二十八

 

「蒼士さんって意外と丸め込み上手なんですね」
 一部始終を眺めていたらしい芳香さんが、邪気なく笑いながら言った。私は芳香さんに苦笑を返しながら頷く。
「本当に。でもよく考えてみると、いつもあんな風に丸め込まれていた気がします」
「そうなんですか?」
「はい」
 私はもう一度頷いてから、少し首を傾げて宙に視線を投げた。
「私が小さい頃から……それこそ赤ちゃんのときから蒼士さんは私の傍にずっといてくれましたから。私が無茶をしようとすると、いつも蒼士さんが上手く言って止めてくれて」
「丸め込みながら、ですか?」
「はい。さっきみたいに丸め込みながら」
 笑ってそう言うと、芳香さんも笑いながら頷いた。それから芳香さんはくるりと頭を後ろへ向けて、じっと扇子に見入っている彰さんを呼んだ。いつもは真っ直ぐに伸びている彰さんの背中が、今は棚に向かって屈んだまま固定されていた。
「彰、何分それを続けるつもり?」
 芳香さんの呆れたような声の中には、確かな労わりが聞こえた。
「どうかしたんですか?」
 ゆっくりと彰さんの背中に向かって訊ねてみると、彰さんはこちらには顔を向けないまま少し首を傾げた。
「白亜にお土産をと思ったのですが、どれを選べばよいのか分からなくて……」
「白亜さんなら、彰が選んだものはどんなものでも喜んでくれると思うけど」
「私もそう思います」
 芳香さんと二人で彰さんを真ん中に棚を覗き込む。そこには綺麗な柄の扇子が並んでいた。
「まだまだ夏は始まったばかりで、暑い日が続くでしょう? ですから白亜も自分で体温調節ができるようにと思ったのですが」
 彰さんは真剣な眼差しで扇子を順番に見つめていく。
「美月さま! 帯はこれがよさそうなのでこれにしときますね!」
 遠くから輝石君が何かを指差しながら手を振っている。私の位置からはよく見えなかったけれど、おそらく帯となるものだろう。私は曖昧に笑いながら頷いて、それから扇子に目を戻した。
「あの、白亜さんは何色が好きなんですか?」
 真剣に悩む彰さんの横顔に問いかける。彰さんは曲げていた背中を伸ばして顎に手を当てた。
「白亜の好きな色は桃色です。でも白も好きだと。あとは水色も」
 彰さんの言葉を聞きながら扇子に目を戻すと、彼がずっと悩み続けていた理由が分かった。並んでいる扇子の中には桃色、白色、水色がある。私がそう思ったのと同時に、芳香さんが苦笑混じりに笑った。
「それでずっと悩んでたっていうわけ」
 芳香さんがそう指摘すると、彰さんは首に手を当てて照れたように笑った。
「少しでも白亜が気に入るものを贈りたくて」
「何? 姉ちゃんがどうかしたのか?」
 突然、後ろから輝石君の声が聞こえて少し驚きながら振り返る。輝石君はじっと彰さんを見上げて、それからその後ろにある扇子に気がついたようだった。
「扇子? 姉ちゃんに?」
「ああ……どれがいいか、迷っていて」
 彰さんはゆっくりと輝石君に向かってそう言うと、再び扇子に身体を向けた。
「輝石君、聞いてくださいよ。彰ったらお店に入って扇子を見つけた途端、美月様の着物選びもほったらかして扇子選びに夢中になっちゃって。いえ、白亜さんももちろん大事ですけれど、私も何かを選びたかったんです。だからせめて扇子選びを手伝わせてって申し出たら」
「芳香、その話はいいから」
「よくないですよ、私は! 『白亜に贈るものは私が選びたい』とか言っちゃって、私には何もさせてくれないんですよ? でもこんな無防備な彰を一人で放っておくわけもいかないでしょ? もう楽しくないったら」
 芳香さんは彰さんが止めるのも構わずに、輝石君に向かって不服そうに言い募る。輝石君は芳香さんの勢いに気圧されたのか、数歩後ずさって苦笑を浮かべた。
「ごめんな、芳香。彰は姉ちゃんのことになると前後の見境もつかなくなるから」
「輝石まで……」
 彰さんは扇子に顔を向けて不満げにぽつりと呟く。その横顔はいつもの彰さんと違ってみえた。
「私は素敵だと思うけどなぁ」
 私はそんな彰さんの横顔を見つめながら、そう言っていた。するとその言葉に反応したのか、目を見張った芳香さんと輝石君がずいっと私に詰め寄った。
「え、美月様は彰みたいなのがいいんですか!?」
 芳香さんが声を上げてそう言うと、輝石君はじっと彰さんの背中に視線を送った。当の本人である彰さんは、すっかり白亜さんと扇子のことで頭が一杯になっているのか無反応だった。
「だって、素敵じゃないですか。白亜さんは本当に彰さんに想われてるんだなぁって思うと、羨ましいです。彰さんがそこまで白亜さんを想うってことは、きっと白亜さんもすごく彰さんを想ってたってことでしょう? そんな関係って素敵です」
 微笑みが無意識のうちに零れるような、二人はそんな関係だ。そう思うと同時に、考えてしまう。
 闇音と私がそんな関係になれる日は、きっと来ないと。
 そう思えば思うほど、彰さんと白亜さんが羨ましくなる。お互いを想い合っている――そんな関係はありふれている様に見えて、実はとても尊いものだ。
 真剣に頷いた彰さんは、どうやらやっと白亜さんに贈る扇子を決めたらしい。その手に持つ白色の扇子を見下ろした彰さんの視線は、とても切ない恋情に揺れていた。

 

 

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