二十五

 

 開け放たれた襖から小さく顔を出して中を覗くと、静かに朝食を取る彰さんと芳香さんの姿があった。二人はすぐに私たちに気がつくと、驚きながらも立ち上がろうとした。
「あっ。そのままでどうぞ。お食事中すみません」
「すみません――どうかなさったのですか? 皆さんお揃いで」
 彰さんと芳香さんは座り直しながらも、箸は取らずにじっと私たちを見つめている。その瞳に不思議そうな色が見え隠れしていた。
「もしかして真咲、すれ違ったんじゃ……」
 はっとして芳香さんが呟くと、後ろから聖黒さんの穏やかな否定の声が聞こえてきた。
「闇音様と真咲とはお会いしました。お仕事に出られるそうで」
「そうなんです、お仕事で真咲をお連れになって。私たちは留守番ですよ」
 芳香さんは淡々とそう言うと、目を伏せて湯呑みに手を伸ばした。
 一瞬で空気が刺々しくなる。咄嗟に何の言葉も思い浮かばず目を泳がせていると、視界の端を朱兎さんが横切って行った。
「さて。僕たちも朝食にしましょう。こちらにお邪魔してもいいよね? というか、もう真咲にそう取り計らって貰っているからもうすぐここに朝食が運ばれてくると思うんだけど」
 朱兎さんは何事もなかったように、にっこりと微笑んで芳香さんに言う。芳香さんは少しきょとんとして目を見張ってから、軽く首を傾げて微笑んだ。
「ええ。みんなで食べた方がご飯は美味しいですよね」
「でしょう? 僕らってあんまり他人とご飯を一緒に取ることないんだよ。いつも家族か四神か、とにかく同じ顔ばかりで」
 朱兎さんはそう言うと私たちを振り返った。
「美月様、それに聖黒も蒼士も。ずっと廊下にいるつもりですか?」
「あっ、入ります」
 促されて初めて敷居の前で立ちつくしたままだったことに気がつく。朱兎さんの柔らかい空気で、先程の刺々しい空気が一瞬で和らいでいた。さすがだ、と思いながら朱兎さんの隣に腰を下ろす。
 朱兎さんのこういう一面を垣間見る度に、優花ちゃんを思い出す。優花ちゃんは元気だろうかとぼんやりと考えていると、目の前にお膳が差し出された。
「ありがとうございます」
 いつもながら美味しそうなご飯だ。運んできてくれた給仕に礼を口にしてから、全員の前にお膳が揃うのを待つ。
「そうだった。彰さんも芳香さんも今日の予定は空いてますか?」
 ぱっと顔を上げて二人を交互に見ると、二人は揃って首を傾げながら微笑んだ。
「ええ、空いてますよ。それがどうかなさいました?」
 先程までの近寄りがたさを綺麗に消し去った芳香さんは、女性っぽく頬に手を添えながら答える。この人が男性だなんて、やはり何度見ても信じられないくらいの色っぽさだ。
「遊びに行きませんか? 街に」
「街に、ですか?」
「はい。真咲さんがさっき勧めてくれたんです。気晴らしにどうですか、って」
「そうですね。たまには買い出しでも仕事でもなく、ただ大勢で遊びに行くのもいいですね」
 芳香さんはうっとりとした様子で呟くと、彰さんに目を遣った。
「彰も行くでしょ? 仕事はもう全部片付いてるから問題はないんだし」
「そうですね。たまにはいいかもしれません」
 彰さんは少し目を上げて芳香さんを見てから、私へ視線を向けた。
「どこかお行きになりたいところはありますか? ご案内します」
「そうですね……どこかお勧めとかありますか? この間、街に行ったときはゆっくり見て回れなかったので、何があるのかもよく分かってなくて」
 全員の前にお膳が揃ったことを確認してから、私は箸を取って光に反射して輝く白米を掬った。以前街へ出たときのことを思い出しながら、ご飯を咀嚼する。あの日の二の舞は避けなくてはならない。
「え? でもあの日は一日中街へお出掛けになっていたんじゃありませんでしたか? 色々見て回る時間はあったのでは……」
 白菜と胡瓜の漬物に箸を伸ばしていると、芳香さんの不思議そうな声が聞こえてきた。するとすかさず、その疑問に答えるように隣で朱兎さんが少し身を乗り出す。
「あの日は輝石が道に迷ったんだよ。一番の頼りに道に迷われたら僕たちは打つ手なしだから、あのときは帰り道を探すのにほとんどの時間を費やしてしまって」
「それはまた大変でしたね。輝石でも道に迷うことがあるのか……」
 朱兎さんの言葉に驚いた様子の彰さんが神妙な顔つきで頷く。
「というか、元はと言えば聖黒が輝石のことからかったのが原因なんだけどね。あのときの聖黒は本当にねちっこくて。僕でもあんな聖黒に絡まれたら道に迷うよ」
「……朱兎? いちいち蒸し返す話ではありませんよ?」
 キスの塩焼きを食べていた私はその瞬間、噎せた。隣で蒼士さんが「大丈夫?」と言いながら湯呑みを手渡してくれる。慌ててそれを受け取ってお茶を呑むと、私はそろりと蒼士さんを挟んで隣に座っている聖黒さんへ視線を遣った。聖黒さんからは冷気が感じられるように思える――人間から冷気が発せられるはずはないのに。
 かちゃっと小さな音が朱兎さんのお膳から立って、視線だけを動かして見る。すると朱兎さんが箸を手元から零しながら、引き攣った笑顔で表情を固めていた。
「蒸し返したりしてないよ。ほら、思い出話! ただの思い出話だよ。そんなむきにならなくても。大人気ないよ」
「大人気ないですか?」
 聖黒さんは穏やかな声で繰り返して、それから朱兎さんの手元に目を遣った。
「朱兎。箸が手から落ちていますよ」
 聖黒さんは極上ともいえる笑みを浮かべながら指を差す。私の隣でびくりと朱兎さんが身体を跳ねさせたのが目に入った。
 それを見かねたのか蒼士さんが軽く咳払いをして、
「聖黒さん。ここにいるのは輝石じゃなくて朱兎ですよ」
 と呟くと、聖黒さんは一気に微笑みを通常の温度に戻した。
「おや、そうでした……。最近は輝石も悪知恵がついてきましてね、私もなかなかからかう機会が少なくなって……」
 聖黒さんは朱兎さんから目を離すと、芳香さんと彰さんに向かって嘆息しながら言った。
「あれってからかう≠ナすか? 聖黒さん……」
 私がぽつりと呟くと、聖黒さんは柔らかく微笑んで「からかう≠ナすよ、美月様」と頷いた。
 どう見ても輝石君をいびっているように見える、とはもちろん言い出せない。目の前に座る彰さんと芳香さんのぎこちない笑顔が目に映った。

 

 

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