十七

 

 闇音が所蔵している本を借りて黙々と読んでいると、闇音は仕事が一区切りついたのか、小さく息を吐いた。
「お仕事終わったの?」
 そっと小声で話しかけると、闇音は疲れた様子で目を押さえながら軽く頷いた。
「お疲れ様です」
 軽く頭を下げながら言うと、闇音が立ち上がる音がした。そのまま衣擦れの音が聞こえる。
 部屋を出て行くのだろうかと思いながら顔を上げる。すると、闇音は敷居を跨いだところでぴたりと止まっていた。視線は廊下の奥に向いている。
「どうしたの?」
 闇音は私の問い掛けには答えずに、真っ直ぐ前を向いたまま顎で軽く部屋を指す。それから闇音は踵を返して部屋に戻って、床の間を背にしてゆったりと座った。
「美月。来い」
 闇音は私に向かって言うと、肘掛に肘を乗せた。私は訳が分からないなりにも、闇音の言うとおりに彼の傍まで歩いていって、腰を下ろした。
「何?」
 隣に座る闇音の横顔に向かって訊ねるけれど、闇音は口を開かない。一体何事だろうと頭を悩ませ始めたところで、聖黒さんが顔を出した。
「美月様、闇音様。ただいま戻りました」
 聖黒さんはにっこりと微笑んで言ってから、部屋の中に入ってくる。その後ろに朱兎さん、蒼士さんが続いた。
「お帰りなさい。輝石君はもう西家に戻ったんですか?」
 三人の顔を見てほっとした私は、無意識のうちに顔を綻ばせていた。どうやら闇音とずっと同じ空間にいて相当気が張り詰めていたらしかった。
「はい。斎野宮からの帰り道で別れました」
 私の問い掛けに、朱兎さんが頷きながら答える。それから朱兎さんは、私の隣に座る闇音に視線を走らせた。
「わざわざ斎野宮へ行って、少しは気が晴れたのか? お前たちは」
 闇音は肘掛に体重を乗せて姿勢を崩す。表情は変わらず冷たい美しさを纏っているままで、それが闇音への近寄りがたさをより一層増していた。
「気が晴れたかという質問に答えますと、否です。ですが、なぜ僕たちの両親が総帥に押し上げられ、僕たち子の世代が当主になったのかは分かりました」
 朱兎さんが毅然とした様子でそう言うと、蒼士さんが言葉を引き取った。
「私たちは、美月様を護るようにと命を受けて当主となりました。実際に御当主はそれを果たして欲しいとのことです」
「それはつまり、美月を死から護れということか?」
「いいえ――無論、私はそのつもりですが」
 闇音の冷たい声に、聖黒さんは穏やかな笑みを絶やさずに答える。闇音は聖黒さんの言葉に眉をひそめたけれど、聖黒さんはそのまま続けた。
「十七の誕生日で亡くなるという可能性が消えない場合、美月様を傍で支えて欲しいという令様の御意向です。美月様と常に共に行動し、心を通わせ、少しでも美月様の力となるように、と」
 父が言いたいことが、聖黒さんの言葉を通じて伝わってきた。
 父は私を独りで死なせないように計らってくれているということだろう。頼りになる聖黒さん、優しい朱兎さん、十六年間傍にいてくれた蒼士さん、同年代の輝石君――彼らを私の傍につけることで、少しでも充実した一年間が送れるように、と。
 それはとても優しい心遣いで、同時にとても辛いものでもあった。
 思わず俯くと、隣で闇音が冷笑う気配がした。
「最初から決めてかかっているわけか――美月は死ぬと」
 はっきりと言葉にする闇音に、胸をえぐられたような心地になる。
 確かに闇音の言葉は正しい。父の意向はイコールして私が死ぬことを想定してのものだ。
「美月様。勘違いなさらないでくださいね。御当主は美月様を思っていらっしゃって――」
「美月を思っているのなら、わざわざここに呼び戻す必要はなかったと俺は思うがな」
 朱兎さんのフォローを遮って、闇音は感情を乗せていない声で言葉を紡ぐ。
「最初から美月は死ぬのだと覚悟を決めているのなら、天界に呼び戻す必要がどこにあった? 美月を思っているというのなら、最後の一年間をわざわざ見知らぬ人間に囲まれて暮らさせる必要がどこにある? 美月を思うのなら違う選択をするだろう――そうだろう、青龍」
 闇音の真っ直ぐな瞳を受けた蒼士さんは言葉に詰まった様子を見せる。けれどそれも一瞬のことで、すぐに蒼士さんは毅然とした顔つきに変わった。
「美月様を下界に残すべきだったとおっしゃりたいのですか」
「お前もそう思っているんだろう。こんなことになるのなら、美月に何も知らせずに、今までと変わりなくお前が美月を護り、馴染みある世界で残りの一年間を過ごさせてやればよかったと」
 重たい闇音の言葉に、蒼士さんは唇を噛み締めて眉根を寄せる。その隣で聖黒さんが少しだけ顔を険しくして口を開いた。
「闇音様。過ぎたことをどうこう言っても始まりません。もう美月様を下界へ降ろすことはできないのですから。それに闇音様もそれをお望みではないでしょう?」
 口調はあくまで穏やかな聖黒さんに、闇音は小さく嘆息して頷いた。
「確かに、そうだな」
 闇音は呟いてから、頬杖をつく。闇音の動きに伴って、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。強張っていた気持ちがふっと緩む――闇音の独特の香りだ。
「それともう一つ、美月様にお知らせすることが」
 聖黒さんは、今度は真っ直ぐ私を見つめて話を切り出した。
「何ですか?」
 背筋を伸ばして聖黒さんを見返す。けれど、聖黒さんは言い難そうに身じろぎをするだけだった。聖黒さんらしくない、躊躇っているらしいその様子に私は少し首を傾げた。
「言い難いことですか?」
 続けて私が言うと、闇音が私へ顔を向けたのが横目で見えた。
 聖黒さんから朱兎さんへ、そして蒼士さんへ視線を移す。三人が三人とも、どこか戸惑っているような表情だ。
「美月様」
 聖黒さんは気持ちを奮い立たせるように息を大きく吸い込んでから、私に呼びかけた。
「はい」
「有様が身籠られました」
「……はい?」
 まったく想像していなかった言葉を掛けられると、人間というのは間抜けな声を出してしまうものらしい。
 目を見開いて聖黒さんの顔をまじまじと見つめる。けれど聖黒さんの顔から冗談を言っているような様子はまったく見受けられなかった。
「えっと……有様って、母のことですよね?」
 確かめるために訊ねると、三人が一様に頷いた。姿勢を崩していた闇音さえ、すっと背筋を伸ばした。
「ええ。あなたの母上です。三ヶ月だそうです」
 はあ、と私は溜め息とも感嘆ともつかない声を漏らした。三ヶ月ということは、七ヶ月後に私には弟か妹ができるということだ。
「それは――何て言えばいいのか分からないけど、その……おめでたいことです。両親も喜んでますか?」
 暫く押し黙った後にやっとのことでそう言うと、聖黒さんが悲しそうに微笑みになり損ねた笑みを浮かべる。そんな聖黒さんの顔を見たのは初めてだった。
「ええ……いえ」
 聖黒さんが曖昧にそう言うと、闇音の低い声が部屋に響いた。
「できたのは男か」
 聖黒さんは闇音の声に、ゆっくりと視線を移してから口を開いた。
「おそらくは」
「……どうして男の子って分かるんですか? 三ヶ月くらいで性別って分かるものですか?」
「いいえ。まだ確実とは言えませんが、おそらく男子です」
 聖黒さんは丁寧にそう言ってから、言葉を継いだ。
「斎野宮に第一子として女子が生まれた場合、第二子は決まって男子なのです。今まで常にそうでした。ですから今回もそうでしょう」
 聖黒さんの説明に頷いてから、そっと闇音を見上げる。闇音からどことなく不機嫌な気配が漂っていた。
「これで斎野宮家も安泰というわけか」
 闇音は再び体勢を崩すと、頬杖をつく。その横顔が酷く不快そうだった。

 

 

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