聖黒さんが優しく髪を撫でてくれている。それに甘えたくなったけれど、自分を奮い立たせて零れ出た涙を拭った。と、その時、後ろからとたとたと足音が聞こえてきて、その足音は何の断りもなしに部屋に踏み込んできた。
「聖黒、あの……って何やってんだよ、聖黒ー!!」
 突然響き渡った叫び声に似たそれに、聖黒さんと私は一斉に声のする方へ顔を向けた。振り返った私の目に映ったのは、強く握った拳を震わせて聖黒さんを睨みつけている輝石君だった。
「き、輝石君? どうし――」
「聖黒、美月さま泣かせて何してんだよ! お前、何やったのか吐け! 取りあえず離れろ!」
 大声で喚くようにしながら輝石君は私たちに走り寄ると、聖黒さんを押しのけた。
「あの、輝石君――」
「美月さま、大丈夫ですか? 聖黒に何をされたんですか? 大丈夫です、俺が倒しますから!」
「輝石、何か勘違いを――」
「言い訳すんな! 見苦しいぞ!」
「輝石君、ほんとに違う――」
「せっかく謝りに来たのにこれかよ……俺は心底見損なった!」
 輝石君はことごとく聖黒さんと私の言葉を途中で遮って、一人で嘆いている。その姿が必死になればなるほど、聖黒さんの顔は緩んでいく。それを見た私もすっかり涙が乾いて、笑いを堪える方に必死になっていく。
「何にやけてるんだよ、聖黒! 同じ四神の(よしみ)で最後に一言聞いてやる。何か言え!」
 その一言は、聖黒さんの我慢を崩壊させるだけの威力があったらしい。ついに聖黒さんは顔を俯けると、肩を震わせて笑い声を漏らした。
「何で笑ってるんだよ!」
 笑いだした聖黒さんにあからさまに嫌な顔をした輝石君は、そこでやっと私も笑いを堪えているのに気がついたらしい。輝石君は私を見てきょとんとした表情を浮かべた。
「あのね、勘違いだよ。私は聖黒さんに何もされてないよ。何もされてないというか、慰めてもらってたの」
「え、慰め……?」
 輝石君の呆然としたオウム返しに、私は頷き返す。
「慰め……」
 輝石君は力が抜けたようにぽつりと零すと、その場に座り込んで頭を抱えた。そんな輝石君に、聖黒さんが優しい眼差しを送っていた。
 私も少しほっとして輝石君を見つめていると、騒ぎを聞きつけたのか廊下を忙しなく走る複数の足音が聞こえてきて、その足音は聖黒さんの部屋の前で止まった。私が部屋の入口を振り返ると、血相を変えた蒼士さんと朱兎さんの顔が覗いた。
「美月様? どうして聖黒の部屋に……輝石まで」
 部屋を見渡した二人は、一瞬にして疑問そうな表情に変える。朱兎さんは首を傾げながらそう言って、その後ろで蒼士さんも同じように首を傾げていた。
「輝石が謝りに来てくれたようです」
 聖黒さんがにっこりと美しい微笑を湛えて告げる。そのおっとりとした声に、輝石君が慌てふためいた。
「俺、謝りになんか――」
「おや、では私の空耳でしょうか? 先程確かに『せっかく謝りに来たのにこれかよ』と言っていたと思いましたが」
「空耳じゃないのか? それかもしくは老化で耳が遠くな……嘘です嘘です!」
 輝石君は途中で言葉を切って、嫌な微笑みを浮かべている聖黒さんに向かって全力で否定する。それを蒼士さんと朱兎さんが呆れて見つめていた。
 いつもの光景だ。いつもの仲がいい四神のやり取りだ。四人の絆は簡単に壊れてしまうようなものではなかった――私はほっとして、四人を見渡して微笑んでいた。
「それにしても、最後に一言聞いてやるから何か言え、などと……そんな風に強制して言わせるのはどうかと思いますよ、輝石」
「あぁーもう忘れてくれよ。それより……昨日は悪かった。殴ったりして、悪かった」
 輝石君はそう言うと、顔を覆って俯いた。聖黒さんはそんな輝石君を慰めるように彼の頭を撫でた。
「それで、二人はどうしてこんなに朝早くに私の部屋へ?」
 聖黒さんは問いかけるというよりは、確かめるように蒼士さんと朱兎さんを見上げる。二人はお互いの顔を見合わせると、観念したように息を吐き出した。
「昨日は本当に冷静になれなくて……ごめん、聖黒」
 朱兎さんは深々と頭を下げる。それに続いて蒼士さんも頭を下げた。
「俺も感情的になりすぎました。聖黒さんが美月のことを黙っていた理由、ちゃんと分かっていたはずなのに――聖黒さんの気持ちも考えず、すみませんでした」
 私は二人の下げられた頭を見つめて、それから聖黒さんに視線を走らせる。聖黒さんは二人を慈愛で満ちたような瞳で見つめて、頷いた。
「いいえ、私も悪かったことは悪かったのですから。すみませんでした。美月様も、申し訳ございませんでした」
 聖黒さんは私に向かって頭を下げる。それに慌てた私は、全力で手を振っていた。
「いいえ、私は――私は、こうしてみんなが仲良くしてくれるなら、それでいいんです」
 私の言葉がきっかけになったのか、全員が顔を上げて私を見つめてくれる。四人に向かって私が笑いかけると、四人ともそれぞれ微笑みを返してくれた。
「……私の予想よりも早かったですね」
 ほのぼのとした空気が漂い始めた頃に、聖黒さんがぽつりと零した。輝石君と私は首を傾げて、蒼士さんと朱兎さんは不思議そうに聖黒さんを見つめていた。
「何がです?」
 蒼士さんの疑問を乗せた声に聖黒さんは笑って、
「三人が謝りにくるのが、です。もうちょっと長引くかと思ったのですが」
 と答えた。
「えっとそれは、いいことですよね?」
 確かめるように私が問いかけると、聖黒さんは笑って答えてくれなかった。
「黒いぞ、聖黒……」
 下から睨めつけるように聖黒さんを見る輝石君が、小声で零す。もちろんそれを聞き逃さなかった聖黒さんが、にっこりと綺麗すぎる微笑みを浮かべた。それに怯えたような輝石君を尻目に、聖黒さんは真剣な顔つきで蒼士さんへ向き直った。
「蒼士。その口調ですが、闇音様の前では控えなさい」
「俺の口調、ですか?」
 本当に不思議そうに蒼士さんが繰り返す。けれど朱兎さんと輝石君には心当たりがあるのか、はっとしたような表情を浮かべた。
「その口調です。美月様のことを呼び捨てにしたり、敬語を使わなかったり――私たちや三大の前までならよいでしょうが、闇音様の前では控えなさい。あと、令様と有様の前でも控えるように」
 聖黒さんの指摘に、今になって蒼士さんは自分の口調に気がついたらしい。ぱっと口を覆って床に視線を落とした。
「自分で気づいてなかったの?」
 そんな蒼士さんを呆れたように朱兎さんが見つめていた。
 私も少し驚いて蒼士さんを見つめる。てっきり蒼士さんは私のために前の口調に戻してくれたのだと思っていたのだ。
「すみません。今後は気をつけます。いえ、これからはちゃんと敬語を――」
「いいえ。あくまで闇音様や令様たちの前でちゃんとしていればよいでしょう。まあ、闇音様の前でなら、その口調で話してもあの方なら何も思わないでしょうが」
 聖黒さんは蒼士さんの言葉を遮って告げる。それに驚いたのは私だけではなかった。
 その場にいる全員が目を見開いて聖黒さんを見つめる。聖黒さんはそれに苦笑を浮かべると、言った。
「私たちは変えなくてはなりません。これまでの生活では美月様の力は発現しませんでした。それでしたら、変えられることから変えていきましょう。そして、戻せるものは戻しましょう」
 静かに告げた聖黒さんに、三人が神妙に頷いた。私はその心遣いを嬉しく思いながら「ありがとうございます」と一言告げた。

 

 

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