彰さんと芳香さんに恨まれたとしても、聖黒さんに恨まれるのだけは何としても避けなければいけないと、本能が告げていた。

 

 

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